天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

今サラリーマン生活振り返り北海道守護「道祖神」に2回の札幌支店への転勤で助けて貰う私の人生の大恩人と

2020-03-04 15:50:43 | 日記
今日の日記は、私の大学卒業後就職したサラリーマン生活前半生を今よく振り返ってみて、北海道の守護「道祖神」に私は間違いなく助けてもらった2回の勤務先移動(支店転勤)の事です。
会社内の人事異動は、その会社の人事担当者(私の会社の場合、各支店建築部長が決裁者)が決める事です。しかし、私はどう見ても違う別の力(具体的は私が命名した「道祖神」)が強く作用しているとしか思えないと、今過去をよく振り返って今痛感しています。
以下に、1976年7月に仙台支店に配属(本社建築部長決裁)された後、その後の2回の人事異動の出来事を詳しく紹介します。また、当時の工事現場は『3K』の代表でしたので、現在で言う「パワハラ」などは当たり前の職場環境でした。添付した写真は、現在のパワハラ認定行為のイラスト図(注:私が置かれた立場と現在を良く比較する為)です。
(1)・1978年6月札幌支店に夏季応援の為転勤:私は、東北地方で北は青森、南は郡山まで移動して、工事作業所の現場監督をしていました。夏季転勤する前の現場は、温泉地のリゾートホテル増築で超突貫工事でした。厳寒期の冬でも深夜12時過ぎまでコンクリート打をしており、休みなど全くない労働環境でした。でも、その年の8月に一級建築士の試験があったので、歯を食いしばって頑張って仕事をしていました。そんな時に、6月から3か月間の北海道への夏季応援転勤を命じられたのでした。でも、増築工事の所長が、支店幹部に半月待ってくれと要望して、実際には6月15日(今でも覚えているが北海道神宮祭で札幌支店は休日だった)に転勤しています。もし、夏季移動転勤が無かったら、私は勉強する時間が全く無かったから、初めて挑戦する一級建築士試験(学科)を落ちたかもしれないです。でも、札幌に転勤して当時の旧北海道庁にあった道立図書館で休み中猛勉強して8月初旬の学科試験に合格出来たのです。だから、札幌に私を呼んでくれた「道祖神」に今強く感謝しています。
(2)・1979年10月札幌支店に本転勤:夏季応援が終わり仙台支店に戻った私は、仙台市郊外の某市営総合体育館に転勤になりました。学科試験は合格して10月の製図試験(課題は「幼稚園」)を受けるだけでした。運よくその現場の前に実際の幼稚園が有り、運営状況等を実地体験でき、どれほど役立ったか私は今でもその立地環境に感謝しています。しかし、この作業所の次席(所長は兼務で常駐せず)に、今でいう「パワハラ」を私は強く受けました。私が配属された後、1年先輩の社員が追加配属され、その八方美人的でそつのない先輩を、上司の次席は猫可愛がりして、一方の私には辛く当たる毎日でした。ある時、私の歯の親知らずが痛く成って顔がはれても、心配して「歯医者に行け」などと何とも言わない上司でした。だから、もう一級建築士に合格して私は、この札幌支店への本転勤移動が無かったら、さっさとこの会社を辞めていたでしょう。でも、竣工直前に10月の定期転勤(注:実際は半月後転勤で移動の休み無だった)でこの嫌な次席と縁切れできると知って、会社を辞めるのを思い留まりました。だから、本転勤を誘導した「道祖神」は私の会社からの退社行動を防いでくれたのでした。
そして、その後2018年5月まで、嫌な事が一杯あったけれども、私は最後までこの会社を勤め挙げたのでした。このように、私にとって北海道守護神「道祖神」は、私の人生における「大恩人・守り神」だったのです。
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