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天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

Aエヴァリット『ハドリアヌス ローマの栄光と衰退』守備範囲広いハドリアヌスにアンティノウスは羞恥抱く

2011-11-13 10:13:12 | 日記
今日の日記は、今読んでいるアントニー・エヴァリット著『ハドリアヌス ローマの栄光と衰退』(草皆伸子訳 2011年白水社刊)に書かれているアンティノウスのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書の表紙を飾っているハドリアヌスは、古代ローマ帝国の皇帝(在位:117年~138年)で、よく言われている五賢帝の3人目に登場した歴史上の人物です。彼は、建築(具体例:ローマのパンテオンを再建) とギリシャ文化を愛し、治世基本政策の転換(帝国の拡大方針を撤回)により、ローマ帝国に安定と繁栄をもたらした賢帝です。
彼の私生活では、ビテュニアの美青年の愛人アンティノウスを寵愛し、男色家としてもとても有名です。そして、彼がエジプトの属州アエギュプトゥスを視察中に、この美青年アンティノウスがナイル川で事故死を遂げてしまいます。
この歴史上の出来事の考察に関して、塩野七生著『賢帝の世紀 ローマ人の物語(9)』で語っていた女性作家らしい死亡原因説とは違った見解を、この著者アントニー・エヴァリットは自著で展開しています。以下に、その著書からとても興味ある記述を引用・掲載します。
『この事故については複数の噂がある。彼がハドリアヌスのためにみずから命を差し出したと言う者もあれば、あるいは、彼の美しさとハドリアヌスの過剰な色欲が原因だったと言う者もある。・・おそらく、アンティノウスは性交を強要する皇帝から逃れるために自殺したのだ、と言いたいのだろう。・・第二の可能性は、・・少年を卒業して青年になってしまった自分に、主人にして愛人でもある皇帝がどのような価値を見出しえようか、と考えたにちがいない。しかしながら、ハドリアヌスは守備範囲がたいへん広かったことで知られている。アウレリウス・ウィクトルは「彼が大人の男性を誘惑したという意地悪な噂が広がった」と述べている。若いエロメノス(私注:古代ギリシャでは、少年愛が盛んで、少年を愛する年長者を”エラステス”と呼び、愛される少年を”エロメノス”と呼んだ)が、エラステスと肛門性交するのはかならずしも非難されることではないが、成人男性が受身の役割をさせられることは恥であると考えられていた。二十歳の大人になったアンティノウスが、もう皇帝とは同衾したくないと思うようになった可能性はある。このままの関係を続ければ、自分は単なる男娼とそれほど変わりないではないか・・と考えても不思議でない。』
女性作家の塩野七生氏は自著『ローマ人の物語』で、この著書『ハドリアヌス ローマの栄光と衰退』で述べた第二の可能性である、”少年を卒業して青年になってしまったアンティノウスに、ハドリアヌス皇帝が寵愛を抱かなる絶望感”から自殺してしまったとの説に、大いに賛同しています。しかし、私はその「絶望感説」に異議を唱えます。
彼のアンティノウス死後の言動(アンティノウスの神殿を建設し、都市アンティノオポリスを創建)と、アントニー・エヴァリットが表現した”彼は守備範囲がたいへん広かった”から推察すれば、この「絶望感説」はあまり説得力はないと思っています。
それよりも、アントニー・エヴァリットが強調した”成人男性が受身の役割(エロメノス)をさせられることは恥”であるという「羞恥心説」の方を、私は強く支持し著書見解に深く納得しています。
だから、古今東西の有名な英雄な格言『英雄、色を好む』は、人によって若干その”色の違い”があると、今私は強く得心しました。

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