石狩川河口 ⇒ 石狩河口橋 トレッキング月日 ’18/09/10
久しぶりに訪れた石狩川河口は穏やかな表情だった。地震ロスから脱却しようと、ふと思いついたリハビリトレッキングだったが、脚力も心肺機能も相当に衰えていることを思い知らされた。それでも一筋の明かりが見えたような…。
今朝、起床してからふと思いついて車を石狩川河口に向かって走らせた。
ふと思いついた、と書いたが計画そのものは以前から温めていたものである。
というのも、私は2014年から5シーズンかけて「冬の石狩川河岸を遡る」というプロジェクトに取り組んでいる。現在のところ5シーズンかけて石狩川河口から上川町まで辿り着いたことは拙ブログでもレポしている。
今年に入ってから“夏版”の石狩川河岸遡行があってもいいのでは、と考えていた。
そのコンセプトは、①“冬版”が右岸を遡行したので、“夏版”は反対の左岸だろう。②夏は川岸近くを歩くことはほぼ無理なので、堤防上を歩くことが主となろう。(このため、川面が見えないケースがかなり多いと予想される)③冬とは違い、一日20~30キロ程度は進むことが可能だろう。etc.etc.…
と考えてはいたが、はたして「やる価値はあるの?」という点で躊躇しているところがあった。その上、今季は私の体調不良が重なり、思いだけが空回りしていた。
そんな中、昨日投稿したように私の中では悶々とするものがあった。そこで今朝、起床してから突然「あれこれ考えずにとにかく現地に行ってみよう!」と家を飛び出したのだ。
車を石狩川河口橋のところまで走らせ、まずはスタート地点となる石狩川河口を目指した。天候は曇り、風はなく、気温も高くなかったのでトレッキングをするには良いコンディションだった。
およそ一時間半かけて(およそ6キロ?)石狩川河口に到達した。
石狩川の左岸は、日本海と石狩川河口に挟まれてできた砂州で、過去から次第に伸びて形成されたそうだ。そして砂州の先端は季節によりその個所が移動するということが報告されている。
今日見た砂州の先端は日本海の方に突き出しているように見えた。
河口の先、日本海は小さな波が出来ていたが、石狩川の方はさざ波も見えず静かな様子だった。
※ 本日の石狩浜の砂州の先端部分である。日本海の白波が立っている。
※ スマホで現在位置を確認しました。青い点のところが私が立っているところです。
※ 右側は石狩川河口、前方は右岸の先端です。その先の切れたところが日本海です。
14時30分、砂州の先端をスタートした。
最初は砂地を歩く。直ぐに先端近くまで関係者の車両が出入りできるように砂地が固められ車が一台走ることのできる道路となっていた。
足元にはハマナスの実が赤く色づいているものが沢山見えた。すると、道路上に幾本もの亀裂が走っているのが見えた。先日の地震で石狩地方は相当に強い揺れがあったと報じられているから、砂地であるこの辺りに亀裂が入ったのでは、と想像される。
※ 秋です。ハマナスの実がたわわに実っています。
※ こうした亀裂が何カ所もありました!恐ろしい!
やがて木道に導かれる。石狩浜は貴重な海浜植物が多いということで、観光客たちが踏み入らないように木道が設置されているようだ。周りはススキの穂が一面を覆い、秋を感じさせてくれる。
※ 秋です。木道の両側はススキの穂に覆われていました。
やがて北海道に現存する灯台で最古といわれる「石狩灯台」に達する。この灯台は1882(明治41)年建設されたということだが、その当時は石狩浜の先端が灯台のところだったという。凄い勢いで砂州が伸びたことが分かる。なお、この灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」のモデルになったことでも有名である。
※ 石狩灯台です。その横(左側)から石狩川の堤防が始まっていました。
この灯台のところから石狩川の堤防が築かれている。
堤防上はアスファルト舗装がされていたり、砂利道だったりとさまざまである。
※ 時にはアスファルト舗装で…
※ またあるときは雑草に覆われて…
また、石狩浜にできた弁天浜の集落のところでは堤防をウォーキングロードとして活用するように建設されたようだ。両側を柵で囲い、足元はクッション性の良い素材で舗装されていた。ところが住民はあまり利用していないのだろうか?舗装上は雑草で一面覆われていた。せっかくの施設があまり利用されていないようである。
※ 堤防上から弁天浜集落を写しました。
※ 堤防上が立派なウォーキングコースとなっていたのですが…。向こうから一人ウォーキングをする老人が歩いてきます。
面白い光景に出合った。
石狩川河口を漁場とする漁師の方たちが舟を止めるための桟橋がずらーっと並んでいた。ところがそこには一艘の舟も見当たらないのだ。そこから少し下流に下ったところには沢山の舟が繋がれていた。というより陸に揚げられていた。
近くを通った人に尋ねてみた。すると、その人は漁師ではなかったようだが、「先日の大雨で水位が上がったために舟を上げたのではないか」ということだった。その方によれば、いつもは桟橋に舟は繋がれているとのことだった。
※ 写真のように小舟が逗留する桟橋がいくつも、いくつも見えたのですが舟はまったく見えません。
※ しばらく行くと、ご覧のとおり小舟がたくさん陸揚げされていました。
堤防からは常に石狩川が視界に入れながらのトレッキングである。
石狩川の様子は無風とあってべた凪状態である。下流も海近くになるとその流れは相当に遅くなるようだ。
※ 石狩川は油をたらしたようにべた凪状態でした。
「冬の石狩川河岸を遡る」シリーズで河岸を歩いた際、その景色が大きく変わらないところがレポする側としては辛いところがあった。それは夏も同じである。だから私は河岸にある“水門”や“樋門”があるとできるだけレポートしていた。今回もできるかぎり“水門”、“樋門”その他水利施設をレポしていきたいと思う。今回は次の三つの樋門に出合った。
※ 渡船場樋門とは、この近くに渡船場があったということでしょうね。
※ 「親船樋門」とは、どういう意味でしょうか?
※ 「赤井川樋門」は赤井川が石狩川に流入するのを制御する樋門でしょうね。
※ 石狩川の水嵩が増したときの目安となる水位を教える棒杭のようですね。
河口からやはり1時間半ほどかかり、「石狩川河口橋」に到達した。
※ この日のゴール「石狩川河口橋」の特徴ある橋脚です。
私としてはペースも早かったが、疲労困憊だった。ほとんど運動らしきことをしなかった2か月間のツケが回ってきた感じである。
第一日目は2~30キロどころか、わずか6キロ程度進んだだけである。(もっとも往復したので12キロとはなるが…)
足の状態もまだ完全ではない。徐々に、徐々に回復を目指して、できれば本格的に“夏版”の石狩川河岸遡行に取り組みたいと思っているのだが…。
でも、もう秋かぁ…。