天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

渡邉泉著『帳簿が語る歴史の真実』13世紀発生複式簿記の冒頭記載「神の名においてアーメン」は正確性担保

2016-05-06 08:36:21 | 日記
今日の日記は、札幌別宅で読んでいる渡邉泉著『帳簿が語る歴史の真実ー通説という名の誤り』(2016年・同文舘出版刊)のとても含蓄に富む歴史的エピソードの事です。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、その著書から私が深く共感した記述の一部を引用・掲載します。
『会計の利益計算構造を支える複式簿記は、十字軍の結成に伴う商業の復活を背景に、13世紀初めのイタリア北方諸都市で発生した。・・とりわけ、フィレンツェの商人たちは、ヴェネツィアの商人たちとは異なり、他人と組んだ組合を結成していたため、組合員相互間での利益分配の必要性から、当初は必ずしも定期的ではんかったが、期間に区切った損益計算を行っていたのである。・・複式簿記を誕生させた第一義的な要因は、信用取引である。信用取引が生じると、人の記憶には限界があるため、すべての取引を正確に覚えておくのは困難というか不可能に近い。その債権債務の備忘録として複式簿記による記録が誕生する。そのためには、当然のことながら、この帳簿記録が正しく記帳されていることが前提になる。記帳に誤りや不正がないことを担保するために、中世のキリスト教社会では、帳簿の初めに十字架とともに「神の名において、アーメン」(In Nome di Dio,Amen)と書き込み、帳簿の正確性を担保するために神の力を借りていた。この十字架や神に誓う言葉が帳簿から消えていくのは、継続的な記録を書き留めた帳簿が、信頼できる文書証拠として、すなわち公正証書と同様の市民権を得るに至った16世紀後半から17世紀に入ってからのことである。』
この著書を読んで、私は複式簿記の歴史的理解を深めることができました。単式簿記から複式簿記に移行したとの通説は、誤りとする著者の見解にも私は強く共感しました。それ以上に、現代人には、この過去の先達の苦労や英知を忘れ、己を正しく律しない風潮があると、今強い危惧を抱いています。
この別宅マンションの管理会社担当者は、マンション管理組合設立総会の資料として、会計年度期間の計算を間違えた収支案を提出していました。その間違いを指摘した私に、弁解・陳謝の言葉が無かったです。13世紀のイタリア商人たちが【神の名において真実である】と語り認証した事とは、全く大きな違いです。担当した彼には、この著書を読んで、猛省してもらいたいと思っています。
そして、利害関係が複雑になった現代では、【神の名】の担保の代わりに、組合から選任された【監事】がその責務を負っているのだと、私は強く痛感しました。
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