インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

自意識の亀裂

2012-09-04 07:05:50 | 聖なる木を創る、地域通貨
  朝晩、だいぶ涼しくなったような気がする。パサール満月海岸での祭りの余韻が、いまだに残っている。別府の泥温泉の旅行より、断然格安だったし、面白かった。「何をするにもカネはかかるさ(時間も)」とグダグダ考える自分がいたのだが(考えれば考えるほどネガティブになっていく)、ヒッピーたちを眺めていると、「風体を気にしなければ、何とでもなるのではないか?」と思えるようになってきた。

 まだまだ吾輩も、周りを気にしすぎている、自意識過剰、自尊心が残っているのである。

 吾輩は明日こうしなければならない、ここに住まなければならない、という執着心がまだまだあるのだろう。

 そういえば昔、執着心について頭をひねったが、

 すべては借り物なのである。仕事場にしても、居住地にしても、インターネットにしても、本来は「利用している」だけなのに、いつの間にか、変な意識が芽生えて、「利用されてしまっている」のである。

 奇妙な自意識が、自分自身をがんじがらめにしているのかもしれない。

 人生とは打席に立っているようなもので、絶好球が来ても、「これは自分の得意球ではない」と見逃し、いつか狙い球が来るだろうと待っているのである。

 バットを振らなければ、ボールに当たらないわけで、積極的に打ちに行かなければならない。球が見えていなければ当たらないが、そんな剛速球ばかりが人生の打席に投げられているわけでもないだろう。

 今回の満月海岸は、ボールが当たったような手ごたえがある。こういう傾向の球には極端に強いのかもしれない(自意識過剰か)。

 ただ、こういう球は日ごろの打席とは種類が違うので…、忘れないうちにまた打席に立ちたいのだわい(ヒッピー会場を渡り歩くのか)

 ついに違う球に手を出し始めたのですね(利用されないようにして下さい)

 

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