天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

朝日新聞天声人語”自分に負け人生マラソンを放棄”と評した故円谷幸吉を松永伍一氏は”より人間に戻った”

2014-03-03 21:37:48 | 日記
今日の日記は、今読んでいる石井正己編『1964年の東京オリンピック 「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』(2014年1月・河出書房新社刊)で取り上げられた◎祭りのあと”血族共同体への回帰とその反逆・・オリンピック・メダリストの死”(松永伍一著『文芸』1968年三月号)の、朝日新聞コラム「天声人語」での心ない書き方と、私が強く感動した銅メダリスト・円谷幸吉氏の自死に対する松永氏の深い考察のことです。
添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、私が深く感銘した松永氏の一部記述を抜粋・引用掲載します。
『・・円谷幸吉が私の住む練馬のしかもすぐ近くにある大泉学園の「自衛隊体育学校幹部宿舎」で自殺した。・・翌日の「朝日新聞」の天声人語がモラリッシュなつき方で「アキレスけんを痛めては、走者としては致命的である。・・あらゆる競技は自分とのたたかいである。マラソンはことにそうであろう。すぐれたマラソン選手が自分に負け、人生のマラソンを放棄したのは残念なことだ」としめくくられると、私はその表現の裏にある評者の常識に疑念をさしはさまないではおれなかった。円谷幸吉は自分に負けたと断言できるだろうか。・・円谷は虚像の自己にあいそをつかし実像のなかにはいっていくことによって、国家権力から自由になった己を見たのではあるまいか。遺書は死を語りつつひとりの生のドラマの終局を美しく語っている。・・円谷幸吉は血族共同体のなかに入っていくことで<死>の国家的意味から自由になった。・・血族共同体から<愛>をそっくり吸いとって国家的栄光への秩序に叛逆したひとりの百姓に、「きみはあの遺書を書くことができただけで、そこいらの人間よりもっと人間に戻っていたのだ」と私は低い声でつぶやいている。そして、遺書の結びの言葉を決して忘れないだろう。「幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」』
私もこの悲しい出来事をリアルタイムで良く知っています。だから、朝日新聞の「天声人語」のコラムリストが”自分に負け、人生のマラソンを放棄したのは残念なこと”と円谷幸吉を一刀両断している全く心無い考察に、今強い憤りを抱いています。
当時の朝日新聞社是は『武器を所有する自衛隊は完全な違憲』との見解だったから、税金泥棒である自衛隊員の行動も”色メガネ”で見ていたのでしょう。だから、こんな心無い発言になるのです。当時の朝日新聞コラムリストに、私は全く悲しくなりました。
しかし、この著書で紹介された松永伍一氏の円谷幸吉自死論『血族共同体への回帰とその反逆』には、私はとても共感しました。さらに、この円谷幸吉氏が残した遺書は美文として名高いですが、その背景が血族共同体への回帰にあるとした松永伍一氏の鋭い卓見に、私は今深く感銘しています。
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