天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

道祖女神が私別宅購入に尽力したは札幌転勤後頂戴した竣工記念品文鎮「北の少女」を現地置くべしとの神託と

2020-03-09 14:37:26 | 日記
今日の日記は、今からちょうど41年前勤務先の札幌支店に転勤になって、配属先のキリスト系修道女が創設した女子高等学校新築工事が翌年無事竣工し、当社の支店からその関係者に配ったたお祝い品(記念品)の事です。
私は道祖神の強い導きで、仙台支店から札幌支店に1979年10月に転勤になりました。その配属先は、函館にある著名な女子高等学校新築(RC造3階建・一部S造9,090㎡)工事でした。最後の工事応援の為に、支店幹部から赴任を命じられ、学校の1学期の4月開始の1か月前まで現地で、私は入社3年目のまだまだ若年社員でしたが、最終の清掃や竣工検査対応に駆り出されました。
その際、施主側で対応した学校の校長(修道女で年配シスター)のとても優しく清貧な人柄に、私はキリスト教徒(注:私は時宗僧侶の孫)ではないですが、とても深い感銘を受けました。
そして、その竣工記念品として、当社札幌支店が関係者に配ったのが、彫刻家・佐藤忠良作『北の少女』の文鎮でした。添付した写真は、文鎮を収めた箱(40年の歳月を経て多少汚れている)とサイン刻印入りの少女の横顔です。裏面には、「北の少女 1980 佐藤忠良」と刻印されています。
その記念品を支店から頂戴した時、この製作した彫刻家の佐藤忠良氏(1912年7月4日~2011年3月30日)は、全く不勉強で良く知らなかったです。でも、1966年フジテレビで放映した『若者たち』に出演した女優・佐藤オリエさん(1943年3月25日~)を、私は大ファンで応援していたので、父親が著名な彫刻家との彼女の家族構成を事前に知っていました。そして、その父親がこの製作者・佐藤忠良氏だったのです。だから、この記念品の「北の少女」は娘の女優・佐藤オリエさんがモデル?ではと勝手に思い込んで(注:実際は彼の女弟子だった)、私は、現在に至るまで大切に保管していました。
2011年3月に、北海道の守護・道祖神(女神)が、私の札幌別宅新築マンション購入に際して強く尽力したのは、この「北の少女」の文鎮は、藤沢本宅に置くのではなく、現地の「北の大地」に置くべきと判断・神託したからと、私は今強く確信しています。
しかし、このような北海道に暮らす道民には、この文鎮「北の少女」は、単なる記念品を超えた自らのアイデンティティを示す大切な品物であるはずなのに、私はネット検索して判ったのですがこの非売品をネット転売?(メリカリで売値5千円を4,200円で落札済)をしている不逞の輩・ドサンコが存在しています。
去年の朝ドラ『なつぞら』では、十勝彫刻家阿川弥市郎(中原丈雄扮する)が『魂を込めて彫る!』と叫んだ創作品を、このネット販売者は、自らの儲け手段の一つの道具としか考えていないです。この卑しい事実を、亡くなられた佐藤忠良氏が知ったら、どんなに悲しむ事か、私は強く落胆しました。しかし、このような不逞の輩には、私の守護「道祖神」が彼・彼女らに天誅を下すだろうと、今確信しています。
今、パソコンデスク脇のプリンター台に安心したように置かれたこの文鎮を観ながら、私は、40年前の当時の事を懐かしく思い出しながら皆さんに投稿しています。
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私名字同じ北海道の道鳥タンチョウはアイヌ語でサロルンカムイで命名す道祖神と合致し男の私は女神様と確信

2020-03-07 14:17:46 | 日記
今日の日記は、私が命名した北海道の守護神「道祖神」は女神であると確信した私の名字(鶴見)との強い絆の事です。
私は、実社会で強く生きていく過程で、度々何か摩訶不思議な力・神秘的なパワー(「道祖神」)を受け、とても良い方向に自らの人生を歩んで来たと、今強く思っています。さらに、その命名した「道祖神」は、今自分が父親から授かった名字から推察して、荒々しい「男神」ではなく豊穣を生む「女神」だと、強く確信しています。
北海道の「道鳥」は、タンチョウ(鳥綱ツル目ツル科ツル属に分類される鳥類。 一般的には単に「ツル」と言えばこの鳥を指す。また、「タンチョウヅル」とも呼ばれ、現在多く繁殖している鶴居村や、多く生育していて地名の謂れになった千歳が有る 。)です。添付した写真は、貴賓溢れるその姿です。だから、私には、北海道には「言霊」による強い因縁・絆があるのです。
さらに、タンチョウは、アイヌ語では「サロルンカムイ」(「葦原の神」の意)と呼ばれており、私が勝手に命名した「道祖神」と、その意味において、強く合致しています。
また、タンチョウは、雄と雌の求愛ダンスがとても有名で、交尾後、雌雄交代で抱卵し生まれてくるヒナを大切に育てています。だから、タンチョウの雄と雌は、他の鳥類と違い夫婦間の愛情はより深いと、私は思っています。その論理からすると、当然私を何度も助けてくれていた道鳥・タンチョウはその性別は雌で、その本来の姿である本地垂迹・道祖神は豊穣の「女神」であると、強く結論付けられます。
だから、女性らしいきめ細やかな神経で、私のトイレットペーパー等の日用品調達にも、先月中旬大いに尽力してくれたのだと、今強く得心しています。これからの残り少ない人生も、道祖神であるこの女神様を、私は大切にしてその導きに従いたいと、今強く決意しています。
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最後サラリーマン生活で上司パワハラを受けた私を救ったのは購入予定札幌別宅を事前空室した「道祖神」尽力

2020-03-05 13:40:20 | 日記
今日の日記は、昨日の続編で私のサラリーマン生活最終期に直属上司になった人から受けたパワハラを、私がじっと我慢できた北海道「道祖神」の私への大いなる尽力・応援行為の出来事です。
私は、直属上司が2010年6月定年退職に伴い、別のグループに配属替え(所属室は同じ)になりました。そのグループ長(私より1歳若い・入社も私の1年後で、事務ゾーンの窓側の単独席に座って脇に打ち合わせ椅子を用意している中間管理職)の「島」に配置替えになった時、今までは直属上司に最も近い席だったのを、派遣社員らが座る最も離れた席(その与えらた席だけ机・椅子は新品でなく旧式)に配置替えになりました。その上司の行為は、前日のパワハラパンフレットに記載されたグループ内で一人だけ強く阻害する行為に、まさしく該当します。
私は、とてもよく分る行為で私自身をのけ者にされた事に、正直情けない気持ちになりました。もう、この上司からは、待遇面では何も期待できない(実例:最後の2年間再雇用契約は、人事評価最低の基本給15万円までに傷めつけられる)と、大きな絶望感に陥ってしまい、今後の転職まで真剣に考えました。
しかし、この絶望していた私を会社に留めさせたのは、またも北海道守護神「道祖神」だったのです。私は、翌年の3月春分の日の3連休で札幌に観光に出かけ、事前に検討して購入予定の新築マンション販売センターに立ち寄りました。大通公園近くにあり繁華街まで徒歩で行ける立地条件に、私はそのある間取り(2LDK)の12階一室に、その購入候補を絞っていました。添付した写真は、私が現在住んで利用いる札幌別宅外観です。
そして、その分譲マンションの購入予約状況を見せてもらったら、そのタイプの部屋は、私が狙っていた12階のみ空室になっていたのです。だから、私は、即仮契約をしました。単なる幸運と済まされない、何か私を助ける目に見えない巨大な力があったと、今は考えています。まさしく再び、「道祖神」が私を北海道に呼び戻す為、その狙っていた部屋を私が来るまで空室のままにしていたとしか、私は考えられないです。
でも、このマンションを手持ちの現金だけ購入できず、会社と金融機関からの借り入れ金を利用したので、どんなイジメにあっても、もう転職など全く不可能になりました。
現在、この札幌別宅から当時の出来事を振り返って、私は投稿しています。もし、その購入を狙った部屋が契約済だったら、現在の悠悠自適の環境では全く無かったでしょう。だから、今私は、北海道「道祖神」に深く感謝しています。
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今サラリーマン生活振り返り北海道守護「道祖神」に2回の札幌支店への転勤で助けて貰う私の人生の大恩人と

2020-03-04 15:50:43 | 日記
今日の日記は、私の大学卒業後就職したサラリーマン生活前半生を今よく振り返ってみて、北海道の守護「道祖神」に私は間違いなく助けてもらった2回の勤務先移動(支店転勤)の事です。
会社内の人事異動は、その会社の人事担当者(私の会社の場合、各支店建築部長が決裁者)が決める事です。しかし、私はどう見ても違う別の力(具体的は私が命名した「道祖神」)が強く作用しているとしか思えないと、今過去をよく振り返って今痛感しています。
以下に、1976年7月に仙台支店に配属(本社建築部長決裁)された後、その後の2回の人事異動の出来事を詳しく紹介します。また、当時の工事現場は『3K』の代表でしたので、現在で言う「パワハラ」などは当たり前の職場環境でした。添付した写真は、現在のパワハラ認定行為のイラスト図(注:私が置かれた立場と現在を良く比較する為)です。
(1)・1978年6月札幌支店に夏季応援の為転勤:私は、東北地方で北は青森、南は郡山まで移動して、工事作業所の現場監督をしていました。夏季転勤する前の現場は、温泉地のリゾートホテル増築で超突貫工事でした。厳寒期の冬でも深夜12時過ぎまでコンクリート打をしており、休みなど全くない労働環境でした。でも、その年の8月に一級建築士の試験があったので、歯を食いしばって頑張って仕事をしていました。そんな時に、6月から3か月間の北海道への夏季応援転勤を命じられたのでした。でも、増築工事の所長が、支店幹部に半月待ってくれと要望して、実際には6月15日(今でも覚えているが北海道神宮祭で札幌支店は休日だった)に転勤しています。もし、夏季移動転勤が無かったら、私は勉強する時間が全く無かったから、初めて挑戦する一級建築士試験(学科)を落ちたかもしれないです。でも、札幌に転勤して当時の旧北海道庁にあった道立図書館で休み中猛勉強して8月初旬の学科試験に合格出来たのです。だから、札幌に私を呼んでくれた「道祖神」に今強く感謝しています。
(2)・1979年10月札幌支店に本転勤:夏季応援が終わり仙台支店に戻った私は、仙台市郊外の某市営総合体育館に転勤になりました。学科試験は合格して10月の製図試験(課題は「幼稚園」)を受けるだけでした。運よくその現場の前に実際の幼稚園が有り、運営状況等を実地体験でき、どれほど役立ったか私は今でもその立地環境に感謝しています。しかし、この作業所の次席(所長は兼務で常駐せず)に、今でいう「パワハラ」を私は強く受けました。私が配属された後、1年先輩の社員が追加配属され、その八方美人的でそつのない先輩を、上司の次席は猫可愛がりして、一方の私には辛く当たる毎日でした。ある時、私の歯の親知らずが痛く成って顔がはれても、心配して「歯医者に行け」などと何とも言わない上司でした。だから、もう一級建築士に合格して私は、この札幌支店への本転勤移動が無かったら、さっさとこの会社を辞めていたでしょう。でも、竣工直前に10月の定期転勤(注:実際は半月後転勤で移動の休み無だった)でこの嫌な次席と縁切れできると知って、会社を辞めるのを思い留まりました。だから、本転勤を誘導した「道祖神」は私の会社からの退社行動を防いでくれたのでした。
そして、その後2018年5月まで、嫌な事が一杯あったけれども、私は最後までこの会社を勤め挙げたのでした。このように、私にとって北海道守護神「道祖神」は、私の人生における「大恩人・守り神」だったのです。
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トイレットペーパー無い在庫事態で先月北ガスPサービス12W無償の追加受領は私守護「道祖神」お蔭と得心

2020-03-02 11:57:07 | 日記
今日の日記は、昨日食料品買いで訪れたイトーヨーカドーすすきの店陳列棚でトイレットペーパーが無くなっている異常在庫事態でも、私が泰然自若として居られる、私の守護神・道祖神(注:私が勝手に命名し本来の意味と違う)の私への援助・お蔭の事です。
札幌別宅で一人暮らしの私は、トイレットペーパーやティッシュペーパーの消費量は、たいしたものではないです。去年の消費税値上げ前に購入した(イオン製12Wロール)は、今年の2月末まで残っています。在庫が2個ほどになった2月6日に新たに購入しました。現在その購入品を使用しています。しかし、このトイレットペーパー買いだめ騒動が長く続き買えない(12Wを通常なら5か月程で使い切るから7月初旬には在庫切れ)と、ちょっと心配になる現在のストック量です。オイルショック時の狂乱トイレットペーパー騒動を実体験している私には、全くナンセンスな今回の消費者行動だと思っています。でも、いつも使う日用品だけに多少心配な出来事です。
しかし、先月14日に、札幌別宅の家屋敷税の本年度分申請書類をサッポロファクトリーの市税事務所に提出した帰りに、別宅で利用しているガス・電気の北ガスポイントサービスで貯まった900Pをトイレットペーパー(400P)とティッシュペーパー(300P)に交換(注:普段は食料品だがその時は何か?今家多くある日用品にした)していました。添付した写真は、そのポイントサービス案内と利用証明書です。
だから、今年中のトイレットペーパー在庫を十分確保(その追加分12ロールはタダ)できていたので、イトーヨーカドーすすきの店で昨日目撃した驚くべき陳列状態にも、私は泰然自若としていられたのです。
14日の外出行動で、帰りに同じ場所の北ガスショールームに立ち寄る事は、当日になってから私はふと思い付きました。私は、何か見えない力が、私の行動を後押ししたような気が、今しています。そして、その見えない力は、私の勝手な想像ですが、私の守護神となるべき北海道を束ねる「北海道の祖先の神=道祖神」ではないかと、今強く実感しています。
さらに、帰宅の29日に私を早く起こさせたのもこの「道祖神」ではないかと、今強く思っています。だから、これからも、私に背後にいつもいる「道祖神」を大切にしたいと、今強く決意しています。
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