今日の日記は、今自宅で読んでいるドナルド・キーン著『明治天皇(下巻)』(角地幸男訳・2001年新潮社刊)で書かれている私が知らなかった1882年(明治15年)7月23日ソウルで起きた朝鮮軍兵士による日本公使館付武官堀本礼造陸軍少尉殺害事件のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、私はアメリカから帰化したドナルド・キーン氏から教えてもらった日韓関係の歴史的事件の顛末を、その著書から一部引用・掲載します。
『1881年(明治14年)末、朝鮮国王高宗と王妃閔妃(ミンビ)は、朝鮮の近代化計画の一環として日本公使館付武官の堀本礼造陸軍少尉を近代部隊創設の顧問に迎えた。貴族の子弟百人が、日本式の軍事教練を受けることになった。これら若き信任兵が自分たちより優れた装置で近代的な訓練を受けることを知った旧軍隊の兵士は、軍制改革に強い反感を抱いた。・・国王は軍需の最高責任者である閔謙鎬(ミンキョムホ)に指示し、軍制改革で解雇された兵士に俸禄米を支給させた。しかし、その俸禄米は砂と家畜肥料を混ぜたもので食べられたものではなかった。
激怒した兵士たちは、一団となって閔謙鎬の私邸を襲った。反乱の報せを受けた閔謙鎬は、首謀者を逮捕し、その翌朝処刑すると発表した。・・反乱軍の一団は堀本礼造陸軍少尉の官舎を急襲し、刀剣で刺し、なぶり殺しにした。さらに、暴徒たちは日本公使館に向かい、口々に日本人皆殺しを叫んだ。・・翌日7月24日、王宮に押しかけ、閔謙鎬を殺害した。暴徒たちは、王妃閔妃を探した。閔妃の殺害を謀ったのは、彼女が憎むべき閔一族に属していること、また腐敗政府が完全に彼女の支配下にあったからである。忠実な守衛武将が閔妃に宮女の服を着せ、自分の妹だと言い張り背負って逃げた。・・山中に隠れていた王妃閔妃は国王に、宗主国たる清国に暴徒鎮圧の為朝鮮に部隊派遣を要請するように迫った。・・この事件が引き金となって、日本国民の間に熱烈な愛国心が目覚めた。・・11月2日、朝鮮で殉職した堀本中尉(死後に進級)以下12名が靖国神社に合祀された。・・12月朝鮮特命全権大使朴泳孝(パクヨンヒヨ)が日本を離れる際、明治天皇は朝鮮国王に対し、小銃五百挺を贈った。朴は、日本が朝鮮の独立を助け、財政的援助を実行することを懇願した。朴、金玉均(キムオクキュン)等が組織した開化派独立党は、日本の支援によって清国の束縛から脱し、積年の弊害を改革し、朝鮮を名実共に独立国家とすることを目指していた。彼ら独立党にとって、日本は彼らが朝鮮にもたらそうとしている文明開化の模範だった。』
このドナルド・キーン氏の著書は、雑誌「新潮45」の1995年1月号から2000年4月号まで連載された、あとがきに書かれている”英語国民にも明治天皇のことを知ってもらいたい”との必死な思いが込められたとても素晴らしい歴史書です。日本人にも必読の書です。逆に、この英語版を韓国語に翻訳して隣国・悪行国家の韓国人に是非読んで欲しいと思いました。
ドナルド・キーン氏はとても素晴らしい日本研究家ですが、日本国の文化や思想・政体等をより公平な目で冷静に観察しています。
戦後の日本の自虐的近代史観では、この韓国人の起した日本公使館付武官堀本礼造陸軍少尉殺害事件、清国属国から離脱を目指す開化派独立党などは何も触れられず、日本人が韓国を植民地支配したとの論調で終始しています。だから、私が習った高校の歴史教科書(1971年頃)でも、この堀本礼造陸軍少尉殺害事件など記載が全く無かったです。
また、明治天皇は、この不幸な外交事件の後でも、何も相手に制裁処置を取らずに、逆に、朝鮮国王に対し治安維持の為、小銃五百挺を贈っているのです。この歴史的友好関係など、正しい歴史的事実を捏造・曲解・改変した情報しかない今の韓国人全てには、何も知らない驚くべき事実(例:独立の国母と尊敬される王妃閔妃(ミンビ)が当時の腐敗政府首謀者)でしょう。でも、この事実も同じように否定し捻じ曲げるかも知れませんが。さらに、悪しき宗教団体の靖国神社に、自らが殺害した堀本礼造陸軍少尉までも合祀されていると知ったら、韓国人は怒り心頭に達するかも。
だから、このように国家ぐるみで正しい二国間の外交歴史を捏造する国家とは、もうほんとうに国交を断絶すべきです。
『1881年(明治14年)末、朝鮮国王高宗と王妃閔妃(ミンビ)は、朝鮮の近代化計画の一環として日本公使館付武官の堀本礼造陸軍少尉を近代部隊創設の顧問に迎えた。貴族の子弟百人が、日本式の軍事教練を受けることになった。これら若き信任兵が自分たちより優れた装置で近代的な訓練を受けることを知った旧軍隊の兵士は、軍制改革に強い反感を抱いた。・・国王は軍需の最高責任者である閔謙鎬(ミンキョムホ)に指示し、軍制改革で解雇された兵士に俸禄米を支給させた。しかし、その俸禄米は砂と家畜肥料を混ぜたもので食べられたものではなかった。
激怒した兵士たちは、一団となって閔謙鎬の私邸を襲った。反乱の報せを受けた閔謙鎬は、首謀者を逮捕し、その翌朝処刑すると発表した。・・反乱軍の一団は堀本礼造陸軍少尉の官舎を急襲し、刀剣で刺し、なぶり殺しにした。さらに、暴徒たちは日本公使館に向かい、口々に日本人皆殺しを叫んだ。・・翌日7月24日、王宮に押しかけ、閔謙鎬を殺害した。暴徒たちは、王妃閔妃を探した。閔妃の殺害を謀ったのは、彼女が憎むべき閔一族に属していること、また腐敗政府が完全に彼女の支配下にあったからである。忠実な守衛武将が閔妃に宮女の服を着せ、自分の妹だと言い張り背負って逃げた。・・山中に隠れていた王妃閔妃は国王に、宗主国たる清国に暴徒鎮圧の為朝鮮に部隊派遣を要請するように迫った。・・この事件が引き金となって、日本国民の間に熱烈な愛国心が目覚めた。・・11月2日、朝鮮で殉職した堀本中尉(死後に進級)以下12名が靖国神社に合祀された。・・12月朝鮮特命全権大使朴泳孝(パクヨンヒヨ)が日本を離れる際、明治天皇は朝鮮国王に対し、小銃五百挺を贈った。朴は、日本が朝鮮の独立を助け、財政的援助を実行することを懇願した。朴、金玉均(キムオクキュン)等が組織した開化派独立党は、日本の支援によって清国の束縛から脱し、積年の弊害を改革し、朝鮮を名実共に独立国家とすることを目指していた。彼ら独立党にとって、日本は彼らが朝鮮にもたらそうとしている文明開化の模範だった。』
このドナルド・キーン氏の著書は、雑誌「新潮45」の1995年1月号から2000年4月号まで連載された、あとがきに書かれている”英語国民にも明治天皇のことを知ってもらいたい”との必死な思いが込められたとても素晴らしい歴史書です。日本人にも必読の書です。逆に、この英語版を韓国語に翻訳して隣国・悪行国家の韓国人に是非読んで欲しいと思いました。
ドナルド・キーン氏はとても素晴らしい日本研究家ですが、日本国の文化や思想・政体等をより公平な目で冷静に観察しています。
戦後の日本の自虐的近代史観では、この韓国人の起した日本公使館付武官堀本礼造陸軍少尉殺害事件、清国属国から離脱を目指す開化派独立党などは何も触れられず、日本人が韓国を植民地支配したとの論調で終始しています。だから、私が習った高校の歴史教科書(1971年頃)でも、この堀本礼造陸軍少尉殺害事件など記載が全く無かったです。
また、明治天皇は、この不幸な外交事件の後でも、何も相手に制裁処置を取らずに、逆に、朝鮮国王に対し治安維持の為、小銃五百挺を贈っているのです。この歴史的友好関係など、正しい歴史的事実を捏造・曲解・改変した情報しかない今の韓国人全てには、何も知らない驚くべき事実(例:独立の国母と尊敬される王妃閔妃(ミンビ)が当時の腐敗政府首謀者)でしょう。でも、この事実も同じように否定し捻じ曲げるかも知れませんが。さらに、悪しき宗教団体の靖国神社に、自らが殺害した堀本礼造陸軍少尉までも合祀されていると知ったら、韓国人は怒り心頭に達するかも。
だから、このように国家ぐるみで正しい二国間の外交歴史を捏造する国家とは、もうほんとうに国交を断絶すべきです。