田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

大気にはカオス的性質がある?

2017-08-21 18:18:21 | 講演・講義・フォーラム等
 大気の振る舞いにはカオス性といって、将来の状況を断定的には予測できないという性質があるという。したがって、長期的な天気予報には限度があるという。気象研究所の研究官であり、北大の研究者だった方から、気象予報の仕組みを伺った。 

 8月18日(金)午後、かでる2・7において、毎月受講している第6回の「かでる講座」が開催された。
 今回のテーマは「長期予報はなぜ当たらないか? ~地球温暖化って本当か~」 と題して、北海道大学名誉教授の山崎孝治氏が講師を担当した。山崎氏は長年気象研究所で気象についての研究された後、北大に転身された方だということだった。

               

 山崎氏のお話を伺うまでもなく、天気予報というのは不確実性のあるもの、という認識が私たちの中にはある。しかし、近年は近未来の予報精度が飛躍的に向上してきたことも私たちは実感している。
 予報精度が向上してきた理由は、ごく簡単に言うと、現状の気象観測をもとに初期値を作成し、その数値をもとに予報モデルの計算式に当てはめ、コンピュータに計算させるという方式が確立したことによるようだ。つまり、現状の気象観測の多様化、計算式の高度化などが精度の向上に寄与しているようだ。

 しかし、山崎氏は言う。予報精度が向上したのは10日~2週間程度内だという。(これを「決定論的予測可能時間」と称するそうだ)
 それ以上の予報は現在のところ不可能だという。その理由として「大気のカオス的振る舞い」があるという。「カオス」とは、いろいろな解釈があるが、もっとも相応しいと思われる表現は「想定外のことが入り混じり理解できない状況」あたりが適当かと思う。
 私流に解釈すれば、大気のようにふわふわして掴みどころのない物体(?)の2週間後の動きを予想することなど不可能な話である、ということだろう。

 そこで気象界における長期予報の方法は「アンサンブル予報」という手法を用いているということだった。「アンサンブル予報」とは、初期値を少しずつ異なるものを用意して計算し、多数の予報を行って、そこから統計的な性質を利用して最も起こりやすい気象現象を予報するという方法である。簡単に言うと、多数決の原理ということだろうか?

               

 さて、副題にある「地球温暖化」の問題であるが、この問題については一部研究者の間で見解の相違がある問題である。しかし、統計学的には明らかに大気中のCO2濃度が増し、気温が右肩上がりの状況となっているのは明らかであるという。地球上においてこのままCO2を出し続ければ温暖化が進行することは疑いないことだと山崎氏は指摘した。

 気象予報が現在のようにまだ完全なものでないということは、これから先研究が進むことによって“大気のカオス性”をも凌駕して長期予報が可能になっていくのだろうか?
 かなり興味深いテーマである。

北海道低山紀行 76 雄阿寒岳(阿寒湖畔コース)

2017-08-20 22:22:06 | 北海道低山紀行 & Other
 雄阿寒岳は私が想像していたよりはるかにタフな山だった。コースが長く、急登の場所も多く…。雄阿寒岳登山道の特徴は、合目の表示が均等に振り分けられていないことだ。これが私のような初心者には辛かった。 

 三日連続の山行である。三日連続は私にとって初めての経験だった。
 朝6時に起床し、朝食もとらずに登山口に向かった。登山口にはすでに2台の先行者の車があった。
 午前7時、阿寒湖の端になる古い水門からスタートした。天気は時折り太陽が顔を出し、期待を持たせてくれた。
 阿寒湖の縁を巡るようにして新しい水門を渡ると、湖から外れるとスタートから16分、水門から流れ出る阿寒湖の湖水が一時貯まる「太郎湖」に着いた。

               
               ※ 実質的なスタート地点の古い水門のあるところです。

               
               ※ スタート直後は阿寒湖の縁を辿っていきます。

               
               ※ こちらが現役の水門のようです。

               
               ※ 水門から溢れ落ちた水は太郎湖に向かって流れています。

               
               ※ 神秘的な雰囲気を漂わせる太郎湖です。

  「次郎湖」はコースを離れなくてはならないので、帰りに立ち寄ることにして先へ歩を進めた。
 「次郎湖」との分岐から本格的な上りが始まった。しかし、この上りはまだまだ序の口だった。
 1合目、2合目辺りは急登があったかと思うと、それが緩むところがあったりしてまだそれほどきついという感じはなかった。スタートから50分後、1合目の標識に到達した。
 さらに2合目に到達したのは1合目から30分後だった。

                    
                    ※ 二郎湖との分岐を過ぎたところからこの日最初の急登が始まりました。

               
               ※ 雄阿寒岳にも登山者数をカウントする機器が取り付けられていました。

               
               ※ 雄阿寒岳登山で閉口したこと一つが、登山道に倒木が横たわっているところが多かったことです。

               
               ※ 登山開始から48分かかり、ようやく1合目到達です。

 2合目を過ぎたあたりから徐々に登山道の様子が厳しさを増し始めた。そして私にとって堪えたのは、合目間のインターバルが長いことだった。
 ちなみにこの後、2合目→3合目間38分、3合目→4合目間32分、4合目→5合目間48分、という具合である。それが、7合目→8合目間は10分、8合目→9合目間は11分、9合目→頂上間は14分なのである。
 つまり、前半はインターバルを長くし、後半は短く設定してあるようだ。
 4合目標識には「半分以上クリアしました」、5合目標識には「8割クリア」という表示があって、「?」と感じたのである。
 おそらく関係者の何かに対する配慮なのだと思うのだが、登山者にとっては合目標識は登山をする上での大きな目安となるものだから、やはり登山道を等分に分けた標識の方が良いのでは、と思われるのだがいかがだろうか?

               
               ※ 2合目標識のところで、私は速くもザックを下ろしていますね。体力のなさを露呈しています。

               
               ※ クマが冬眠にでも使いそうな大きな洞(ウロ)がありました。

                    
                    ※ 雄阿寒岳では厳しそうな急登斜面を撮る余裕があまりありませんでした。

                    
                    ※ 写真は眼前に現れた大きな岩です。

                    
                    ※ これも厳しい上りの一場面ですね。 

 私にとっては、特に4合目→5合目間の48分間が厳しかった。もう休み処が全くない中、ぐんぐんと高度を上げていくのである。この間を登っているとき、この日5時にスタートした老夫婦が下りてきた。「きついところは間もなく終わりますよ」という言葉に励まされた。

               
               ※ あまり上部に行かない段階でも時おりこうしてガスが周りを覆いました。

               
               ※ これは高山で、しかも厳冬期の厳しさがこのような木の生長に繋がったのでしょうか?

 その言葉のとおり、5合目を過ぎると斜度はやや緩くなり、ジグを切りながら登る道へと変わった。林間故、眺望はほとんど効かないのだが、灌木やハイマツ地帯となって、ところどころで木の切れ目から阿寒湖畔が眼下に臨めるようになってきた。すっきりとはいかないが、これには山頂からの眺望にも期待が持てた。

               
               ※ 登山途中に観ることができた阿寒湖の全景です。湖の向こうに雌阿寒岳が見えます。

 そうするうちに、二つの門柱に迎えられた。8合目である。8合目は一つのピークで、山頂は8合目から一度下って、再び登り返さねばならない。山頂付近は残念ながら雲に覆われていた。
 二つの門柱は、戦中から戦後にかけて職員が常駐していた気象観測所の跡だという。

               
               ※ 8合目の測候所跡の門柱です。

               
               ※ 8合目から見た雄阿寒岳の頂上です。

 9合目のコルまで下り、最後の急登を登りきると雄阿寒岳山頂である。
 4時間35分もかけて、私が山頂に到達したときだった。一瞬、雲が切れ下界まで見通せる瞬間があった。頂上にいた人たちから歓声が上がったが、写真に撮る間もなく、再び雲に覆われてしまった。

                    
                    ※ 頂上直下の最後の胸突き八丁です。

               
               ※ ようやく到達した山頂です。背後にわずかに遠望できるところもあるのがお分かりいただけると思います。

 山頂自体は晴れていて、風もなく心地良かったのでゆっくりしたかったのだが、下山の時間を考えるとそうも言っていられなかった。
 おにぎりを一個頬張り、久しぶりに持参した「フルーツみつ豆」缶が疲れた体にことのほか美味しかった。これからも忘れずに持参しよう!
 頂上には結局35分間佇み、下山を開始したのだった。

               
               

 ところで、雄阿寒岳では前日の雌阿寒岳のときと違い、けっこう高山植物にも遭遇した。
 イワギキョウ、コケモモ、チシマアザミ、メアカンキンバイ(??)などなど。数は多くなかったが、特にイワギキョウの鮮やかな紫色はハッとする美しさだった。

               
               ※ イワギキョウ

               
               ※ コケモモ

               
               ※ チシマアザミ

               
               ※ メアカンキンバイ(??)

               
               ※ このチョウは何?

               
               ※ 帰路に立ち寄った「次郎湖」です。

 私にとって始めての三日連続登山だったが、可能性としては4日連続頑張ろうという気持ちもあった。しかし、下山してからの疲労の回復度をみると、三日で良かったと思っている。
 さあ、秋はどこへ行こうか??? 

【雄阿寒岳(阿寒湖畔コース) 登山データ】
標 高  1370.4m (標高差 955m)
駐車場  登山口に5~6台の駐車スペース有り(満車のときには500mくらい離れた国道沿いに駐車帯有り)
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(15分)→太郎湖→(33分)→1合目→(1時間12分)→3合目→(1時間20分)→5合目→(50分)→8合目→(25分)→ 雄阿寒岳山頂→(15分)→8合目→(30分)→5合目→(1時間00分)→3合目→(50分)→1合目→(15分)→二郎湖→(25分)→登山口
時 間  上り(4時間35分)  下り(3時間15分)  
天 候  晴れ、微風
登山日  ‘17/08/16

北海道低山紀行 75 雌阿寒岳(オンネトーコース)

2017-08-19 21:07:37 | 北海道低山紀行 & Other
 言葉は悪いが、私は「雌阿寒岳をなめていた」ところがあったようだ。というのもこれまで何度も登頂経験があったからなのだが…。しかし、高度1,499m、標高差854mの山は、今の私にとってそれほど簡単な山ではなかった…。 

 雌阿寒岳は私が育ったところ、現職として勤務していたところからもそう遠くなかったことから、何度か登頂の経験があった。家族登山や友人との登山など…。
 特に思い出に残っているのは、○○小学校に勤務していた時代、私は全校の行事企画や実施計画を担当する部署に就いていた時、「全校野外体験活動」を企画した。その内容は、6年生が斜里岳登山、5年生は25キロ海浜ウォーク、4年生が雌阿寒岳登山、(以下1年生までそのレベルに合わせた野外体験活動を組んだ)を計画した。
 私は企画担当として、事前踏査のための登山、そして本番にと、何度も雌阿寒岳に登っていたこともあり、「まあ、大丈夫だろう」という感じで、今回の雌阿寒岳登山に臨んだのだったが…。

               

 8月15日(火)朝、北見から登山口のあるオンネトー湖畔に移動し、7時55分登山口をスタートした。雌阿寒岳は人気のある山とみえて、駐車場にはたくさんの車が駐車していて、すでに多くの登山者が出立しているようだった。

               

 スタートして間もなく、野生動物を観察するカメラが目に入った。傍に寄ってみると、入山者数をカウントする機器だった。

                    

 そこを過ぎると、間もなく階段状の長い急登が待っていた。それでもそこを通過すると、針葉樹林に囲まれた平坦な道がしばらく続いた。その針葉樹林の間には苔が張り巡らされた素晴らしい光景だった。

                    

                

 雌阿寒岳の登山道の特徴の一つのように思えるのだが、針葉樹の根が張り巡らされ、それがちょうど階段状になっていて、高度を増していった。どこの登山道でも木の根がうまく登山者を助けてくれるが、雌阿寒岳はそれが非常に特徴的に思える。

                    

                    

 特に厳しい上りはないものの、時に下る場面も交えながら、高度をぐんぐん上げていく。
 林相が低くなり、ハイマツが目立ってきたな、と感じたとき6合目の標識があった。登り始めて1時間45分が経過していた。

                    

                    

 6合目辺りから足場は火山らしくザレ場となってきた。周りもハイマツだけとなってきた。
 上空は山霧が全体を覆っている。7合目に到達したとき、霧が小雨状になってきたのでレインウェアを羽織った。
 ザレ場は続く。周りはまったく見えない状態の中、黙々と山頂を目指した。何も見えないモノトーンの世界の中で、足元に咲き残ったかのような一輪のイワブクロが唯一目を楽しませてくれた。

               
               ※ カメラがよれているのではありません。立っている木が゜斜めになっているのです。

               

               

               

 8合目を過ぎると、硫黄の臭いが漂い始めた。火口からの噴煙のせいだと思われるのだが、火口はまったく見えない。
 
 私の記憶では、8合目を過ぎると火口の外輪山の淵を登山道が通っていたように記憶していたが、淵からはやや離れたところに登山道は設置されていた。
 やがて霧の中に、外輪山の淵が姿をわずかに現したが、全体は霧の中だった。

               

               

               

 9合目付近だったろうか、一人の登山者Fさんと話を交わした。雌阿寒温泉コースから登り、「阿寒富士を目指しているのだが…」ということだった。Fさんは、そうしてオンネトーコースに下りるということだった。私はそのとき「あゝ、その反対に自分は雌阿寒温泉コースに下りるという選択肢もあるなぁ」と考えていた。

 登山開始から2時間55分後、たくさんの登山者が憩う雌阿寒岳山頂に到達した。

                    

 風はなかったが、何も見えない山頂に長居は無用である。私は20分間佇んだだけで下山を開始した。雌阿寒温泉コースへ下りるか検討したが、この時点ではまだ阿寒富士への登頂も考えの中にあったので、登ってきたオンネトーコースを下りることにした。

 阿寒富士との分岐点の8合目に至り、阿寒富士を目指すべきかどうか迷った。しかし、先のブログにも書いたように、単に足跡を記すための登山では虚しさしか残らないと考え、そのまま下山することにした。
 その下山の途中で、件のFさんに再会した。Fさんも熟慮の末断念したという。
 そこで、山中で二度も出会ったのも何かの縁と考え、Fさんをオンネトー登山口から、Fさんの車が停車している阿寒温泉口まで私が送ることを提案した。

 Fさんは私とほぼ同年代で、神奈川県にお住まいの方で、釧路の姉のところに滞在しているということだった。学者然とした風貌のFさんは、動物の死骸や糞などを研究対象とされているというちょっとユニークな方だった。Fさんのホームページやブログを紹介してくれた。面白い出会いのあった雌阿寒岳登山だった。
 
【雌阿寒岳(オンネトーコース) 登山データ】
標 高  1499m (標高差 854m)
駐車場  登山口のあるオンネトー野営場に広い駐車場有り
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(1時間45分)→6合目(森林限界)→(1時間10分)→雌阿寒岳山頂→(45分)→6合目→(1時間15分)→登山口 
時 間  上り(2時間55分)  下り(2時間00分)  
天 候  曇り、微風
登山日  ‘17/08/15

【おまけの情報】 
 前日、兄弟で談笑しているときに「道の駅 あいおい」のことが話題になった。「道の駅 あいおい」は、タイヤキならぬ「クマヤキ」が最近話題になっている。クマの出没が多い道東ならではのグッドアイデアである。その道の駅の壁に「クマヤキ」が大きくデザインされていて、観光客がそこで記念写真を撮るのが定番となっているらしい。
 ところが、そのデザインの前に自動販売機がデーンと置かれていて、艶消しとなり評判が悪かったらしい。道の駅側も観光客の意見を取り入れ、自販機の設置会社に撤去を申し入れたという。すると、自販機の設置会社は、自販機の外観を塗り替えて、壁のデザインとの一体感を出したというのだ。兄弟は「ぜひ見て行け」と言ってくれたので、そこはしっかり道の駅に寄って、そこを写真の収めてきたということである。

               


北海道低山紀行 74 仁頃山(富里中央コース)

2017-08-18 20:44:52 | 北海道低山紀行 & Other
 仁頃山の登山道はとても整備されていた。それほどたくさんの山を経験しているわけではないが、整備度では随一ともいえるほど素晴らしかった。手作り感溢れる整備の様には、地元関係者の温かな心を感じさせてくれた登山道だった。 

 仁頃山は私にとって、いわば故郷の山である。オホーツク管内に生まれ、同管内で現職時代を過ごした私にとって、そう呼んでも違いはない。しかし、現職時代には山に登ることなど考えていなかった私にとって、仁頃山は遠い存在だった。
 それが退職後に山に登るようになって、一日も早く仁頃山に登らねばと思いつつ、今日まで実現できないでいた。

 実は昨年、登山口まで来て、雨のため断念した経緯があったが、今回もけっして好天に恵まれたわけではなかった。前日来の雨は止んでいたが、雲が厚く垂れこめているコンディションだったが、雨が落ちていないだけでも幸運と割り切り、登山を決めた。

          

 宿泊したキャンプ場から「富里中央コース」の登山口に移動し、6時15分登山を開始した。ここの登山口は、「富里中央コース」と、「奥新道コース」の共通の登山口のようだが、私は「富里中央コース」を選択した。これが正解だったかどうかは分からない。
 中央コースは、いきなりの急登から始まった。ぐんぐんといった感じで高度を増していく。10分も行動しないうちに全身から汗が噴き出してきた。

          

                   

 高度が増すにつれ、辺りには霧が漂い始めた。急登の途中に「息継ぎの座」と称して丸太製のベンチを配してあり、地元関係者の粋な計らいを見た思いだった。
 それからも急登を登り続けて40分、やがて比較的平坦な道に変わって15分、東新道コースとの合流点に至った。合流点には親切な案内板と共に、やはり木製のベンチが配してあった。

          

          

 合流点からは、奥新道コースと合流する「沼上分岐」を目ざして山腹を横切るようにトラバースするコースとなっていた。トラバースとはいっても徐々に高度を上げながらのトラバースである。

          

 途中に、そのトラバースするコース(横断道と称していたが)自体の中間点を表す標識があった。仁頃山には合目表示はなかったが、分岐点の表示や中間点の表示など、登山者を安心させ、あるいは励ます表示が過不足なく用意されていた。

          

          

 トラバースするコースの途中にあるという「水恋沼」を期待していたのだが、水量が不足していたようで、沼と呼ぶには少し寂しい様子だった。
 合流点から30分、奥新道コースと合流する「沼上分岐」に至った。

          

          

 沼上分岐からは、富里中央コース、東新道コース、奥新道コースの三つのコースが合流して山頂を目指すコースとなる。コースの周囲はクマザサが密生しているが、コース自体はきれいにササが刈られて気持ちの良いコースである。
 最初の急登ほどではないが、それなりの上りが続く。霧が徐々に濃くなる中、周りの木々がダケカンバの林になっていることに気付いた。

                  

          

 山頂近くになって、この日初めての登山者に出会った。高齢の婦人が下山してくる途中だった。コースはさらに西尾根コースとも合流し、霧に霞んだアンテナ塔が目に入ってきた。山頂に立つアンテナ塔である。
 周囲は霧に包まれ、何も見えない山頂だったが、こればかりは仕方のないことである。
 山頂には少し盛りをすぎていたようだが「ホザキナナカマド」という花が咲いていた。その花名も関係者が表示してくれていたために分かった花である。

                  

          

          

 また、頂上直下には山頂を極めた登山者たちのためにたくさんのベンチが用意されていた。極めつけは、山頂から少し離れたところに「花摘み場所」と称して簾を用意したところがあった。女性の登山者に配慮した施設である。どこまでも親切な仁頃山だった。

          

          

 下山は、「奥新道コース」を、1時間強をかけて降りた。途中3組の登山者たちに出会っが、普通はどうやら「奥新道コース」を登る人が多いようである。 

【仁頃山(富里中央<登山> → 奥新道<下山>)コース 登山データ】
標 高  829.2m (標高差 554m)
駐車場  登山口に5台くらい駐車できる空き地有
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(55分)→東新道との合流点→(30分)→沼上分岐→(30分)→仁頃山山頂→(20分)→沼上分岐→(35分)→西尾根コースとの分岐→(15分)→登山口 
時 間  上り(1時間55分)  下り(1時間10分)  
天 候  霧雨、微風
登山日  ‘17/08/14


撤退

2017-08-17 18:14:23 | 北海道低山紀行 & Other

 “撤退”というよりは、“断念”という言葉が相応しいとは思うのだが、“撤退”という語感と、そのイメージに強く惹かれるために敢えて“撤退”というタイトル名にした…。

 今朝、目を覚ましたのは、なんと午前7時25分だった。すでに行動を始めていなければならない時間だった。
 早速、外へ出てみると、空は厚い雲で覆われ、その上ぽつりぽつりと雨が落ちていた。
 その瞬間「これはダメだな」と判断した。そう判断した訳は、ねらいとしていた「ウコタキヌプリ」は、私にとってそれほど重要な山と考えていなかったことがある。「雨模様の中であえて登頂を目ざす山でもない」という思いと、先日来の疲れが取れていない私の身体が後押しした。

 つまり、登頂を目ざして登り始め、苦闘の末に“断念”したのであれば、“撤退”という言葉は相応しいが、今回の私の場合は闘う前に“断念”してしまったというわけである。

 “断念”したからには、後は“帰心矢の如し”で、ひたすら十勝地方を横断し、札幌へと走った。その帰路も間断なく小雨が降り続き、判断が過ちではなかったと思った。
 久しぶりに走った十勝路であるが、十勝を走るといつも思うことがある。
 十勝こそが、もっとも北海道らしい風景が点在する地方だと…。
 特にそのことを感じさせてくれるのが、国道241号線の士幌町から上士幌町辺りを走っているときである。
 良い天候ではなかったが、思わず車を止め、その光景にシャッターを切った私だった。

          

          

 明日から、今回の山行の様子を詳報します。


雄阿寒岳

2017-08-16 18:27:02 | 北海道低山紀行 & Other

雄阿寒岳はさすがその名の通り(?)雌阿寒岳より高く、長く、そしてタフな山でした。
山頂での休憩時間を除いた総行動時間は、実に7時間弱(詳しくは帰宅してからの詳細レポにて)、利尻山以来のタフな山行でした。

天候は朝晴れていて、期待したのですが、山頂では下界に雲ができて眺望は効きませんでした。山頂では太陽が拝めたのに、残念です。

今日は足寄の道の駅泊で、明日足寄の近郊にある「ウコタキヌプリ」という山に登って帰宅の予定ですが、かなり疲労が積み重なっているので、明日朝の私のコンデションと天候を見て判断しようと思っています。

写真は例によって雄阿寒岳の山頂標識を、それと8合目付近で眺めることのできた阿寒湖と、その向かいに見える雌阿寒岳の姿を、ちょっと雲がかかっていますけどね。




雌阿寒岳

2017-08-15 16:10:40 | 北海道低山紀行 & Other

どうやら今回の山旅は、お天気の神様から見放されてしまったようです。
今日は当初雄阿寒岳に登る予定を立てていました。
しかし、どんよりとした雲が空を覆っていました。

そこでこれまて何度も登った経験のある雌阿寒岳に切り替えました。(雄阿寒岳は未踏)雌阿寒岳なら眺望は効かなくとも、これまでの経験からなんとなくイメージできるからです。

ところが、私はこれまでの経験から雌阿寒岳を少し軽く考えていたようです。
年齢を重ね、体力もとても昔のようなわけにはいきません。
そのうえ、昨夜はかなりの深酒でした。
6合目あたりで体が動かなくなりました。
それからの辛いこと、辛いこと…。
なんとか登頂は果たしたものの、眺望はゼロ、当初は隣の阿寒富士も考えていましたが、霧の中を突っ込んでも、何も見えず、ただ登頂という足跡だけを残す行為に虚しさを感じ取り止めました。

下山をして、登山口の野中温泉の湯に浸かったら、疲れがドバーッと出ました。

明日も天候の回復はあまり期待できません。それでも雄阿寒岳を狙うチャンスはもうないのでは、と思いチャレンジしようと思っています。
今夜は阿寒湖湖畔キャンプ場が宿泊地です。早々に寝て明日に備えます。

写真は霧に霞む雌阿寒岳山頂標識です。


仁頃山

2017-08-14 15:40:43 | 北海道低山紀行 & Other

朝、目を覚まして外を見ると、全天雲っていましたが、雨は落ちていませんでした。
仁頃山登山決行です。
6時15分、富里中央コースの登山口から登山を開始しました。久しぶりの山行でしたが、良い汗をたっぷりかきました。
山頂は予想どおり霧で全く眺望は効きませんでした。残念!
(詳しい山行レポートは帰宅してから写真と共に)

下山後、たんのののんたの湯で汗を流し、父母の眠るお墓にお参りし、今夜は年一度の兄弟姉妹が集まっての懇親会です。(といっても男一人、女二人の三人兄妹ですが)

さあ、明日はどこに登りましょうか?予定は立てていますが、それは今のところ秘密です。予定どおりいかない可能性がありますから…。ともかくぜひとも晴れてほしいと思いますが、こればっかりは…。

写真は仁頃山山頂標識です


富里湖森林公園キャンプ場

2017-08-13 17:39:04 | 道内の旅

札幌から300キロ走って、北見市の郊外にある富里湖森林公園キャンプ場に来ています。
明日早朝に仁頃山に登ろうと計画してきました。ところが、今日は一日中雨が降っていたようで、現在も細かな霧雨が降っています。
明日霧雨程度ならレインウェアを着込んでも仁頃山に足跡を残そうと思っています。間断なく降るようでしたら諦めます。
明日、起きてからの判断ですね。

今回はお盆のお墓まいりを兼ねて、道東の山を2つ、3つ登る計画で来ました。問題は天候と、私の体力です。
さて、どうなりますことやら・・・。

写真は厚い雲に覆われた富里湖です。


外交における広報の役割

2017-08-12 16:42:33 | 大学公開講座
 近年の各国政府が発表する声明は、何が真実で、何が虚偽であるのか、判然としないような例が氾濫している。これは各国政府が意図的な声明を発することでの効果を狙っているところがあるという。外交における広報の役割について学んだ。 

               
               ※ 講義をする小浜祥子准教授です。

 昨日はラーメンレポ、一昨日はサッカー関連、そして本日は外交問題、と拙ブログの話題はあちらこちらへと激しく飛び回ることおびただしく、私自身が苦笑している。
 しかし、拙ブログはあくまで私が体験したことをレポするというコンセプトであるから、それも仕方のないことと私自身は割り切っている。混乱させてしまうこともあるかと思われるが、お付き合いいただければ幸いです。

 さて、8月10日(木)夜、北大法学研究科公開講座「社会の分断をいかに乗り越えるか?」の第3講が開講された。この日のテーマは「国際社会の分断と外交広報」と題して、法学研究科の小浜祥子准教授が講師を務めた。

 講師の小浜氏は言う。近ごろの外交広報は次のような特徴があるという。①政府による積極的な広報戦略、②新しい方法による国外発信、③政府間の「広報合戦」
 このことは、世界各国の政府の広報に同じような傾向が見られるということだが、日本政府の場合について振り返ってみると…、
 ①については、政府が積極的に「クールジャパン」を押し出していること。東京オリンピックを控え「おもてなし」キャンペーンを展開していることなどを指しているようだ。
 ②については、報道機関を通じて公式声明を出すという伝統的な方法ばかりでなく、SNSなどを使って発信し始めたことを指す。安倍首相も積極的にTwitterやFacebookで発信しているようだ。
 ③については、特に東アジアの各国同士が広報を通じて相手国の避難や自国の正当性を頻繁に繰り返している。

 こうして言われてみると、確かに中国や韓国政府の日本批判、あるいは米朝の政府同士のやりとり、あるいは我が国政府の菅官房長官の声明など、思い当たる節がいくつもある。
 こうした声明の中で、小浜氏は各国が互いに発するネガティブなメッセージに着目したという。
 ネガティブメッセージとは、相手を一方的に非難する声明のことであるが、これが氾濫すると、国際社会の分断をさらに深める可能性があり、国のイメージを傷つけることにもなりかねず、ひいては人々が政治に嫌気をさし、政治に無関心になる可能性があると心配する。
 なぜ、各国政府がネガティブメッセージを多用するのか?この疑問に対して、小浜氏らは外交広報の効果を調べるある実験をしたという。

 実験の方法は、多くの被験者に対する聞き取りによる調査であるが、その詳細は説明が難しいので省略する。
 実験の結果から分かったことは次の2点だったという。
 1.ネガティブなメッセージには強い効果が認められた。
 2.ポジティブなメッセージには文脈依存性がみられる。
  ・相手国の発するメッセージ
  ・人々がもともと抱いているイメージ
 つまり、ネガティブなメッセージには自国に支持を集め、相手国への支持を下げる効果があるということなのだ。
 一方、ポジティブなメッセージの効果は文脈に依存するということが認められたそうだ。
 こうした効果を各国政府は認識しているからこそ、ネガティブなメッセージが氾濫する状況を生んでいるようだ。

 こうした現況の中、小浜准教授は講義を次のようにまとめた。
 1.「なぜ国々は非難合戦を行うのか?」という問いに対しては、
一方的に非難されることの代償が大きいため、非難されたら、非難し返すということで非難合戦の様相を呈しているという。

 2.「非難合戦は東アジアにおける分断を深めるか?」という問いに対しては、
非難することで得られる支持は、非難されることで失う指示によってほぼ打ち消される、ことから憂慮されるような事態に今のところは向かわないのではないかということだ。

 3.「クールジャパン戦略に意味はあるのか?」という問いに対しては、
平時の外交広報によって自国に好意的な環境を作っておくことで、紛争時における情報発信がより効果的になるのではないか、と小浜氏は解説した。

               
               ※ 記者会見をする菅官房長官です。(web上から拝借)

 日本政府の広報官である官房長官の発言は、政府の公式声明であるから何時の時代も慎重であり、発言の裏の意図も感じられた。しかし、現菅官房長官の発言には時折りそれ以上の違和感を感ずることもあったが、その裏には外交広報のおかれている役割がこれまで以上に重要性を増していることがそうした発言に繋がっているということなのかもしれない…。