上二股を通過し、いよいよ山頂が視野に入ってきたが、私はまたまたアクシデントに見舞われた。山の神は私を苛め続けた。山の神はもしかすると、私に何かを囁きかけていたのかもしれない…。しかし、嬉しい出会いもあった斜里岳登山だった…。
「上二股」からは沢から離れて、ダケカンバのトンネル状のコースとなる。このあたりになると、疲労から連続して登り続けることは困難となっていた。立ち止まる回数が明らかに増えてきた。ダケカンバの林間を登り続けると、やがて「馬の背」に続くガレ場に出た。「胸突き八丁」と呼ばれる急斜面である。天気も良く、見晴らしも良くなってきたが、喘ぎ喘ぎの登坂だった。なんとか「馬の背」に着いたが、私はそこで大休止を取らざるを得なかった。「馬の背」まで出ると、眼下には斜里や清里の畑作地帯がパッチ絵のように広がっていた。
※ 途中で展望が開けるところがありましたが、斜里岳山頂の方向ではありません。
※ 「馬の背」目ざしてのガレ場の急斜面です。
※ 「馬の背」から斜里岳の山頂が望めます。(右側のピークが山頂です)
※ 「馬の背」から下界を展望しました。
「馬の背」からは山頂が望めたが、ここからがまた一苦労だった。なんと登っている途中に大腿部の裏側からふくらはぎにかけて激痛が走ったのだ。いわゆる「足が攣(つ)った」状態になった。こうなると痛くて一歩も動けない。私は足を伸ばしつつ、岩場に腰かけて痛みが引くのを待つ以外なかった。この時不安なことがもう一つあった。休んでいると猛烈に眠気を催すのだ。これはいったい何のサインだったんだろうか?痛みが薄らいで再び行動を起こす。しばらく行くとまた痛みが走る。馬の背から山頂までは10分行動すると、10分休むといった具合で、結局「馬の背」から「山頂」までの僅かな区間に65分もかかってようやく山頂の土を踏んだ。山頂の眺望は360度広がり素晴らしい眺めだったが、私にはその眺望をゆっくり楽しむ余裕もなかった。
※ 山頂の人影が見えるのに、ここからが遠かったぁ…。
※ 山頂直下に設けられていた「斜里岳神社」の祠です。
※ この日は抜群の眺望に恵まれました。
下山はさらに深刻だった。脚部には下山時も度々激痛が走り、その度に休みを取りながら騙し騙し下山を続けた。さらに水分の不足も深刻だった。脚の筋肉が疲労しているため、下山の様子は他人から見ると、私の歩みは老人そのものの歩みに見えたのかもしれない。私を追い抜いていく人たちが「大丈夫ですか?」と私に声をかけながら通り過ぎていった。
そうした中、下山中にかなりのグループが停滞しているのに出会った。事情を聞くと、一人の人が頭を強打し動けなくなって救助ヘリコプターを待っているのだという。私には何も援助する術がない。というより、私自身が日没までに下山できるか危うい状況だったので、先へ急がせてもらった。その後、救助ヘリが件の彼を救助する様子を遠望することができた。山登りも気をつけなくては!
※ 遭難者を救助しようとしている救難ヘリ(ドクターヘリ)です。
※ 下山の尾根コースは、向こうのピーク(熊見峠)を通過して下山します。
下山に旧道の沢コースを下るのは危険と判断し、時間はかかるが距離の長い新道コース(尾根コース)を下りた。このことで余計に時間がかかった。こちらは一つの峠(熊見峠)を越えるため、またまた上りがあって疲れた私を責めた。水分はついに底をついた。
結局、登りより時間をかけて、登山口に着いたのは午後4時30分だった。都合、私はこの日10時間近く斜里岳登山を楽しんだ(?)のだった。これはおそらくこの日入山した中では最も長く登山を楽しんだ一人ではなかったのか、と思っている。
「疲れた」、「辛かった」のオンパレードで、読んでいただいた方にまで「辛さ」ばかりを強調するなレポになってしまった。恥ずかしいかぎりであるが、本当のことだから隠しようがない。あるいは「山の神」は私に登山からの引退を迫っているのだろうか?自らの肉体と向き合い、じっくりと考えてみたい課題である。
しかし、辛かったばかりではない。辛さの中に嬉しい出会いもあった。心優しき女や男の物語を最後に綴りたい。
心優しき山女・山男
25年ぶりの斜里岳登山はレポしたように悪戦苦闘の連続だったが、そのことによって思わぬエピソードが生まれ、心優しき山女や山男の真情に触れた登山でもあった。
〔エピソード1〕
私の登山の前半、下二股の手前の小さな崖において不覚にも滑落してしまったことを触れた。その際である。私の後ろを登っていた婦人が、私の様子を見て「サビオ(ガーゼ付き絆創膏)を持っていますか?」と聞いてきた。私はズボンが泥にまみれた以外、どこにも支障がないと思っていたのだが、婦人に指摘されて指先から出血していることに気が付いた。婦人はザックからサビオを取り出してくれ、親切に手当てをしてくれた。さらには「予備に」と言ってもう一枚のサビオを私に渡してくれたのだった。あゝ、心優しき山女よ!
〔エピソード2〕
馬の背を過ぎ、山頂を目指していた時に“足を攣(つ)った”と記した。後続の人たちが心配し「ゆっくりと休みながら登ってきてください」とアドバイスしてくれた。私はその後、彼らのアドバイスどおりに休み休み山頂を目指した。山頂に立った時、件のアドバイスをしてくれた方が「大丈夫でしたか?」と声をかけてくれた。私は「ハイ。足が何度か攣りましたが、今は大丈夫です」と答えた。すると、その会話を耳にした女性が私の傍に来て「足が攣ったとき、この漢方薬を飲んでみてください」と一包の薬を手渡してくれた。見ると「芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)」と記されていた。下山時に痛みが出た際にさっそくその薬を服用させてもらった。実は服用後も何度か痛みに襲われたが、大事に至らなかったのは薬の効用だと思っている。あゝ、心優しき山女よ!
〔エピソード3〕
滑落した際に、持っていたお茶入りのペットボトル(670ml)を落としてしまった。私の水分はステンレスボトルに入れたスポーツドリンク350mlだけだった。長時間を要する斜里岳登山にはとても間に合わない。私は喉の渇きを覚えても口を湿らす程度で我慢しながら登り、そして降り続けた。しかし、それも限界だった。下山途中についに水分は底をついた。水分無しの状態で下山を続けていたが、喉の渇きは限界を超えていた。私は恥も外聞も投げ捨てて、下山時に私を追い抜いていく男性に声をかけた。「余分の水分はないでしょうか?」と…。すると男性は快く「ありますよ」といってザックの中からペットボトルを出し、「それ持って行っていいですよ」と言ってくれた。これには助かった!私はいただいた水に力を得て、無事に下山できたのだった。あゝ、心優しき山男よ!
次には私が “心優しき山男” にならなくちゃ!
【斜里岳(清里コース) 登山データ】
標 高 1547m (標高差 862m)
駐車場 登山口の清岳荘前に広い駐車場がある(有料510円)。
行 程 ※ グランドシニアがかなり情けない状態で上り下りしたとお考えください。
登山口→(60分)→下二股→(115分 ※旧道コース)→上二股→(115分)→斜里岳山頂→(80分)→上二股→(75分 ※新道コース)→熊見峠→(70分)→下二股→(80分)→登山口
時 間 上り(4時間50分) 下り(5時間5分)
天 候 晴、微風
登山日 ‘19/08/14
結果オーライでしたが、臨場感溢れる表現もさすがです。
最後に遠慮しないで水を頂戴したのは大正解です。この時期、あれだけの水分では危険な状態でした。足の痙攣も無関係ではないです。
芍薬甘草湯は、私は使ったことがないですがほんとうに効くようです。
いろいろな好意に触れることができ、いろいろな意味で忘れられない山になりそうですね。
斜里だけごときで…、という思いもありますが、今はそれが私の実力なのかもしれません。本文では触れませんでしたが、前々夜の兄妹たちとの痛飲、その前日のsakagさんとの懇親があるいは響いていたのかも、とも思っています。しかし、そんなことより我が体力の無さが最大の原因です。
それに比して、札幌に出られてその帰りに軽~く羊蹄山を登ってしまうsakagさんの体力、気力にはもう驚きの以外ありません。
今回の斜里岳体験は少なからず私にショックを与えてくれました。今後どうするか、ちょっと考えてみようと思っています。
斜里岳、半世紀近く前に登りました。山頂から国後島が見え、以来、山にはまっています✌️
まだ20歳ちょっとだったので、さほど苦労しなかったと思いますが、今なら、こちらの記録と同じで大変だったかも😅
そう、私も山ではたくさんの親切に出会いました。困っている人がいたら優しくせねばと思っていますが、実行できているかは……(苦笑)
いや~、過ぎ去ること5年半前のことですが、今思い出してもあの辛さはけっして忘れることができません。
体力の衰えを嫌~~~っというほど味わわされた斜里岳でした。
現在はもう山から離れて3年(近郊の山は今年も登りましたが)、登山の魅力は 未だに忘れませんが、もうちょっと無理ですなぁ…。(涙)