天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

O・ヘップバーン談S・ローレンJロロブリジータの豊満でないが寸法で表せる物がSEXアピール全てでない

2010-11-23 18:34:42 | 日記
今日の続編日記は、今読んでいる『エレガントな女性になる方法 オードリー・ヘップバーンの秘密』(メリッサ・ヘルスターン著 池田真紀子訳 2005年集英社刊)と『オードリーの愛と真実』(イアン・ウッドワード著・坂口玲子訳1993年日本文芸社刊)のことです。添付した写真は、その一つの著書『エレガントな女性になる方法』の表紙です。
そして、その両方の著書に、私の大好きなソフィア・ローレンに触れる記述がありました。私がとても興味深く感じたその一節を、以下にその著書から引用掲載します。まず『エレガントな女性になる方法』より
『<four・LOVE 恋愛ーあなたにふさわしい愛を見つけるには>誘惑はさりげなくオードリーの言葉「セックスアピールというのは、心の奥深いところで感じるものよ。ひけらかすものではないわ。想像させるものなの。私はソフィア・ローレンやジーナ・ロロブリジータのように豊満ではないけれど、寸法で表せるものがセックスアピールのすべてではないのよ。』
さらにその続きを、オードリー・ヘップバーンは『オードリーの愛と真実』(イアン・ウッドワード著・坂口玲子訳1993年日本文芸社刊)で次のように語っています。
『私は、女らしさを証明するのに、寝室は必要ないの。曲線美だけが自慢のスターが一糸まとわず発揮することを、私はちゃんと服を着たままで表現できるわ。木からリンゴをもぐとか、雨の中に立ってるとか、そういう状況でね。』
オードリー・ヘップバーンは、自分が痩せ過ぎていて、「セックスアピールがない」と言われることを、最初からよく知っていました。だから、このような自己弁護のコメントを残したのでしょう。彼女のコメントに、私はその当時、あまり共感できなかったです。
でも、最近彼女の主演映画を再び鑑賞して、私は彼女のこのコメントを彼女の負け惜しみと思わなくなりました。そして、私も彼女の魅力に深く同意するようになりました。特に、オードリー・ヘップバーンの黒い眉の下にある大きな瞳のほうが、単なる大きいだけの裸の胸より、よほどセクシーと私は感じ始めました。
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