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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ハーレム・ルネサンスを聴く

2013-02-27 20:33:40 | 講演・講義・フォーラム等
 1920年代、ニューヨークのハーレムにおいて奴隷から解放された黒人たちの子孫によって独特の文化が形成され一斉に花開いた時期をハーレム・ルネサンスと称するということだ。ハーレム・ルネサンスについて在札幌米国総領事館の担当領事から聴いた。

               

 2月23日(土)午後、札幌国際プラザで開催された「アメリカンコーナー講演会」に参加した。講師は在札幌米国総領事館の広報文化交流担当領事のジェフリー・ダフィー氏で、テーマは「アフリカン・アメリカンがもたらす文化の多様性」であった。

 ダフィー氏は最初に1920年代にハーレムで隆盛を誇ったナイトクラブ「コットンクラブ」の様子を撮影した動画を提示した。そこではジャズオーケストラが奏でられ、ステージでは踊り子たちが舞っていた。この動画が特異だったのは、ジャズを奏でたり、踊りを踊ったりしているのは全て黒人、それを楽しむ客たちは全て白人ということだった。
 この光景はハーレム・ルネサンスが勃興する初期の光景であった。

               
          ※ 在札幌米国総領事館 広報文化交流担当領事のジェフリー・ダフィー氏です。

 背景はダフィー氏によると次のようである。
 南北戦争(1861~ 1865年)が終結したことによって奴隷制度は廃止されたとはいっても、南部における人種差別は色濃く残っていたようだ。それを嫌った黒人たちは人種差別の色が濃くなく、しかも職を得ることができる北部工業地帯へと多くが移住したということだ。その北部への移住の中でニューヨークにも多くの黒人が移り住んだのがハーレムだった。(南部から北部に移り住んだ黒人は約600万人とも言われている)
 多くの黒人たちがハーレムに結集し生活することで、そこに濃縮された独特の文化が形成されていったという。
 
 その文化が花開いた背景には白人が大きく関与しているという。先に紹介した「コットンクラブ」もその例に漏れない。比較的リベラルな白人の寛容さ、弱者(黒人)から強者(白人)への温情的な干渉、黒人に対する罪意識からくる援助などによって、彼らの発表の場が用意されたということだ。

               
     ※ 「コットンクラブ」でデューク・エリントン楽団を率いて活躍したデューク・エリントンです。

 アメリカ文化については全く疎い私である。ダフィー氏がハーレム・ルネサンスで活躍した文化人を次々と紹介されたがよくは分からない。分野と名前だけを紹介する。
 絵画のジェームス・ローレンス(1027-2000)、ノルマン・ルイス(1909-1979)、ジャズのデューク・エリントン(1899-1974)、ルイ・アームストロング(1901-1971)、トマス・「ファッツ」・ウォーラー(1904-1943)、写真のジェームス・バン・ダージー(1886-1983)、作家のラングストン・ヒューズ(1902-1967)、クラシック音楽のウィリアム・グラント・スティル(1895-1978)等々である。

          
          ※ トランペットの名手ルイ・アームストロングです。

 他の分野のことは分からないが、現代のアメリカのポップミュージックシーンにデューク・エリントンやルイ・アームストロングたちが与えた影響は相当に大きなものがあると思う。おそらく他の分野においてもその多寡は違えども、確実に現代に影響を及ぼしているものと思われる。

 アメリカの現状については全く無知と云っていい私だが、領事がアフリカン・アメリカンについて紹介するのだから、今や彼らが創りだす文化を抜きにしてアメリカ文化を語ることはできないということなのだろう。


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