goo blog サービス終了のお知らせ 

fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

お知らせ・防備録。
記事および画像の無断転用はお断りいたします

Information

『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。    

滝平二郎の世界展

2015年10月13日 | 日記
       

 横手市にある秋田県立近代美術館で開かれています。
 予想をはるかに上回るすばらしさでした!

 絵本の原画は、絵本と比較しながら観ることができるのですが、色の微妙な違いに、やはり印刷と原画は違うのだなと改めて思いました。
『八郎』(斉藤隆介作・福音館)は、絵本では墨で刷ったのかなと思われる色ですが、実際には微妙な緑がかった黒。『もちもちの木』(斉藤隆介作・岩崎書店)の背景の色もかなり違っていました。絵本ではただ真っ黒にしか見えないものが、黒い和紙を使っていて、質感があるのです。

 絵本の原画ではありませんが、銀箔を使用した版画も美しくかつ迫力がありました。
 子どもの頃、朝日新聞の日曜版で見た絵がたくさん。
 またこういう機会でもないと見られないのは、作者の戦争を描いたスケッチの数々です。滝平二郎は、終戦を知らずに一人原野を彷徨っていたとのこと。軍服を着た骸骨の数々を目の当たりにするという地獄のような情景を経験してらっしゃいます。戦争を伝えるとしたら、悲惨さしかないという言葉がありました。

 先着50名までもらえるという豆太のポストカードもゲット。行ったのは、お昼頃なのですけどね。つまりそれだけ人も少なく、とてもゆっくりとした心持で見ることができます。東京の展覧会ではありえないことです。

 絵本とカルタを買って帰りました。
 秋田から北上への帰り道、高速を降りて寄ってきたのですが、内心パスしようかなという気持ちもあったのですが、行ってよかったです。
 
 *ずっと「たきひら」と読んでいましたが、「たきだいら」でした。

一白水成

2015年10月12日 | 日記
 

家庭内禁酒をしてい半年くらい経ちました。
 なので、外でたまに飲むとおいしい。このくらいのペース、いいようです。
 先日の秋田句会では(いや、句会の後の二次会ですが)、秋田句会の幹事、風花さんお勧めの一品、一白水成という日本酒をいただきました。うん、さっぱりして飲みやすかったです。
 風花さんは、実は高校の先輩です。私が一年生のとき、風花さんは三年生。といっても、当時接触はなく、数十年を経ての俳句つながりです。でもでも、本当に秋田句会の私はリラックス全開です。

三浦館(秋田市金足)

2015年10月11日 | 日記
         
 秋田句会で、吟行してきました。
 すばらしいところでした。
 もともとは、伊豆の三浦一族なのだそうです。なぜ秋田くんだりまで流れついてきたのかと思ってしましたが、室町時代に安東氏の家臣として浦代(現秋田県八郎潟市)の城主となったとのことです。天正年間に起こった安東氏の同族争いに巻き込まれた後、武士の身分を捨てここ金足黒川に帰農しました。代々肝煎り役を継承したとのこと。東北で最大級の平面積の母屋を中心に表門、文庫蔵、米蔵、鎮守社など八棟が建っています。
 昭和50年代までは実際に住宅として使用されていたのを、平成12年から4年をかけて保存修復、国指定の重要文化財となりました。(パンフレットより)

 訪れた日は、北海道に台風直撃、その余波を受け風が強く、雨戸を全部閉め切った中の見学でした。また句会もその座敷を借りて。
 あちこちに壺や背負い籠に秋の草花が活けられています。別の季節に来れば、雨戸も開け放たれ、気持ちのいい空間を楽しむことができそうです。年中炉には火を入れているとのこと。あまりあるほとの句材、それを短時間で句にはできませんでしたが。
 三浦の紋入りのまんじゅうとお茶のもてなしもあり、句会をしていて、ふと気づくを、案内人の方二人が正座をして、句会に耳をそばだててらっしゃいました。(後ほど、いかがでしたか?とおたずねしたところ、ちゃんとお好きな句をおっしゃってくださり、感動)
この住宅の保存には、ここで生まれ育ち、福岡の久光製薬の社長夫人となった中冨たつ子さんのご尽力があったとのことでした。

 

 4時半に外に出ると、思いの外外は明るく。 
 野分の中の思い出深い句会となりました。俳句の出来はまた別ですが・・。
 

開かずの小屋

2015年10月09日 | 日記
      

 田んぼの横にあるこの小屋。舅が亡くなった後、一度も開けていません。軒下にあるのは、稲架をしていたときの棒だというのはわかるのですが、中には何が入っているのでしょうか。鍵は、うちにあるどれかなのだろうとは思うのですが。いいのだろうか、こんなことで。

田芹だと思うけど

2015年10月08日 | 日記
      

 稲刈りをしていて、畦際に生えていたこれ、芹だと思うのですけど。ただ、毒芹との区別がいまいちわかっていないので、やめました。一枚だけかじったら、芹の味がしましたけどね。

 田芹摘む指あることのありがたく  あぶみ

 という句を作ったこともあるくせに。このときは、通りすがりの人が、区別を教えてくださったのです。でも、忘れた。
 

まさかの瞬間湯沸かし器

2015年10月07日 | 日記
 岩手の家に来て、夕方お湯を使おうと瞬間湯沸かし器のスイッチを押しました。が、水は出るけど、点火しない。ガスの元栓はちゃんと開けているので、電池が切れているのかと探しましたが、電池というものは使用していないよう。おかしいなあと少し時間をおいてみたけど、やっぱりダメ。次の日もダメ。ということで、コールセンターに電話をしました。
 機種を告げて、カチという音もしないというと、何箇所か確認させてくださいといわれ、そのひとつが「左のほうにプラグがあると思うのですが」。プラグ? と、よく見ると後ろにコードが出ていて・・・。

 はい。コンセントが入っていませんでした。以前使っていた湯沸かし器は、点火が電池だったので、まさか電源が必要なものだったとは。今はガス製品でも電気が必要なのですね。

 こんなこんなことで、自分が電話をしてしまうなんて、とショック。

 岩手の家は留守にすることが大半なので、出るときは冷蔵庫以外コンセントは抜いていくのです。が、湯沸かし器は私、これまで抜いていませんでした。(あるという認識がなかったので)それを、前回夫が来て帰るときに抜いていたというわけで。

 あ~あ。

   飛蝗

  

さばえ近松文学賞、おめでとうございます!

2015年10月06日 | 日記
 「童子」の牧やすこさんが、福井県鯖江市の「さばえ近松文学賞」で、最優秀賞を受賞されました。快挙です。なんたって、最優秀賞ですから。

 やすこさんのHPで、受賞作「夢の夢こそ」を読むことができます。
 原稿用紙換算10枚とのことですが、もっと長い印象を受けます。場面の印象を鮮やかにしている要所要所の表現が見事。鯖江の文学賞であること、近松門左衛門という文学者の名を冠としている賞であること。そこをしっかりと踏まえた作品で、なるほどとうなずけました。
 映画化の話もあるとか。すごい。
 あれ、HPのリンクを貼ったつもりだったのですが、できていません。すみません、左にあるブックマークからやすこさんのHPにいくことができます。

 やすこさん、改めておめでとうございます。
  
  数珠玉

すまっこ刈り、終わりました

2015年10月05日 | 日記
       

 おとといの夜、まさかの雨が降り、田んぼがぬれてしまったので、午後からのすまっこ刈りになりました。でも元苗代だった田はぬかるみがひどくって、今年は少し難儀しました。倒れてしまった稲もあって。
 残りは、委託しているSさんにお願いします。機械でガー! 明日かな? 
 毎年思うことですが、これを全部手で刈って、稲架をして、脱穀をして・・・。とやっていた昔(といってもそんなに昔ではない)の方たちには頭が下がります。
 
 腰には湿布を貼って臨んだので大丈夫だったのですが、足が筋肉痛。

着物に黴が・・・

2015年10月04日 | 日記
         

 虫干しもなにもしていないのですから、当然と言えば当然。
 母が作ってくれて、一度も着ていないものです。たぶん大島紬だと思うのですが。
 どーしたものかと調べると、ちゃんとしたところに出してというご意見がほとんど。結構なお値段がするのでは? という予感。
 でもねえ。たぶんもう着ることはないと思うのですよ。紬って、正式な場に着ていくものではないようで、ちょっとした外出など普段着として着るものですよね。普段着に着物って、ないない。
 なので、とりあえず、洗濯機で洗ってみました。(ダメになること覚悟です)
 黴は取れたけれど、皺が・・・。

 とりあえずは、ほどきました。一度も着ていないから、しつけ糸もついているんです。夜なべ仕事でした。(←秋の季語だしなあと思いながら)
 次、アイロンをかけて、あとはとっておきましょう。
 ゆっくりして時間をとって、縫い物をする気分になったら、スカートでも作ろうかと。いつになるかわかりません。

文化祭

2015年10月03日 | 日記
 文化祭脚立の上で飯食うて  あぶみ

 文化祭の季節です。
 都立国立高校の文化祭が日本一の文化祭と言われているらしいです。
 3年生の劇がとにかくすごいらしく、作家の朝井リョウさんが自作を下敷きにした劇をごらんになって、絶賛してらっしゃいました。当然原作をそのままなぞったわけではなく、時間や場面の制限の中でシナリオを作っての上演だったのでしょう。再構成の仕方がすごいと。
 『星やどりの声』というこの小説、各章で主人公が違う短編連作です。これをどう料理したのでしょう。観たかったー。自分たちで作った主題歌も聴いてみましたが、レベル高いです。(ネットで聴くことができます)
 朝井リョウさん、これを題材に小説が書けるともおっしゃってます。書いてほしい。
 
 国立高校、近いのですけどね。近年すごい人気で、劇を観るためには、早朝から並ばなくてはならないらしいです。
 今年の文化祭はもう終わり、今ごろは、受験勉強中でしょうね。がんばれ。

 

母の乳癌のこと

2015年10月02日 | 日記
 昨夜の雨風は、すごかった。岩手の古家にいたので、なおさらでした。
 田んぼを見にいかなくては。
 
さて。割と最近、友人との間で検診のことが話題になっていたところ、北斗さんの乳癌のニュース。
 人事ではありません。
 母は90で乳癌になり、全摘出をしましたが、そのときすでに10センチになっていました。リンパへの転移は可能性があるけれど、手術中に検査をし、転移していたら、リンパ節も切除する(その場合は手術が伸びる)と説明を受けていました。幸い、転移はなく、ほっとしたのですが。今思うと10センチにもなっていて、リンパへの転移がなかったのは、幸運だったのでしょう。高齢なので、進行が遅かったのでしょうか。部位にもよるのかもしれませんね。
 術後は、痛みを訴えることもなくよかったです。点滴だったか、錠剤だったか忘れたけれど、そこはケアしてくださっていました。
 ただ一度退院した後、すぐに肺炎になってしまい、やはり高齢での手術は無理があったかな(乳癌は内臓の手術ほど体への負担はないとも説明を受けていたのです)とも思い、退院後の今後の治療のことを相談したとき、「高齢だし手術をしないという選択はあったのでしょうか。」とお尋ねしたところ、(今さらですが)、乳癌は大きくなると、潰瘍となって外に出てくる。そうなるとそのケアは大変で、生活のクオリティが下がってしまう。とのお答えでした。
 術後、手があがらないとか、そういう不自由はなく、(とくにリハビリなどもしていません。リンパ節の切除がなかったからでしょう)よかったと思います。今でも三ヶ月ごと、血液検査をしています。
 ただ、春に手術を受け、夏から再発予防のためホルモン療法ということで薬を飲むことになり、(抗がん剤ではありません)この説明ではほとんど副作用はないとのことでしたが、実際には手が震えるという副作用が出て、中止になりました。(この薬の名前、忘れてしまった。ちゃんと記録しておけばよかったですね)そして残念なことに薬をやめたあとも、震えは収まっても、手に力が入らず、年も年だし・・・的に今にいたっています。術前はパッチワークなどをやっていた母ですが、術後はまったくやっていません。手に力が入らないだけではなく、手術を境に、精神的にも、体全体としても弱ってしまったということです。

 ~ なぜこんなことを長々と今さら書いているかというと、こんなブログでも、検索でどなたかが訪れてくれる場合があるからです。ご自身、あるいは身内の方が・・・となったとき、私も、ネットで必死に検索をしました。そういう方、ひとりでも参考になればという思いです。

 そして、私にもその遺伝子はあるというわけで。乳癌検診は、昨年末にしています。
 北斗さんの場合、秋に検診を受けていて、夏には癌と診断を受けているのですから・・・。
 検診をしているから安心ではない。でも始終その不安を抱えて生活するわけにはいかないし。
 母だけではなく、父は大腸癌になり手術をしました。叔父である父の弟二人は癌で働き盛りになくなっています。兄の一人も肝臓癌の手術をしています。(今は元気!)

 死というものの考え方も人それぞれ。でも私はやっぱりまだまだみっともなくても、あがいて生きていたいと思うのです。
 夏には子宮癌の検診を受けました。(異常なし)11月には人間ドックの予約を入れています。今回は内視鏡を希望しました。ただ乳ガンや子宮ガンの検診、うちの市は二年に一回なのですよ。せめて一年に一回できるようにしていただきたい。

 二人に一人が癌になるという時代。早期に発見さえすれば、怖い病気でもないということも聞きます。が、やっぱり今、一番手ごわい病気ですよね。
 天然痘や結核が今では、人類にとって恐れるものではなくなったように、癌も克服できるときがきますように。でも、そうなったとき、また新たな敵が現れているような予感も。

臭木の実 
  瑠璃色の実は、藍色の染料になるようです。