天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『世界哲学史3中世Ⅰ』阿部龍一著「日本密教の世界観」万象を一点に含むが真言に得心し日本学術会議会員に

2020-11-06 15:29:14 | 日記
今日の日記は、札幌自宅で読んでいる『世界哲学史3・中世Ⅰ超越と普遍に向けて』(ちくま新書2020年3月刊)の第10章日本密教の世界観(阿部龍一著:ハーバード大学東アジア言語文化学部教授)で書かれた私が強く共感した真言宗の「真言」の意味です。添付した写真は、その著書の表紙です。
この章の著者は、同大学ライシャワー日本研究所日本宗教担当教授でもあり、前にはコロンビア大学宗教学部長を務めた、とても博識に富む人文学者です。私は今まで、全くの不勉強で、このような立派な功績のある方を存知あげていなかったです。この著書の中で、空海(774~835)が開祖である平安期に始まった宗派『真言宗』の「真言」の意味を、著者はとても分かりやすく解説しています。以下に、私が深く共感し得心した記述の一部を、少し長くなりますが引用・掲載します。
『空海を「世界哲学史」の視野から思想家として捉えるとき、東アジア全域で初めて仏教を中心に据えて、儒教(律令制度)がそれを補佐するという構想を立ち上げ、平安初期朝廷で実現させたことである。・・密教の根本経典「大日経」には、ある文字からは無数の意味が算出されるありようを、空海は「真言」と規定している。では、その文字に無限の意味を生み出すような力が具わっているのだろうか。空海は「真言とは、言語一般が成立する原初的過程を明らかにする特殊な言語だからだ」と説明する。・・分りやすく説明すると「風」に関する国字である「凪」、「凩」、「颪」などで、他の言語文化圏では区別されない大気の動きが、日本語ではあたかもそれらが本来自然に存在していたかのように意識され用いられる。つまり言葉と物の関係は、儒教の正名の理論(「論語」第十三篇の問答)のように、もともと存在する事物に正しいラベルを貼っていくような単純なものでなく、空海によれば、言葉と物は同時発生的にその根源で結びついている。具体的に言うと、「凪」という一文字の中に、言葉で表現できる全ての他事象(連想される場所・時間等)をその連環として映し出しているのだ。このように読むとき、「凪」は、そして他のどんな言葉も、「万象を一点に含む」【真言】として機能すると、空海は説く。』
私は、今までこの「真言」を宗教的な意味合いで、単純に「呪文」のように捉えていました。しかし、その解釈は一側面であり、筆者の指摘する「万象を一点に含む」意味あいの深い言語的な言葉であると、今良く分りました。筆者は、密教を単なる宗教を捉えず、幅広く哲学・思想(慶応義塾大学経済学部卒・ジョンズホプキンス大学国際関係論修士等幅広い分野で勉学)として空海を考察しているから、このような鋭い卓見に達したのだと私は思います。
そして、このような博学で見識のある阿部龍一氏(1954年生まれ)の方を、「日本学術会議」の新会員メンバー(海外在住の為推薦人はいないか?)に、会議事務局は推薦(注:全世界な俯瞰的立場にピッタシのお方)すべきだったと、私は今強く思っています。
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