天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『イマジン ジョン・レノン』で”僕は反抗的人間だが社会に愛されていたい!僕は僕でしかない!”自ら語る

2012-01-15 13:24:42 | 日記
今日の日記は、イギリス旅行の第2日目に訪れたリヴァプールのマシュー・ストリートゆかりのビートルズ主要メンバーだったジョン・レノンのドキュメンタリー伝記映画『イマジン ジョン・レノン』(1988年製作 アンドリュー・ソルト監督)のことです。
私の今回のイギリス旅行の目的の一つとして、ビートルズが生まれ育ったリヴァプールのマシュー・ストリートを訪れることでした。そして、帰国してから、私は昔観た『イマジン ジョン・レノン』を再び観たくなって、レンタル店から借りて久しぶりにお茶の間鑑賞しています。
この映画は、妻のオノ・ヨーコ(1933年2月18日~)から提供された未公開のジョン・レノン(1940年10月9日~1980年12月8日)生前フィルムやビデオ、インタヴュー・テープ、写真、作品を基に構成されている、最も鮮明にジョン・レノンの生き様を描いている記録映画です。そして、この映画のナレーションもレノン自身が語っています。
その冒頭で、ジョン・レノンが『僕は反抗的な人間だが 社会に愛されてもいたい 生意気で変わり者のミュージシャンなど嫌だ だが 僕は僕でしかない!』と自らを適切に自己分析しています。
ビートルズが60年台に爆発的な異常な人気(とても懐かしい日本公演も紹介されている)を掴みながら、徐々にその音楽活動に悩むジョン・レノンらの姿をカメラは淡々と冷静に描いています。
そして、ジョン・レノンは1966年11月イギリス、ロンドンで個展を開いていたオノ・ヨーコと運命的な出会いを経て、1969年に二人は結婚します。
さらに、当時アメリカが介入激化していたベトナム戦争に反対して、平和イベント『ベッド・イン』や『ウォー・イズ・オーヴァー』ポスター・キャンペーンなどで二人で「愛と平和」("Love and Peace")の活動を展開し始めます。添付した写真は、その当時のジョン・レノンとオノ・ヨーコです。
この頃の私は、高校生でしたが、二人の先鋭的かつ革新的な行動にとても戸惑い、あまり共感できなかったです。レノンが自ら語っていた”反抗的な人間”と、短絡的にしか見ていなかったのです。でも、40年を経た現在は、その二人が目指していた世界を深く理解できるようになりました。
最後に流れるジョン・レノンが歌う名曲『イマジン』の歌詞に、ジョン・レノンの真摯な思いが込められているからです。
”思い浮かべてごらん 国境のない世界”
”それほど難しくはないよ”
”殺し合ったり死ぬ事もなく”
”宗教さえもない世界”
”すべての人たちがー”
”平和に暮らせたらと考えてごらん”
”僕は夢追い人かもしれない”
”でも それは僕だけじゃない”
”いつの日か 君もこの夢を追えば”
”世界は一つに結ばれるんだ”
去年、さいたまスーパーアリーナにあった『ジョン・レノン・ミュージアム』が閉館してしまって、私は今とても残念な思いを抱いています。さらに、アメリカの銃社会を完全に失くすべきだと私は痛感しています。
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