インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

理性と狂気

2009-07-10 20:57:00 | 聖なる木を創る、地域通貨
  コーヒーか、酒(どぶろく)か。金曜は酒でほざくか(三週連続)。

 子供(昔の我)が書いた小説(白馬)の訪問者数が、昨日11人…(ちなみにこのブログは134人…)。ほとんど読まれていないわけで、一昨日は8人(しかしページアクセスは135PVあったから、誰か砂地獄にはまられたようだわいどうでしたか)※あのブログをまた改造します(砂地獄の造成)。

 さて、
 昨日の最後、やけくそでる、という文があるが、それが正に100年前のインディアンのゴースト・ダンスであろう。

 ヤケクソの人間がどんどん増え、集まる。考えてもどうしようもないから、祈るなり踊るなりするしかない。そこでインディアンは予言者に従い、理性の力では打破できない状況(理性不足か?)を、シャーマニズムの力で解決しようとしたのである。その生命の叫びは、虐殺されて終わった。

 文明人の勝利に終わり、合理的な科学精神やら法治国家が根付いたわけである。しかしながら世の中はそう単純ではなく、カオスであり、非合理な部分が多い(合理的精神の限界)。

 一つのことに固執する、頑張ることは、狂うことである。良いか悪いかを別として。最善の結果をもたらすことが狂うことである場合もあるのだ。

 囚人のジレンマ(ゲーム理論)によると、自分だけが助かろうと、二人とも自白するから、二人とも重刑に処せられるのである(インディオ的解釈。結局は合理的な方向、双方自白に落ち着く)。

 本当に狂っていて何をしでかすか分からない者もいるが、ふつうは狂気の中にも理性がある(それがインディアンか?)。太鼓の音に従う動物の本能はそれに忠実なのかもしれない。アフリカ辺りでは、太鼓は「音楽」ではなく、社会的コミュニケーションの一つで、言葉「国語」である。

 囚人になるまで追い詰められ、死を感じたら、

 その言葉を読み取るのだ!(ほーほっほ、大地の踊り)

 ファンを狂わす野球観戦の応援ね(争いに巻き込むわけ)

 理性によって平和が持続すれば、それが一番です(このブログの書き手は狂気を抱えています。小説を読んでください)

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