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天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

1983年プラド美術館購入レプリカ絵画ゴヤ『裸のマハ』はスペイン宰相「秘密の部屋」と同様札幌別宅飾る

2018-08-27 13:57:41 | 日記
今日の日記は、札幌別宅で読んで鑑賞している松原典子監修『ベラスケスとプラド美術館の名画』(2018年2月・中央公論新社刊)で書かれているスペインの宮廷画家だったフランシスコ・デ・ゴヤが描いた『裸のマハ』の事です。添付した写真は、そのゴヤを紹介したある1ページ抜粋です。
私は、1983年1月初めての海外旅行(PALパックヨーロッパ4か国周遊10日間)で、3番目の訪問先スペイン・マドリッドのプラド美術館で数々の名画を鑑賞しました。ディエゴ・ベラスケス(著名な歴史的名画ラス・メニーナスを現地で鑑賞)やエル・グレコ(最後に住んだ古都トレドの彼の家も訪問)らのスペインを代表する巨匠の名画を鑑賞しました。でも、私が一番印象に残った絵画は、ゴヤが描いた『着衣のマハ』と『裸のマハ』でした。だから、私は、プラド美術館の記念品売店で、カンヴァス地に描かれた縮小レプリカ絵画『着衣のマハ』と『裸のマハ』(30cmX51cmで、約30%のスペイン製の縮小品)を購入しました。
以下に、この著書から、私がとても興味深く大いに共感した、この『裸のマハ』に関係する記述を抜粋し引用します。
『カルロス4世の首席宮廷画家となった頃のゴヤが、秘密裡に描いたといわれる「裸のマハ」。この生々しい裸婦像は、「着衣のマハ」とともに、宰相ゴドイの邸宅「秘密の部屋」に、ベラスケスの「鏡を見るヴィーナス」、ティツィアーノの作品などと共に、飾られていました。その絵画が発見されたのは、1808年のナポレオン軍侵攻の際です。カルロス4世が退位し、不遇となったゴヤは「裸のマハ」で、1814年異端審問に呼び出されて、その釈明を求められました。・・近代絵画の創始者ゴヤならではの「現実的裸婦像」は、コケティッシュな眼差しを向けて、昔も今も観る者を”誘惑”するのです。』
私は、この著書を読んで、ゴヤが異端審問にかけられた事を、初めて知りました。ルネサンス期に描かれた裸婦と全く違うポーズが、キリスト教的には、不謹慎で異端とされたのでしょう。当時のゴヤはどう思っていたか?私には分らないですが、依頼者でパトロンであった宰相ゴドイもそれを自覚していたから、自宅の「秘密の部屋」に飾っていたのだと、私は今強く推測しています。
1983年2月初め、日本に帰国した私も、このプラド美術館で購入した2枚のレプリカ絵画『裸のマハ』と『着衣のマハ』は、それを飾る場所がなく書棚の上に放置(注:藤沢市に自宅を新築し私の書斎を増築しても、私は同じように放置)していました。しかし、私が2012年に札幌別宅マンションを購入したので、ようやく、この2枚の名画は”日の目を見る”場所を、確保するようになりました。
だから、今では、この2枚の絵画は、私の「秘密の部屋」である札幌別宅のリビングルームの壁に飾られて、私をいつも”誘惑”し続けているのです。

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