今日の日記は今某書店で購入して読んでいる大平裕著『知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史』(2013年9月・PHP研究所)で書かれている古代高句麗の好太王の碑文のことです。添付した写真は、その著書の表紙で映っているのはその碑文です。
私は、この著書のサブタイトルの”韓国がけっして教えない歴史”にとても興味を抱き、この新刊歴史書を某書店で購入して今自宅で熟読しています。
この著者は1939年生まれの企業人(引退して今は「大平正芳記念財団」代表)ですが、古代史に造詣が深く多くの著書を出版されています。
本著書は、日韓の古代史学会がその存在を否定する神話の世界に登場する神功皇后の新羅征伐が、歴史的事実であることや、倭国の任那(みまな)日本府が実存した事実を立証しています。
その中で、高句麗好太王の石碑と碑文に関する、日韓間での歴史的な解釈の経緯の解説に、私はとても共感しました。私自身は、高校3年生(1971年)の時に受けた授業の日本史教科書(山川出版社)には、この任那日本府や高句麗の好太王碑文が記載されており、著者の見解に良く理解できます。以下に、この任那日本府や好太王碑文を知らない若い方の為に、この著書からこの高句麗好太王の碑文に関する記述を引用・掲載します。
『高句麗王(第19代在位392~412年)だった広開土王(私注:日本の歴史書では好太王)の生涯を刻んだ石碑「広開土王碑」が、中国吉林省集安市の鴨緑江を望む畔に建てられています。・・1972年、在日の学者李進熙が、この碑文は1884年旧日本軍参謀本部の酒匂景信が入手したものですが、近代日本の朝鮮半島進出を正当化するため、都合がいいように、旧陸軍がその拓本を改変したというのです。実物の検証ができない当時、彼の突飛な意見を否定することはできませんでした。そのため研究は、40年近くにわたり停滞せざるをえなくなりました。しかし、2006年4月14日の読売新聞(朝刊)に、「好太王碑最古の拓本発見:改竄論争に終止符」という記事が掲載されました。古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑最古の拓本が中国で発見され、倭国(日本)との関係を示す記述が、旧日本軍の入手した拓本と一致することが、中国社会科学院教授である徐建新の研究で判明したのです。・・李進熙による改竄問題は一件落着しました。彼の民族感情むき出しの反日史観は、植民地支配への贖罪観を抱いている日本人学者たちを攻撃しました。・・山川出版社の高校生用教科書「詳説日本史B」「新日本史B」を見てみると、戦後の左翼の風潮におもねり、わが国の「国史」である「日本書記」のごく一部をつまみ食いしているだけで、ほとんど無視していることでよくわかります。』
私は、最近の高校生が使っている日本史の教科書は良く知らないですが、古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑に関して、現在の韓国に配慮してあえて触れていないとしたら、亡国的な歴史的事実の改竄です。だから、私は教科書出版社に深く猛省をしもらい、正しい記述に改正してほしいです。
さらに、韓国の朴大統領は、自国のテロリスト(伊藤博文を暗殺した犯罪者)の記念碑を建てる前に、自らの先祖で倭国を破った英雄である高句麗の広開土王の碑文再調査を行い、正しい歴史的事実を国際社会に公表(中国人学者ではなく自国歴史学者により)してほしいです。でも、その私の期待は、完全に裏切られることは明白ですが。
私は、この著書のサブタイトルの”韓国がけっして教えない歴史”にとても興味を抱き、この新刊歴史書を某書店で購入して今自宅で熟読しています。
この著者は1939年生まれの企業人(引退して今は「大平正芳記念財団」代表)ですが、古代史に造詣が深く多くの著書を出版されています。
本著書は、日韓の古代史学会がその存在を否定する神話の世界に登場する神功皇后の新羅征伐が、歴史的事実であることや、倭国の任那(みまな)日本府が実存した事実を立証しています。
その中で、高句麗好太王の石碑と碑文に関する、日韓間での歴史的な解釈の経緯の解説に、私はとても共感しました。私自身は、高校3年生(1971年)の時に受けた授業の日本史教科書(山川出版社)には、この任那日本府や高句麗の好太王碑文が記載されており、著者の見解に良く理解できます。以下に、この任那日本府や好太王碑文を知らない若い方の為に、この著書からこの高句麗好太王の碑文に関する記述を引用・掲載します。
『高句麗王(第19代在位392~412年)だった広開土王(私注:日本の歴史書では好太王)の生涯を刻んだ石碑「広開土王碑」が、中国吉林省集安市の鴨緑江を望む畔に建てられています。・・1972年、在日の学者李進熙が、この碑文は1884年旧日本軍参謀本部の酒匂景信が入手したものですが、近代日本の朝鮮半島進出を正当化するため、都合がいいように、旧陸軍がその拓本を改変したというのです。実物の検証ができない当時、彼の突飛な意見を否定することはできませんでした。そのため研究は、40年近くにわたり停滞せざるをえなくなりました。しかし、2006年4月14日の読売新聞(朝刊)に、「好太王碑最古の拓本発見:改竄論争に終止符」という記事が掲載されました。古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑最古の拓本が中国で発見され、倭国(日本)との関係を示す記述が、旧日本軍の入手した拓本と一致することが、中国社会科学院教授である徐建新の研究で判明したのです。・・李進熙による改竄問題は一件落着しました。彼の民族感情むき出しの反日史観は、植民地支配への贖罪観を抱いている日本人学者たちを攻撃しました。・・山川出版社の高校生用教科書「詳説日本史B」「新日本史B」を見てみると、戦後の左翼の風潮におもねり、わが国の「国史」である「日本書記」のごく一部をつまみ食いしているだけで、ほとんど無視していることでよくわかります。』
私は、最近の高校生が使っている日本史の教科書は良く知らないですが、古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑に関して、現在の韓国に配慮してあえて触れていないとしたら、亡国的な歴史的事実の改竄です。だから、私は教科書出版社に深く猛省をしもらい、正しい記述に改正してほしいです。
さらに、韓国の朴大統領は、自国のテロリスト(伊藤博文を暗殺した犯罪者)の記念碑を建てる前に、自らの先祖で倭国を破った英雄である高句麗の広開土王の碑文再調査を行い、正しい歴史的事実を国際社会に公表(中国人学者ではなく自国歴史学者により)してほしいです。でも、その私の期待は、完全に裏切られることは明白ですが。