今日の日記は、「心に鍵をかけ想いを秘めて冷蔵庫にしまっておくわ」と歌ったマリリン・モンローが、4年前「夏は下着を冷蔵庫に入れる」と隣人に告白した映画『七年目の浮気』(1955年製作:ジョージ・アクセルロッド原作戯曲 ビリー・ワイルダー脚色・監督 マリリン・モンロー トム・イーウェル主演)のことです。
3連休の最終日は、同じ監督が製作したマリリン・モンロー主演の『七年目の浮気』を、私はお茶の間鑑賞します。この映画レンタル用パッケージ写真(添付した写真を参照の事)は、地下鉄の送風口からの風でスカートがめくれるとても有名なマリリン・モンローのセクシーピンナップです。
しかし、こんな激しくマリリンのスカートが舞い上がるシーンは、何度も観てもこの映画では出てきません。なぜ撮影したマリリン・モンローの姿が、映画宣伝用だけの写真になったのか?私は今までいつも強い疑問を感じていました。
その疑問を氷解させてくれたある著書を、私は最近見つけ出し今読んでいます。それは、『マリリン・モンロー 最後の真実』(ドナルド・スポト著:小沢瑞穂 真崎義博共訳 1993年光文社刊)という女優・マリリン・モンローの評論です。
その著書の中より、そのシーンの映画撮影の記述を一部抜粋して掲載します。
『スカートの舞いあがる有名なシーンは、レキシントン・アヴェニューと52丁目のトランスラックス劇場前で撮影される予定で、その時も、報道関係者や一般人が事前に知らされていた。プロ、アマ含めて数百人のカメラマンが集まり、夜中の十二時には、ひと目でもマリリンを見たいと押しかけた見物人の数が二千人近くまで膨れあがった。・・そのイベントは、1951年以来のマリリンの友達で共同製作者のチャールズ・K・フェルドマンの依頼で「七年目の浮気」の撮影ドキュメントを手がけていた写真家、サム・ショーの卓抜なアイデアだった。彼は予備製作の段階から、スカートの舞うシーンをこの映画のロゴにしようと心に決めていた。「レキシントン・アヴェニューでロケをやったのは、もちろん宣伝のためだ。スタジオで撮り直しが必要だってことは、みんな承知していたよ」数年後、彼は語った。・・事実、その夜撮影したスチール写真のほとんどが、完成映画の「七年目の浮気」より体の露出部分が大きい。フォックスで完成した最終シーンでは、マリリンが鉄格子の上に立ち、一陣の風がスカートを膝のあたりまで舞いあがらせたところでカットされ、さわやかな風に感謝するかのように、あたりを見まわすマリリンの顔のアップに、巧みに切り替わる。』
この著書を読んで、当時の写真家・サム・ショーの己の利益を優先する行為に、強い憤りを感じました。この写真家は、製作される映画の出来栄えよりも、自分の撮る写真に何が被写体として高く売れるかだけを考える卑劣なカメラマンです。この卑劣な行為は、マリリン・モンローの私生活まで打ち壊す悲劇を演出することになります。以下は続編で詳しく述べます。
3連休の最終日は、同じ監督が製作したマリリン・モンロー主演の『七年目の浮気』を、私はお茶の間鑑賞します。この映画レンタル用パッケージ写真(添付した写真を参照の事)は、地下鉄の送風口からの風でスカートがめくれるとても有名なマリリン・モンローのセクシーピンナップです。
しかし、こんな激しくマリリンのスカートが舞い上がるシーンは、何度も観てもこの映画では出てきません。なぜ撮影したマリリン・モンローの姿が、映画宣伝用だけの写真になったのか?私は今までいつも強い疑問を感じていました。
その疑問を氷解させてくれたある著書を、私は最近見つけ出し今読んでいます。それは、『マリリン・モンロー 最後の真実』(ドナルド・スポト著:小沢瑞穂 真崎義博共訳 1993年光文社刊)という女優・マリリン・モンローの評論です。
その著書の中より、そのシーンの映画撮影の記述を一部抜粋して掲載します。
『スカートの舞いあがる有名なシーンは、レキシントン・アヴェニューと52丁目のトランスラックス劇場前で撮影される予定で、その時も、報道関係者や一般人が事前に知らされていた。プロ、アマ含めて数百人のカメラマンが集まり、夜中の十二時には、ひと目でもマリリンを見たいと押しかけた見物人の数が二千人近くまで膨れあがった。・・そのイベントは、1951年以来のマリリンの友達で共同製作者のチャールズ・K・フェルドマンの依頼で「七年目の浮気」の撮影ドキュメントを手がけていた写真家、サム・ショーの卓抜なアイデアだった。彼は予備製作の段階から、スカートの舞うシーンをこの映画のロゴにしようと心に決めていた。「レキシントン・アヴェニューでロケをやったのは、もちろん宣伝のためだ。スタジオで撮り直しが必要だってことは、みんな承知していたよ」数年後、彼は語った。・・事実、その夜撮影したスチール写真のほとんどが、完成映画の「七年目の浮気」より体の露出部分が大きい。フォックスで完成した最終シーンでは、マリリンが鉄格子の上に立ち、一陣の風がスカートを膝のあたりまで舞いあがらせたところでカットされ、さわやかな風に感謝するかのように、あたりを見まわすマリリンの顔のアップに、巧みに切り替わる。』
この著書を読んで、当時の写真家・サム・ショーの己の利益を優先する行為に、強い憤りを感じました。この写真家は、製作される映画の出来栄えよりも、自分の撮る写真に何が被写体として高く売れるかだけを考える卑劣なカメラマンです。この卑劣な行為は、マリリン・モンローの私生活まで打ち壊す悲劇を演出することになります。以下は続編で詳しく述べます。