田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌歴史散歩 10 中央区・北海道神宮(1)

2017-11-14 20:17:23 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 さすが北海道神宮である。さまざまな石碑などが集中している感がある。ある新聞によるとその数31基とのこと。31基を一気に紹介するのは、さすがに食傷を覚えるであろう。よって2回に分けて紹介することにした。 

               

 北海道神宮境内の石碑類が31基とリード文で紹介したが、私は残念ながらそこまで多数の石碑を見ることはできなかった。
 というのも私の場合は、事前に北海道神宮の社務所に伺い、「境内の石碑の場所が分かるものはないだろうか?」と尋ねた際に、社務所スタッフの方からそれらの場所を示す北海道神宮発行のパンフをいただいた。私はそれを頼りに石碑巡りをしたのだ。そのパンフによると石碑等の数は22ヵ所だったのだ。私はそのうち、1ヵ所だけどうしても見つけられない石碑以外は見つけることができたので、21ヵ所の石碑類のうち、今回は10ヵ所の石碑を紹介したいと思う。
 
 ①皇太子殿下(昭和天皇)御成婚記念植樹碑 

                    
 今上天皇の父君である昭和天皇が御成婚を記念して植樹されたことを記す記念碑である。
 この碑は意外に目立たないところに立っている。北海道神宮の第一鳥居を過ぎ、第二鳥居が近くなった左手の大きな木が繁茂する小高い丘の中腹に立っている。注意すると見つけられるが、見過ごしてしまう場合もありそうだ。
 碑には大正13年5月と刻まれていたので、建立年だと思われる。 

 ②「献杉木壹千本」碑 

                    
 第二鳥居を過ぎ、玉砂利の参道を外れて右手に入ると、参道脇に札幌軟石製の石碑が立っている。
 資料によると、事業に成功した助川貞二郎氏が大正5年に北海道神宮に杉木を一千本献納したことを記念して建立されたようだ。

 ③福玉仙吉献桜百五十株記念碑 

                    
 「献杉木壹千本」碑からそれほど離れていないところにこの碑は立っている。
 福玉仙吉は開拓使初代判官の島義勇の従者として来道した。島は翌年罷免されて東京に戻ったが、福玉は北海道に留まり農業を営んだという。
 その後、島は佐賀の乱の首謀者の一人として捕縛された後、斬首の上梟首にされた。それを知った福玉はかつての主である島の死を悼んで明治8年に北海道神宮の境内に150本の桜の苗木を献納したその記念碑である。

 ④さざれ石

               

                
 史跡や石碑ではないが、本殿に入る前の右側に鎮座する「さざれ石」も紹介しておく。
 さざれ石とは、小さな石が集まったもので、石灰成分によって一つの岩になったものを「さざれ石」と呼ぶそうだ。さざれ石は日本各地の神社で見ることができるが、その理由は古くから神霊の宿る石と信じられているからだそうだ。
 最近の人たちは、いわゆるパワースポットの一つとして、この石に触ると頭が良くなるといわれて人気のスポットの一つになっているようだ。国歌の一節にも入っていることはご承知のとおりである。

 ⑤島義勇の像 

               
 島義勇が北海道開拓の礎となったことについて私が説明するまでもないことなので、そのあたりについては割愛する。ただ、島が開拓使判官を命ぜられ、明治2年、国造りを行った神として古事記が記す大國魂神・大那牟遅神・少彦名神の三神の御霊代を背負い札幌入りしたことはあまり知られていないかもしれない。
 そして島は札幌の街づくりを計画する際、当時の札幌神社を円山に決めたといわれている。
 明治49年、明治天皇の神霊を合祀して札幌神社が北海道神宮となり10年経ったことを記念して、本殿入り口脇に高さ4メートルの大きな像が建てられたそうだ。
 
 ⑥「御即位十年記念献木」碑(大正天皇) 

               
 この碑は、表参道から一本それた散策路のそばに立っている。
 資料によると、大正天皇の御即位10年を記念して、当時の札幌銀行会社懇話会が100株の桜の木を献納して植樹されたことをこの碑は示しているという。

 ⑦奉納太々神楽寄金之碑 

               
 この碑は、裏参道から境内を本殿方向に進んでいく途中の林の中に立っている。
 若干資料にあたったが、見当たらなかったので私の拙い推測を記してお茶を濁す。この碑は、北海道神宮で催される太々神楽を行うために寄金を集めたことを記す碑のようである。建立は、「明治二十四年六月大祭日建」となっている。
 なお、太々神楽とは、伊勢神宮に奉納される太神楽のうちでも最も大掛かりな神楽のことを言うそうだ。

 ⑧御鎮座五十年玉垣門記念碑 

                
 北海道神宮の本殿から第三鳥居に向かって進むと、右手の林の中に三つの碑が並んで立っている。その中で、自然石を少し加工しただけの古びた碑がこの「御鎮座五十年玉垣門記念碑」である。碑は札幌神社が遷宮して50年にあたり玉垣門を造成した記念碑ではないかと言われている。
 札幌神社が円山に遷座されたのが明治4年だから、それから50年後というと大正11年に建立されたことになるようだ。


 ⑨皇軍全勝祈祷之碑(日清戦争) 

                    
 三つ並んだ碑の真ん中に位置するひときわ大きな円筒状の碑が「皇軍全勝祈祷之碑」である。この碑は、明治27年から翌28年にかけて戦われた日本と中国(当時の清)間の日清戦争における勝利を祈願して建立されたものと思われている。

 ⑩日露戦役記念碑 

                    
 三つ並ぶ中、最も本殿から離れた位置に立つ白っぽい小さな碑が「日露戦役記念碑」である。
 日露戦争は、明治37年から翌38年にかけて日本とロシアの間で、主として朝鮮半島と満州南部で戦われ、日本軍の勝利に終わった戦争である。
 その建立の由来などについてははっきりしないところが多い。そもその「戦役記念」とは何を意味するのだろうか?「勝利」という文字を使用せず「戦役」としたところに何か意味がありそうにも思われる。勝利という結果だったとはいえ、非常に大きな犠牲を伴った戦争だったことを意味し、後世に伝えようとしたのだろうか?

               
          ※ 境内を散策しているとき、枯葉の中でせっせと餌を探すエゾリスがいた。人慣れしているのかまったく逃げる気配がなかった。

 やはり北海道神宮の境内に建つ石碑は他所とは趣の違う石碑が多い。特に目立つのが献木と寄金とか、献納に関する碑である。神宮が、あるいは神宮の森が多くの方々の基金や献納によって成り立っていることが分かる。
 また、時代を画した記念の石碑が多いことも、やはり北海道神宮ならではと思わされた。
                                             (2017/10/31)
 


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