天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

1700回投稿版・渡辺邦男監督映画『忠臣蔵』ラストは溝口健二監督『元禄忠臣蔵』と違い瑶泉院に威厳無し

2015-12-13 12:42:18 | 日記
今日の日記は、今インターネット無料配信で鑑賞した明日(旧暦)討ち入りがされた江戸時代の赤穂事件を扱った映画『忠臣蔵』(渡辺邦男監督・主演長谷川一夫 市川雷蔵・大映1958年製作)のラストでの浅野内匠頭の内室・瑶泉院の所作のことです。そして、今回の投稿は1,700回目特別版です。添付した写真は、公開当時のポスターです。
私は、日本映画で観客動員が多くかってはドル箱だった【赤穂事件】を扱った忠臣蔵がとても好きで作品のほとんどを鑑賞しています。今回は、渡辺邦男監督が映画全盛期であった昭和33年(1958年)に制作した『忠臣蔵』を、PCでネット鑑賞しました。
この作品は、忠臣蔵の数多くのエピソードを手際よくまとめていますが、ラストの討ち入りの本懐を遂げた大石ら一行が亡き主君の芝高輪にある菩提寺の泉岳寺に向かう道筋で、大石を待ち合わせた浅野内匠頭の内室・瑶泉院(切腹後出家・山本富士子扮する)の所作のことで、私はとても強い違和感を抱いています。
この映画では、瑶泉院は戸田局(三益愛子)と越元3人を伴い、市中町人らの列の中で頭巾もぜず派手な白地の豪華衣装の立姿で待っていて、大石ら一行が通リ去った後、瑶泉院は戸田局と共に膝を付き感謝の念か?(前日は知らずにいたので邪険に扱う罪滅ぼしか彼女は『内蔵助、許してたもれ』と口に出す)を示していました。このシーンを観て、私は大衆娯楽映画の巨匠・渡辺邦男監督には、江戸時代の士族の身分の違いなど全く眼中にないと、強く思いました。
まず、出家した婦女子(瑶泉院)はやたらに外出など出来ず、またその際の服装は全く質素なものだったはずです。いくらミス日本代表だった美女の山本富士子だとしても、その演出効果上は全く遠慮する必要はないのです。また、いくら感謝の念を表現するとしても、戸田局と共に道端で膝を付くなど、家臣(筆頭家老でも)に対する振る舞いでは全くないです。
私は、2012年7月16日付日記『溝口健二監督1942年映画「元禄忠臣蔵」明日はお殿様命日暇請にご焼香をの大石に瑶泉院その儀なりませぬ』でも書いていますが、武家社会には歴然とした身分格差があり、筆頭家老だった者でも主君の内室(威厳を持ち対応)には何も逆らえなかったのです。やはり、溝口健二は、日本映画の素晴らしい演出監督だったと、今痛感しています。
最近は、私の映画鑑賞投稿はめっきり減りましたが、1,700回記念投稿(2009年8月19日第1回目から約6年4か月・2,308日目で)を契機に、これからはもっと映画鑑賞記を多く投稿する所存です。でも、あまり期待せず待っていてください。
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