白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(402) 梅沢武生聞き書き(5) 富美男VS武生

2022-01-26 09:15:49 | 梅沢劇団

梅沢武生聞き書き(5)  富美男VS武生

 祖母の家に預けられて学業に励んていた武生は昭和30 年中学を出ると劇団に戻ったがそこは天才子役、弟富美男の人気におんぶに抱っこの劇団だった 芝居感の戻らない武生は口立てで教えてもらう長いセリフもおぼえられず淀みなく喋る富美男と絶えず比較された 判らないことは富美男に聞けと父親は云うしそんなときはセセラ笑う富美男に頭を下げて教えを乞うた 

「伊那の勘太郎」の踊りで歌に乗って出て来た富美男に立ち回りのカラミの武生が掛かってヤラれ足蹴にされ下馬になって(それも足が短いので出来るだけ低く)その上で富美男がキマるとヤンヤの歓声とオヒネリの雨、それをマトモに顔に浴びて涙を流した そして「クソっ! いつかこいつより上手くなってコイツをアゴで使ってやる」と決めた 

それでも武生は長男だから貰った少ない給料を貯めて弟の好きそうなものをプレゼントしようとする ところが富美男はオヒネリで貰った小遣いがヤマ程持っているので新しいオモチャは何でも手に入った 兄貴の初めてのプレゼントはコルクの玉が出るいかにも安物のピストルだったので富美男は「何だこんな物」とポイと捨てたらしい 武生はその屈辱を一生忘れない

梅沢武生は今や名優と云われているがその影に「クソ生意気」な東北の天才子役、梅沢富美男がいたのである

昭和32年富美男は兄貴たちと同様 学業のため祖母の家に預けられるが大衆演劇の世界は空前の映画ブームで瀕死の状態に追い込まれていた わずかな仕送りでは昌子、智也、隆子、修、そして富美男たちの生活は無理で姉、兄たちは別の親戚に預けなければやっては行けなくなる 昭和36年武生はやっと一座の花形まで出世してそのお披露目に近くまで来た時 家に寄ると髪は伸び放題、服はボロボロ、靴はなく裸足に下駄を履いたが小学5年の富美男を見る 劇団の本拠地である前橋の親戚の家に姉昌子、隆子を呼び富美男の世話をさせた

その年武生は梅沢清から二代目座長を引き継いだ 

武生は次々と新機軸を出していく 幕開きは全員で歌い踊る歌謡ショウで開け、キリ狂言はお涙頂戴のズッシリとした芝居だったのを全員が女形の舞踊ショウに変えた 芝居には重きをおかず軽い涙と笑いのものにする

昭和40年中学卒業を控えた富美男は前橋から兄武生に呼ばれ上野に着いた 卵が乗ったハンバーグをご馳走になり小遣いとして1万円も呉れた 暫く楽屋で遊んでいろと云われボーッとしていると(タイミング良く)座員の一人が腹痛を起こし「悪いが替わりに出ろ」とメークをしながら台詞を教えられ、喋ったら福島、前橋、祖母の青森弁まで混ざった東北訛りが受けに受け、だんだん面白くなりそのまま居付くようになった そのうちいやいややった女形が大当り

と ここまで書いていたら16日、早朝妹泰子さんより武生座長が亡くなったとの知らせ、明治座公演中なので千秋楽まで公表が出来ないが 看板(富美男さん)が「吉村君には知らせてやれ」と云うのでお知らせしました とのこと 明治座には初日からずっーと通っていて楽屋入りはしてましたが5日目に倒れ入院そのまま旅立ちました と云う 

武生座長の最後が大好きな明治座の舞台で良かったです

            

                  大好きな座長に合掌