このブログの客観的な事実は、昨日は閲覧数 : 369 PV 訪問者数 : 144 IPであった、ということとグーグル検索経由が多いということぐらい。後はインディオという生き物の、主観の羅列である。
第2回アルファポリスのミステリー大賞が決まったようで、「密室にデュラハン」叶衣 綾町が選ばれたようだ。選挙戦の上位にあって?、HPの活字が白馬(我が作品)並みに大きくて読みやすかったのを憶えている。わがブログ小説は、アルファポリスの中では、幸福実現党みたいな存在とみなされているのかもしれない(ということは…)。
個人的には、もっと思想があるマニアックな小説に受賞してもらいたい。版元の路線というものがあるのだろうが(?)、そもそもフィクションなどなかなか売れない(本の責任販売性はどうか)。
無名作家は信頼されない。そこで、出版社のお墨付き=権威ある新人賞で、売り出すわけであるが(金虫誕生!?)、多くは持込原稿(権力者の裁量で決定)と同じである。
勝手なことを言っていますね
(要するに白馬を出せというのですね)
そういうわけではありません
(どんな本でも思想が必要なのです)
そういえば、
サンクチュアリという出版社も昔、「サンクチュアリ文芸大賞」をやっていた(知る人ぞ知る)。そこで選ばれたのがマニアックな?小説が『キリスト屋』。詐欺まがいな主人公??の本であるが、深いキリスト教の思想に包まれていて、なかなか気に入っている。これも、最近読んだ『天使と悪魔』に劣らず、クリスチャン必読か。
(偽善的な宗教を押し付ける側に腹が立つといわれて)
主人公の詐欺牧師はいいかえす。
「ひとつには、それはやはり『信じている側』の問題だと思います。『信じていない側』のひとにそのような印象を与えてしまったとしたら、それは自分は信仰を持っていて、あなたよりも上の存在なんだ、みたいな意識があるからでしょうね。あるいは無意識にそれが出てしまう。大いに反省すべきだと思います。しかし反面『信じていない側』の感じ方のズレも問題です。明るさの意味を本当に分かる人は、闇を体験した人だと思うんです。宗教を信じていると人というのは、多かれ少なかれ闇を体験した人ではないでしょうか。ですから『信じていない側』から見ればまぶしすぎるんでしょうね…」
らい病患者がキリストになったフローベルの短編小説とか、クリスチャンとは『キリストと共に歩むもの』だとか、いろいろ考えさせられる内容であった。
それにもかかわらず全体としてスラスラ読めて、何か軽いノリであった。
この軽いノリの読者を獲得しようと、あの表紙にしてしまったのだろうが、読者層はたぶん、シャーマニズムの小説『コンセント』(田口ランディ)と同じであると思われ、ちょっとまずかったか。
版元が幻冬舎で、その資本力で広告を出し、表紙を神秘的にすれば、『コンセント』なみに売れたかも。
第2回アルファポリスのミステリー大賞が決まったようで、「密室にデュラハン」叶衣 綾町が選ばれたようだ。選挙戦の上位にあって?、HPの活字が白馬(我が作品)並みに大きくて読みやすかったのを憶えている。わがブログ小説は、アルファポリスの中では、幸福実現党みたいな存在とみなされているのかもしれない(ということは…)。
個人的には、もっと思想があるマニアックな小説に受賞してもらいたい。版元の路線というものがあるのだろうが(?)、そもそもフィクションなどなかなか売れない(本の責任販売性はどうか)。
無名作家は信頼されない。そこで、出版社のお墨付き=権威ある新人賞で、売り出すわけであるが(金虫誕生!?)、多くは持込原稿(権力者の裁量で決定)と同じである。
勝手なことを言っていますね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
そういうわけではありません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_8.gif)
そういえば、
サンクチュアリという出版社も昔、「サンクチュアリ文芸大賞」をやっていた(知る人ぞ知る)。そこで選ばれたのがマニアックな?小説が『キリスト屋』。詐欺まがいな主人公??の本であるが、深いキリスト教の思想に包まれていて、なかなか気に入っている。これも、最近読んだ『天使と悪魔』に劣らず、クリスチャン必読か。
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(偽善的な宗教を押し付ける側に腹が立つといわれて)
主人公の詐欺牧師はいいかえす。
「ひとつには、それはやはり『信じている側』の問題だと思います。『信じていない側』のひとにそのような印象を与えてしまったとしたら、それは自分は信仰を持っていて、あなたよりも上の存在なんだ、みたいな意識があるからでしょうね。あるいは無意識にそれが出てしまう。大いに反省すべきだと思います。しかし反面『信じていない側』の感じ方のズレも問題です。明るさの意味を本当に分かる人は、闇を体験した人だと思うんです。宗教を信じていると人というのは、多かれ少なかれ闇を体験した人ではないでしょうか。ですから『信じていない側』から見ればまぶしすぎるんでしょうね…」
らい病患者がキリストになったフローベルの短編小説とか、クリスチャンとは『キリストと共に歩むもの』だとか、いろいろ考えさせられる内容であった。
それにもかかわらず全体としてスラスラ読めて、何か軽いノリであった。
この軽いノリの読者を獲得しようと、あの表紙にしてしまったのだろうが、読者層はたぶん、シャーマニズムの小説『コンセント』(田口ランディ)と同じであると思われ、ちょっとまずかったか。
版元が幻冬舎で、その資本力で広告を出し、表紙を神秘的にすれば、『コンセント』なみに売れたかも。