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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 54 夜霧よ今夜も有難う

2011-08-26 21:59:33 | 映画観賞・感想

 「忍び合う恋よ包む夜霧よ~♪」…、と歌う祐ちゃんの唄でお馴染みの 「夜霧よ今夜も有難う」である。戦後日本の映画界を席巻した石原裕次郎の映画である。良くも悪くも大スター石原裕次郎だった。 

     

 バタ臭いとか、演技がヘタとか一部から酷評された石原裕次郎だが、その存在感は抜群だった。
 日本が戦後の復興期から高度経済成長に向かう中、裕次郎野の格好良さと全体から発散する育ちの良さは当時の若者が憧れ熱狂した。さらには、日活映画のアクション路線が昨日レポートした健さんのヤクザ映画にも通ずる勧善懲悪ものだったところが当時の人たちを捉えたのだと思われる。

 健さんの映画も、日活アクション映画も最後は暴力に訴えて解決を図るところはけっしてほめられたものではないのだが、正義を貫くためには暴力を用いることもいたしかたなしという雰囲気が当時はあったということだろうか?(もちろん映画というフィクションの世界のことだが…)

        
        ※ 映画の中の一コマで主役の二人が顔を合わせたところである。

 さて、映画が制作されたのは1967(昭和42)年である。当時石原裕次郎は33歳、浅丘ルリ子は25歳だった。この映画に出演するまでに石原裕次郎はすでに80本の映画で主演し、すでに押しも押されぬスターとして君臨していた。
 記録を振り返ると年間に10本もの映画に出演していた年もある。殺人的なスケジュールで仕事をこなしていたことが伺える。

 しかし時代は映画からテレビに移りつつある時代だった。事実裕次郎の映画出演の数もこの年あたりからは徐々にその本数が減ってゆくのである。
 そして1973年、テレビはカラーテレビが白黒テレビの契約数を上回ったこともあって映画は国民の娯楽の主役から退いていくことになる。

          
        ※ 石原裕次郎若き日のポートレートである。

 そうした中、裕次郎もまた活躍の場をテレビの世界に移していった。
 「太陽にほえろ」、「西部警察」など石原軍団と称された石原裕次郎を中心とした一団がテレビの世界でも視聴率をおおいに稼いだことを知っている人は多い。

 話が「夜霧よ今夜も有難う」のことからずいぶん離れてしまった。
 この映画も含め、先に触れたように裕次郎の映画のほとんどは勧善懲悪ものであり、ストーリーは荒唐無稽ともいえるものが多かったが、それが当時の多くの若者、庶民に歓迎されたのだ。
 そして石原裕次郎はあの時代に一世を風靡した大スターであったことは間違いない事実である。