今日の日記は、札幌別宅で読んでいる渡邉泉著『帳簿が語る歴史の真実ー通説という名の誤り』(2016年・同文舘出版刊)のとても含蓄に富む歴史的エピソードの事です。添付した写真は、その著書の表紙です。以下に、その著書から私が深く共感した記述の一部を引用・掲載します。
『会計の利益計算構造を支える複式簿記は、十字軍の結成に伴う商業の復活を背景に、13世紀初めのイタリア北方諸都市で発生した。・・とりわけ、フィレンツェの商人たちは、ヴェネツィアの商人たちとは異なり、他人と組んだ組合を結成していたため、組合員相互間での利益分配の必要性から、当初は必ずしも定期的ではんかったが、期間に区切った損益計算を行っていたのである。・・複式簿記を誕生させた第一義的な要因は、信用取引である。信用取引が生じると、人の記憶には限界があるため、すべての取引を正確に覚えておくのは困難というか不可能に近い。その債権債務の備忘録として複式簿記による記録が誕生する。そのためには、当然のことながら、この帳簿記録が正しく記帳されていることが前提になる。記帳に誤りや不正がないことを担保するために、中世のキリスト教社会では、帳簿の初めに十字架とともに「神の名において、アーメン」(In Nome di Dio,Amen)と書き込み、帳簿の正確性を担保するために神の力を借りていた。この十字架や神に誓う言葉が帳簿から消えていくのは、継続的な記録を書き留めた帳簿が、信頼できる文書証拠として、すなわち公正証書と同様の市民権を得るに至った16世紀後半から17世紀に入ってからのことである。』
この著書を読んで、私は複式簿記の歴史的理解を深めることができました。単式簿記から複式簿記に移行したとの通説は、誤りとする著者の見解にも私は強く共感しました。それ以上に、現代人には、この過去の先達の苦労や英知を忘れ、己を正しく律しない風潮があると、今強い危惧を抱いています。
この別宅マンションの管理会社担当者は、マンション管理組合設立総会の資料として、会計年度期間の計算を間違えた収支案を提出していました。その間違いを指摘した私に、弁解・陳謝の言葉が無かったです。13世紀のイタリア商人たちが【神の名において真実である】と語り認証した事とは、全く大きな違いです。担当した彼には、この著書を読んで、猛省してもらいたいと思っています。
そして、利害関係が複雑になった現代では、【神の名】の担保の代わりに、組合から選任された【監事】がその責務を負っているのだと、私は強く痛感しました。
『会計の利益計算構造を支える複式簿記は、十字軍の結成に伴う商業の復活を背景に、13世紀初めのイタリア北方諸都市で発生した。・・とりわけ、フィレンツェの商人たちは、ヴェネツィアの商人たちとは異なり、他人と組んだ組合を結成していたため、組合員相互間での利益分配の必要性から、当初は必ずしも定期的ではんかったが、期間に区切った損益計算を行っていたのである。・・複式簿記を誕生させた第一義的な要因は、信用取引である。信用取引が生じると、人の記憶には限界があるため、すべての取引を正確に覚えておくのは困難というか不可能に近い。その債権債務の備忘録として複式簿記による記録が誕生する。そのためには、当然のことながら、この帳簿記録が正しく記帳されていることが前提になる。記帳に誤りや不正がないことを担保するために、中世のキリスト教社会では、帳簿の初めに十字架とともに「神の名において、アーメン」(In Nome di Dio,Amen)と書き込み、帳簿の正確性を担保するために神の力を借りていた。この十字架や神に誓う言葉が帳簿から消えていくのは、継続的な記録を書き留めた帳簿が、信頼できる文書証拠として、すなわち公正証書と同様の市民権を得るに至った16世紀後半から17世紀に入ってからのことである。』
この著書を読んで、私は複式簿記の歴史的理解を深めることができました。単式簿記から複式簿記に移行したとの通説は、誤りとする著者の見解にも私は強く共感しました。それ以上に、現代人には、この過去の先達の苦労や英知を忘れ、己を正しく律しない風潮があると、今強い危惧を抱いています。
この別宅マンションの管理会社担当者は、マンション管理組合設立総会の資料として、会計年度期間の計算を間違えた収支案を提出していました。その間違いを指摘した私に、弁解・陳謝の言葉が無かったです。13世紀のイタリア商人たちが【神の名において真実である】と語り認証した事とは、全く大きな違いです。担当した彼には、この著書を読んで、猛省してもらいたいと思っています。
そして、利害関係が複雑になった現代では、【神の名】の担保の代わりに、組合から選任された【監事】がその責務を負っているのだと、私は強く痛感しました。