田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

カルチャーナイト2024 in 知事公館

2024-07-21 20:26:33 | イベント
 昼の長い北国札幌では、毎年夏に札幌市内全域の公共・分化施設、企業施設を一日だけ特別に開放して文化的催しや、施設見学、子どもの向けのプログラムなどを提供する「カルチャーナイト」が行われている。今年は一昨夜7月19日に開催された。私は自宅近くの知事公館を訪れ、歌唱を中心に楽しませてもらった。

    

 札幌のカルチャーナイトは2003年にスタートし、今年で22年目だという。今年は85の施設が開放され、You Tubeで楽しむオンライン企画も同時に発信されたそうだ。
 札幌に来て初めの頃は、あちこちと巡り歩いたものだが、一昨年くらいからは自宅から近いこと、プログラムが豊富なことから「北海道知事公館」で楽しませてもらうことにしている。
 知事公館では公館の3つの部屋と、屋外の計4つの会場で時間を重ならないように工夫して実施されている。
 今年のブログラムは以下の通りだった。
 ◆1階食堂
  ◇「夏だ!メロディーコンサート」by マードレマードレ 
                          (15:30~16:10)
  ◇「クリスチャン・ミュージック・ショーケース」
        by ジェネレーション・ボイス     (16:50~17:30)                
  ◇「夏は来たりぬ~中世・ルネサンス・バロックの英国音楽~」
         by アンサンブル・ロビン        (19:00~19:40)
◆2階応接室
  ◇「長唄の魅力」 by NPO法人 邦研         (16:10~16:50)
  ◇「命を守る風呂敷体験」 by 日本風呂敷文化協会   (18:00~18:40)
  ◇朗読「アッシャー家の崩壊」 by 間瞬         (19:50~20:30)
 ◆1階応接室
  ◇「絵本よみきかせ会」 by コープさっぽろ えほんがトドック
                                                                                               (17:30~18:20)
  ◇「北加伊道(ほっかいどう)カルタを楽しもう」 by ぷろぐれっしょん
                           (18:40~20:30)
 ◆屋外
  ◇「竹あかり1000本で知事公館を灯しましょう」 
                              by 森の時間SNOW HOKKAIDO                 (17:00~20:00)
以上、実に多彩なプログラムだった。
 私はこのうち、前半の「夏だ!メロディーコンサート」、「長唄の魅力」、「クリスチャン・ミュージック・ショーケース」の三つのプログラムだけ楽しませてもらって帰宅した。
 「マードレ マードレ」は8人のお母さん方のコーラスグループだ。昨年は「全日本おかあさんコーラス全国大会」にも出場したという実力派グループである。グループのリーダーが平均年齢を明かしてくれた。それによると59.8歳だという。懐メロを中心に楽しませてもらった。

    
    
 続いて「NPO法人 邦研」による「長唄」を聴かせてもらった。三味線4本、歌い手4人の計8名での出演で「時致」と「鶴亀」の2曲を披露されたが、私にはどうもその魅力を感得するだけの素養が欠けているようだった。

    

 最後の「ジェネレーション・ボイス」はキリスト教普及のために各国から来日したボランティアの方々のコーラスだった。主に讃美歌を披露してくれたのだが、私には歌の意味も、歌の魅力もイマイチ理解することはできなかった…。

    

 とここで私は知事公館を後にしたのだが、ブログ上だけで交友のある「札幌・円山生活日記」さんが、なんと私と入れ違いに知事公館を訪れたようだ。この後の様子については「札幌・円山生活日記」をご参照ください。こちらのブログは写真の技術が素晴らしく、見ていて楽しめます。ぜひお勧めします。


ほくでんファミリーコンサート Vol.543

2024-07-20 19:22:07 | ステージ & エンターテイメント
 指揮者の粟辻聡氏の一挙手一投足に魅了されっぱなしの「ほくでんファミリーコンサート」だった。粟辻氏のそれは大胆にして繊細、頭の髪の毛から足のつま先まで全てが意味あるように操られ、オーケストラは華麗に奏でられた。

 少し日が経った。去る7月18日(木)夜、札幌コンサートホールKitaraにおいて第43回の「ほくでんファミリーコンサート」が開催され、運良くチケットを入手することができたので参加した。
 この「ほくでんファミリーコンサート」は、歴史があるうえ、市民に無料で開放されていることから大変人気があり、私はこれまで何度も申し込みながら抽選に外れていた。今回も私は抽選もれだったのだが、友人が運良く当選されて同伴者として参加することができたのだ。
 

 この日私は「PMF豊平館コンサート」のチケットを購入していたのだが、PMFの方は弦楽四重奏だったこともあり、迷うことなくオーケストラの方を選んだ。
 この日演奏されたのは次の3曲だった。
 ◆モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
 ◆スタラヴィンスキー/組曲「火の鳥」(1919年版)
 ◆ベートーヴェン/交響曲第7番 イ短調 op.92
 〈アンコール〉◆モーツァルト/ディヴィルティメント K138より第2楽章
 私が指揮者の指揮ぶりに魅せられたのは、私たちの座った席が大いに関わった。というのは私たちに割当たった席は、KitaraのLAブロックというステージを真横から見る位置だった。それは指揮台に至近距離でもあったのだ。
 だから私は、粟辻氏の顔の表情から、細かな手の動き、爪先の動向までよく見える位置だったのだ。

      

 一曲目のモーツァルトの曲が始まると、たちまち私は粟辻氏の指揮に目が釘付けとなってしまった。粟辻氏は大胆に体全体を大きく使って指揮を始めた。しかし、それはけっしオーバーには見えなかった。曲全体が盛り上がる時には大きく激しく、弦だけの囁くような曲調の際は小さく細やかに…、非常に表情豊かな指揮ぶりに私は吸い寄せられてしまった。
 過日のPMFオープニングナイトのエリアス・グランディ氏の指揮ぶりも魅力的だったが、粟辻氏の指揮にはまた違った魅力があるように思えた。
 札響の演奏の方はいつもの安定した演奏ぶりだった。私にはひとつ一つの演奏について論評できるほどの聴く力は残念ながら備わってはいない。私的には「火の鳥」の抑揚がはっきりとした曲が特に良く感じられた。クラシック初心者である私にはどうしてもベートヴェンの良さを感得できないところがある。どうもあの重厚な音が私の中では心地良い音として伝わってこないのだ。
 ともあれ、思わぬ形で指揮者に注目してしまったコンサートだった。粟辻氏の札幌での再演があったなら、またステージ横となるLAあるにはRAブロック席から彼の指揮を楽しませてもらおうかな?と思っている。

ヘルシーウォーキング㊶ オホーツクブルーの澄んだ空、太陽に愛された町・遠軽ウォーク

2024-07-19 13:51:49 | JRヘルシーウォーキング
 遠軽町のシンボル「瞰望岩」を中心とした「太陽の丘 えんがる公園」の広大さには驚いた。さらにそこが見事に整備されていたことも感動した。しかし、過疎が進行している遠軽の街の実状も垣間見せてくれた遠軽町ウォークだった。

    

 美幌町の〈イベントウォーク〉に参加した翌15日、遠軽町まで足を延ばし〈いつでもウォーク〉の対象となっている「遠軽町」のコースを歩いた。

    
 ※ 遠軽町のシンボル「瞰望岩」を撮っていたところJRの列車が通過するというシャッターチャンスを逃しませんでした。

 私は遠軽町在住の経験はないが、当時隣町だった生田原町に3年間勤務した経験があった。(現在生田原町は合併して遠軽町となっている)だから買い物などでよく遠軽町を訪れていたので、やはり私にとっては〈ふるさとウォーク〉の一つと思いながら歩いた。
 遠軽駅をスタートしたのはこの日も早く、朝7時50分にスタートした。この日の遠軽は曇っていて、気温も低く午前8時、街角の温度計は17℃と歩くには絶好のコンディションで気持ち良くスタートを切ることができた。

    
    ※ スタート & ゴールの遠軽駅は依然と同様に周りから一段高いところにありました。

 駅をスタートして直ぐに真新しい大きな建物が目に入った。マップには「遠軽町芸術文化交流プラザ(愛称:メトロプラザ)」とあった。遠軽町は音楽が盛んな街で、特に遠軽高校吹奏楽部は全国大会に何度も出場経験のある学校で、街全体でも音楽が盛んだと聞いているが、町の人たちにとってはシンボル的存在の建物ではないかと思われる。

    
    ※ 「遠軽町芸術文化交流プラザ(愛称:メトロプラザ)」の建物です。
 
 コースは遠軽駅の近くに聳える「瞰望岩」の真下に導かれる。垂直に切り落とされたような大きな岩は迫力十分である。その「瞰望岩」の真下に「遠軽神社」があった。

       
    ※ 「瞰望岩」の真下から撮った一枚です。
    
    ※  「瞰望岩」を背にして建つ「遠軽神社」です。

 「瞰望岩」を巻くようにして、「瞰望岩」の頂上に通ずる上りが続いた。歩き始めで気温も低かったために、思っていたほど困難も感ずることなく「瞰望岩」の頂上に立った。「瞰望岩」からは遠軽の街全体がパノラマのように見渡すことができる絶景を楽しむことができた。
    
    ※  「瞰望岩」の頂上から遠軽の街を俯瞰した一枚です。
※ パノラマ機能も使ってみました。

 「瞰望岩」を折り返してから、それに続く「太陽の丘 えんがる公園」に歩を進めたのだが、目的地は秋には丘全体がコスモスの花で埋め尽くされる「虹の広場管理棟」ということだったのだが、これが私を大いに迷わせた。公園内の散策路とあって目印になるものがなかったこともあり、地図読みを誤ってしまったようだ。広大な公園内を右往左往してしまうことになった。苦労して目的地には到達したものの、かなり時間を要してしまった。管理棟のところで同じくヘルシーウォーキングに取り組んでいた方から「迷ったでしょう」と声をかけられた。その方もかなり迷ったようだ。できれば分かりやすい目印のようなものがあると良いと思ったのだが…。管理棟のところから広がるコスモス園に花が満開になる様子を一度は見てみたいと思わせてもらったが、果たして実現できるだろうか???

    
    ※ 「虹のひろば」と称するコスモス広場を楽しむ施設です。
    
    ※ 前面の丘全体がコスモスの花で埋め尽くされるようです。    

 「太陽の丘 遠軽公園」を下ると、街の中心から外れた住宅街歩きとなった。退屈な住宅街の一角に、「遠軽小学校」の真新しい校舎が建っていた。

    
    ※ 真新しい遠軽小学校です。

 「遠軽小学校」を後にすると、住宅は疎らとなり変哲のない田舎道が延々と続いた。およそ4キロにわたる住宅街、それに続く田舎道は退屈なウォーキングだった。

    
    ※ このように田舎道が延々と続きました。

 やがてコースはJR石北本線を跨ぎ、国道242号線に出た。ここまで来ると見覚えのある風景となった。国道242号線を駅方向に向かって進むと、路傍に  「木楽館」と称する木工芸品の展示即売する建物が建っていた。

    
    ※ 遠軽町産の木工製品が展示即売されている「木楽館」です。

 コースは直接遠軽駅には向かわず、湧別川の堤防に導かれ、遠回りするようにゴールの遠軽駅に向かう。
 堤防沿いに「遠軽高校」があった。高校の野球グラウンドでは野球部が練習をしていた。確かこの時期、遠軽高校野球部は高校野球北北海道大会に進出を決め、大会地の旭川市に遠征しているものと思っていたのだが…。(後ほど調べてみると、1回戦に勝利し、翌日対白樺学園戦に備えて自校へ帰って調整していたようだ。翌日の対戦は残念ながら白樺学園に敗戦したとニュースが伝えていた)

    
    ※ 遠軽高校野球部が練習していました。

 遠軽高校は先に記した吹奏楽部の他に、ラグビー部、野球部など部活が盛んな高校で、オホーツク管内から生徒が集まっているとも聞いている。今後の活躍も期待したいと思う。
 堤防歩きも2キロ弱はあったのではないだろうか?この湧別川の河川敷はかなり大きく、その昔に私は3度にわたって「湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会」に出場した経験がある。その距離85キロである。私は朝早くからまる一日かかって白滝の山の中から湧別町まで走った(滑った?)のだが、ここの河川敷も息絶え絶えに通過したことが思い出された。
 堤防歩きが終わり、湧別川に架かる「いわね大橋」を渡り、遠軽の中心街に還ってきた。

    
    ※ 遠軽の中心街と住宅街を結ぶ「いわね大橋」です。

 コース途中に私が生田原町に在住当時から営業していたショッピングセンターは健在だったが、街そのものはすっかり元気を失っているように映った。

    
    ※ 閑散とした印象があった遠軽の中心街です。

 街を歩く人にも出会わずにゴールの遠軽駅に着いたのは10時45分だった。前日の美幌町のコースより時間がかかってしまったのは「太陽の丘 遠軽公園」で右往左往してしまったことが影響したようだ。                        
 ◇ウォーク実施日  2024年7月15日(祝・月)
 ◇歩いた距離    11.0 km

ヘルシーウォーキング㊵ 豊かな緑と川をいかした、自然と調和するまち・美幌 ウォーク

2024-07-18 13:02:40 | JRヘルシーウォーキング
 3年間もお世話になった街なのに初めて見る光景が多々あった。いかに自分が住宅と職場をひたすら往復していただけだったかを痛感させられた「ふるさとウォーク」だった…。

    

 今回は遠路遠征して美幌町で開催された〈イベントウォーク〉に参加した。
 実は私は1983年4月から1986年3月まで(40年前になるのかぁ~、遠い昔だなぁ…)、北海道教育委員会から派遣されて美幌町の社会教育を応援する任務に就いた。その美幌町で〈イベントウォーク〉が開催されると知って「ぜひとも参加したい」と思い、馳せ参じたのだった。

    
    ※ スタート地点となったJR美幌駅です。

 朝8時15分、美幌駅をスタートした。美幌駅前は私がいた当時は、美幌峠、屈斜路湖観光の玄関口として賑わっていたのだが、現在はバス会社の小さな社屋はあるものの当時に賑わいは感じられず昔日の感があった。

    
    ※ 美幌駅前通りです。どうしても寂しさは隠せません。

 スタート時はまだ時間が早かったためか参加者はまだ疎らだった。
 コースは直ぐに網走川にかかる「美禽橋」に向かう。その手前に「旅館 青葉荘」が目に入ったが、私が在町当時からあった旅館で懐かしかった。

    
    ※ 「青葉荘」は私が在町当時も営業されていた旅館でした。

 「美禽橋」からは網走川河畔を使っての「第43回美幌和牛まつり」の開催準備が進んでいた。ちょうど私が在町当時に始められたお祭りで、私も青空の元で牛肉を頬張った思い出が蘇ってきた。

    
    ※ 美幌観光和牛まつりの会場では開催準備が進められていました。
    
※ 網走川の流れです。和牛祭当日はいかだ下りの催しも行われ、職場の仲間といかだで川下りをしたことも思い出です。

 橋を渡って川向には「美幌みどりの村森林公園」が広がっていた。その傍らには町民スキー場「リリー山スキー場」があり、当時は指導員として活躍中だったこともあり懐かしいスキー場だった。

    
    ※ 規模の小さなスキー場ですが、街から近いことが利点でした。

 森林公園内には、「美幌博物館」やキャンプ場、運動広場などが広がっており、町民の文化・スポーツを楽しむ拠点的な存在となっているようだった。運動広場では、私がいた当時から美幌町ではフランス生まれの「ペタンク」という競技が静かなブームになっていたが、この日もたくさんの老若男女が集い「ペタンク」に興じていた。

    
    ※ 私が離町した後に建設された美幌町博物館です。
    
    ※ ペタンクに興じる人たちです。

 森林公園を後にすると、田園風景が延々と続いた。北見地方名産の玉ねぎ畑や、種類は分からないが豆類の畑などが広がっていた。

    
    ※ 北見地方の名産、玉ねぎ畑が広々と広がっていました。

 網走川を再び渡り対岸に移っても田園風景は延々と続いた。

    
    ※ コースの中にはこうした砂利道もありました。年寄りには危ないコースです。
    
    ※ 美幌神社の鳥居と奥には本殿が見えます。

 コースを3/4周ほど終えたところで美幌の市街地に戻ってきた。そして「魚無川」というなんとも恐ろしい(?)名前の付いた川沿いに導かれた。こうした川があったことも在町当時は知らなかった。この川沿いは住宅地に近いこともあってだろうか?とても良く整備された散策路になっていた。

    
    ※ 魚成川沿いの散策路です。

 そしてさらに街中に導かれると真新しい「美幌町役場庁舎」が建っていた。2021年に供用開始ということで北海道内初のZEB庁舎だということだ。私がいた当時の役場は古くて狭く、私が勤務していた社会教育課も庁舎内ではなく、外部施設に事務所を構えていた。

    
    ※ 新装なった美幌町役場庁舎です。

 コースはそのまま町の中心部に近いところに位置する「美幌小学校」校舎を横目に、「なかまち緑道」という素敵な遊歩道に導かれた。日曜日10時過ぎだったが残念ながら散策する町民の方に出会うことはなかった。

    
    ※ 街中にある美幌小学校の校舎です。
    
    ※ きれいに整備された「なかまち緑道」です。

 そして午前10時30分頃、人の姿がほとんど見えない美幌駅にゴールした。
 ゴールした後、美幌駅からほど近いところに私が勤務した社会教育課の事務所が入っていた「美幌町コミュニティセンター」に立ち寄ってみた。体育館を併設した建物そのものは当時の姿のままだったが、社会教育課の事務所はやはり新庁舎内に移動したとみえ、関連の表示は見当たらなかった。

    
    ※ 私が在町当時勤務していた「美幌町コミュニティセンター」です。

 それにしても前述したように、私は3年間お世話になった町にも関わらず初めて見る光景が多々あった。「美幌みどりの村 森林公園」、「魚成川の散策路」、「なかまち緑道」と…。
 あるいは私が離町した後に整備されたところなのかもしれないが…。しかし、40年前に見た光景が残っていたところも確かにあった。40年という時間は「懐かしさ」と「寂しさ」が入り混じった複雑なウォーキングとなった…。                                           
◇ウォーク実施日  2024年7月14日(日)
◇歩いた距離    11.5 km

無事に帰宅しました!

2024-07-17 22:30:12 | 道内の旅
 本日午後、北見市の芸術文化ホールにおいて道民カレッジ「まなびカフェ in オホーツク」の講座を終え、午後4時過ぎに北見市を出発し、午後8時過ぎに無事帰宅しました。

        

 「まなびカフェ in オホーツク」については、「図書館に行ってみましょう!」というテーマでお話をさせていただきました。予定していたことを話すことはできましたが、受講者の方々にどのように受け止められたかについて感想をお聞きすることはできませんでした。詳しくは後日にレポできたらと思っています。
 ともかく貴重な体験をさせていただいたことに感謝しながら帰ってきました。
 本日は詳しくレポートできる体力も気力もないので、明日以降に今回の小旅行を振り返ってみたいと思います。    

北見市に滞在した一日です

2024-07-16 15:53:14 | 道内の旅
 今日は一日北見市に滞在しました。
 昼間に北見市在住の知人と会いたいと思い、連絡したのですが不在のようで連絡がつかず、一日中図書館に滞在しました。
 明日「図書館に行ってみましょう!」と題して、少しばかり北見の方々の前でお話ししなければなりません。ほとんど原稿は出来ているのですが、話の内容を補強する意味でも良い機会となりました。
 今日は北見市も真夏日となり、相当暑かったのですが、図書館内は冷房が効いていて、快適に過ごすことができました。
 夜は年に一度の「兄妹会」です。例年は8月のお盆に集まっていたのですが、今年は私の来北に合わせて、妹たち3人が集まってくれることになりました。
懐かしく、楽しく語り合ってこようと思っています。
 明日が今回の旅のメインなので、深酔いに気をつけながら…。

北見にやってきました

2024-07-15 16:47:19 | 道内の旅
 今朝、午前中にヘルシーウォーキングの遠軽町コースを歩いてきました。前半は気温が低いうえ、曇っていたので大変歩きやすかったのですが、後半になると陽が照ってきて汗だくで歩きました。
 遠軽のシンボルである巌望岩がある太陽の丘公園は広大で良く管理が行き届いており、気持ち良かったです。この公園は秋になるとコスモスの花で満たされるので有名ですが、一度見てみたいものです。
 ただ遠軽もご多聞にもれず過疎による街の衰退が痛々しく感じました。
 ウォーキングを終えて北見に移動しました。今回の旅の一番の目的の準備のために北見市中央図書館で調べものをしようとしたのですが、休館日でした。
 そこで慌てて予定を変更し、明日に予定していた父母のお墓参りをしてきました。例年は8月にしていたのですが、今回の北見来訪に合わせることにしました。
 明日はゆっくり図書館で調べものをする予定です。

※ いつもはスマホで撮った写真は簡単に取り込めるのですが…。今日も願望岩の写真を載せようとしたのですが、ダメでした。帰宅するまでお待ちください。


遠軽に来ています

2024-07-14 16:07:07 | 道内の旅
 昨日、360キロ走って美幌町まで来て、本日のJRヘルシーウォーキング〈イベントウォーク〉の美幌コースを歩き、その後移動して今夜は遠軽泊まりで明朝〈いつでもウォーク〉の遠軽コースを歩く予定です。
私にとっては現職時代に過ごしたオホーツク管内ですから、〈ふるさとウォーク〉ということになりますが、懐かしさを感じつつのウォーキングでした。詳しいレポートは帰宅してから投稿します。

 今回のオホーツクの旅は三つも、四つも目的をもった旅なのです。その一つがJRヘルシーウォーキングなのです。その他については追ってお知らせすることにします。

※  写真を貼り付けることができません。すみません。帰宅してからということにします。

北海道初!公立夜間中学校「星友館中学校」訪問

2024-07-13 08:31:10 | その他
 北海道内に中学校未卒者が58,000人余りもいらっしゃるとは!?自分の不明を恥じるばかりだった。関係者の長年の願いが叶って、一昨年(2022年)北海道で初めての公立夜間中学校「星友館中学校」が開校されたが、この度同校を訪問する機会を得た。

    
    ※ 星友館中学校の入学案内パンフレットです。

 7月11日(木)の夕刻、市立資生館小学校内に併設する形で開校した札幌市立の夜間中学校「星友館中学校」を訪問・見学した。
 この催しは、私が所属する退職組織が年1回催す研修会の研修先として、今年は「星友館中学校」が対象となったために訪問することができたのだ。
 研修会は学校長による学校の概要説明と、実際に1時限目の授業の様子を参観する形で実施された。

   
   ※ 学校長の説明を聞く、退職組織の会員の方々です。

 私は以前に「遠友塾 自主夜間中学」も訪問した体験があった。しかし、学校長のお話を伺うと、「遠友塾」とは似て非なるものであることが分かった。
 公立夜間中学校とは、学校教育法で定める昼間の中学校と同じ中学校であるという点である。「遠友塾」の方は、民間の方々によって生徒の実状などに応じ、様々な形で授業を実施しているのとは基本的に違うことを知らされた。(例えば「遠友塾」は週1回の登校だが、公立中学校は毎日週5日登校するというように…)
 ただ生徒の実態は実に様々、多岐にわたるため教科指導は生徒の実態に沿って習熟度別に学年の壁を崩し、たくさんのコースを用意しているという。ちなみに星友館中学校では7コースが設けられていた。学年別・学級別に実施するのは「道徳・学活・総合」などだけだそうである。
 時程は17時30分までに登校し、40分授業で毎日4コマの授業がある。その間、給食時間もある。下校は4時間を終えた21時になるとのことだ。
 現在、星友館中学校には7月現在で113名が在籍していて、10代から80代までの生徒が通学しているという。このうち101名が札幌市内から、12名が札幌市外から通学しているとのことだが、市外の方は札幌市と覚書を交わした近郊の12市町村の方が通学可能となっているとのことだった。
 教職員も正規の教員などが校長、教頭をはじめ17名(養護教諭、事務職員を含む)が配置され、さらには時間講師7名、そして生徒の学習をサポートするボランティアが40名登録されているなど手厚く生徒たちの学習を支えている。
 学校長の丁寧な説明を聴いた後、17時30分から始まった1時限の授業の様子を実際に見て回った。校舎として併用している資生館小学校はとても余裕ある造りをしているため、中学校の教室は小学校とは別の教室に大人用の大きな机が用意されて授業を受けていた。
 授業は前記したようにコース別に授業が展開されていたが、そのレベルは様々だったが、生徒たちは老若男女が机を並べ、ほとんどの生徒たちは真剣に学んでいた。

    
    ※ 資生館小学校の前には「星友館中学校」の校名も加えられていました。

 素晴らしいなぁ、と思えたのは先生たちが教材研究をしっかりされて授業に臨んでいること伺えたことだ。学校全体が学校長を始めとして全体で新しい学校づくり取り組んでいることが窺えたことは嬉しかった。
 さまざまな事情で中学年代に学校に通えることができなかった中年、老年の方。そして、形式的には中学卒業はしたもののほとんど学校に通えなかった10~20代の若者。そうした方々が一人でも多く「星友館中学校」で学び、学ぶ楽しさを体得して中学校を巣立ってほしいと願いたい。

映画  新渡戸の夢  №377

2024-07-12 14:16:38 | 映画観賞・感想
 新渡戸稲造…、札幌農学校出身で国際連盟の事務局次長を務めるなど国際的に活躍された教育者・思想家であるが、キャリアの途中で母校札幌農学校の教師を務めた際、恵まれない境遇の子等のために「遠友夜学校」を設立し、初代校長を務めたエピソードを中心に描いたドキュメンタリーである。

      

 7月10日(水)午後、シアターキノにおいて映画「新渡戸の夢」を観た。
 この映画は国際的に活躍した新渡戸稲造の業績の数々を描いたものではない。彼の思想の源泉にあった「どんな人でも勉強する権利がある」という思いの実践の場として「遠友夜学校」を設立し、恵まれない人たちに無償の学び舎を提供し、彼の夢を受け継いだ人たちによって昭和19年に閉鎖されるまで50年間も継続し、延べ5千人もの人たちが「遠友夜学校」で学んだという業績に光を当て、そのエピソードを描いたものである。
 映画に「遠友夜学校」で学んだ人は残念ながら一人も登場しない。全ての人たちがすでに亡くなられていることから、実際に学んだ人たちの子どもに当たる方が二人登場し、親の姿を見たり、伝えられたりしたことを語る。
 また、「遠友夜学校」の精神を受け継ぎ、「平成遠友夜学校」と称して市民に学びの場を提供している藤田北大名誉教授の実践も紹介している。
 しかし、映画の大半は、やはり新渡戸の思いを受け継ぎ民間サイドで学びの場を提供し続けている「札幌遠友塾 自主夜間中学」の設立に関わり、長い間代表を務めた工藤慶一氏にスポットを当て、新渡戸の夢を引き継ぎ、実践を続ける姿を追う。

        
    ※ 遠友塾 自主夜間中学で教える工藤慶一氏の一コマです。(左の人)

 私が微笑ましいと感じたのは、「映画を出しても良い」と了解を得たと思われる一人お婆ちゃんの学ぶ姿だった。小学校の算数の問題を友人たちと試行錯誤しながらも、飾ることなく明るい表情で学ぶ姿が印象的だった。
 また、映画では「遠友夜学校」を設立したものの、長く学校を離れていた新渡戸が20数年ぶりに「遠友夜学校」を再訪した際に「学問より実行」という書を認めたというエピソードが紹介された。新渡戸は「学問の目的は人格の完成にある」ということを生徒たちに伝えたかったのだと映画は解説した。



 ※ 新渡戸稲造が「遠友夜学校」を再訪した際に認めた書です。右から読みます。 

 映画の最後は前出の工藤慶一氏は「北海道に夜間中学を作る会」の代表を務められていて、工藤氏が国会においてその請願をする場面で終わる。
その工藤氏たちの願いは、2022(令和4)年、北海道で初めての公立夜間中学校「星友館中学校」として開校され、工藤氏たちの願いは実現して現在に至っている。
 昨日、私はその「星友館中学校」を見学する機会を得た。その模様については明日レポすることにしたい。