「高大接続テスト(仮称)」が検討されるという新聞記事を目にした。学力低下が著しい大学生の質の確保につなげる狙いもあるそうである。どうも解せない話である。
大学生の学力低下が起こるのはなぜかというと,大学の入学試験が機能不全を起こしているからである。少子化の影響で,大学は定員確保に必死である。大学等進学率は高校卒業者の50パーセントを超えた。この状況では,何を最優先にするかをはっきりさせなければ,実効ある対策は立てられない。
現在の大学が存続するための定員確保を優先するのであれば,学力よりも頭数が優先されるわけであるから,大学生の学力低下はやむを得ないこととして,大学そのものの教育を考え直すべきである。
大学生の学力維持を優先するのであれば,定員充足はあきらめるべきである。学力が一定水準に満たない場合には決して合格させてはならない。その場合,大学経営が支えられなくなるから,政策的な援助が必要となる。
このどちらかしか選択肢はないように思われる。このどちらかを選ぶことをせずに,いくら高大接続テストをやったからといって,大学生の学力が向上する可能性は薄いように思われる。また,もしこのテストによって,高校の教育に影響を与えようとする意図が仮にあるとすれば,それは本末転倒である。大学生の学力維持の責任は,高校にではなく,大学にあるからである。
A0入試や推薦入試が学力低下の原因であるならば,それをやめればよいだけのことである。それをやめることができない理由がありながら,学力を確保しようとする新たなテストを導入するなど,コストと労力の無駄に思えてならない。
本来の姿をもう一度見直すべきである。高校は高校の教育を行う。大学入試には関わらない。大学は,自分の大学で教育を受けるに必要な十分な資質と能力をもった学生を確保するための独自の入試をつくり,十分な資質能力をもった学生しか入学させない。その結果,経営が破綻しても,それはやむを得ないとするぐらいの気迫が本当は必要なのであろう。
もともと,教育と経営は両立しないものである。
大学生の学力低下が起こるのはなぜかというと,大学の入学試験が機能不全を起こしているからである。少子化の影響で,大学は定員確保に必死である。大学等進学率は高校卒業者の50パーセントを超えた。この状況では,何を最優先にするかをはっきりさせなければ,実効ある対策は立てられない。
現在の大学が存続するための定員確保を優先するのであれば,学力よりも頭数が優先されるわけであるから,大学生の学力低下はやむを得ないこととして,大学そのものの教育を考え直すべきである。
大学生の学力維持を優先するのであれば,定員充足はあきらめるべきである。学力が一定水準に満たない場合には決して合格させてはならない。その場合,大学経営が支えられなくなるから,政策的な援助が必要となる。
このどちらかしか選択肢はないように思われる。このどちらかを選ぶことをせずに,いくら高大接続テストをやったからといって,大学生の学力が向上する可能性は薄いように思われる。また,もしこのテストによって,高校の教育に影響を与えようとする意図が仮にあるとすれば,それは本末転倒である。大学生の学力維持の責任は,高校にではなく,大学にあるからである。
A0入試や推薦入試が学力低下の原因であるならば,それをやめればよいだけのことである。それをやめることができない理由がありながら,学力を確保しようとする新たなテストを導入するなど,コストと労力の無駄に思えてならない。
本来の姿をもう一度見直すべきである。高校は高校の教育を行う。大学入試には関わらない。大学は,自分の大学で教育を受けるに必要な十分な資質と能力をもった学生を確保するための独自の入試をつくり,十分な資質能力をもった学生しか入学させない。その結果,経営が破綻しても,それはやむを得ないとするぐらいの気迫が本当は必要なのであろう。
もともと,教育と経営は両立しないものである。
入試だけでなく、大学のあり方も根本的に見直す時期なのかな、と感じています。今までのように厳しい入学試験を実施して、選ばれた学生だけが入学するというのは、大学入学者がごく少数だった大昔と、入学希望者が圧倒的に多かった時代には合っていたのでしょうが、今や需要と供給のバランスが完全に逆転しているのですから。
日本の大学も外国のように、費用を払えば誰でも入学できる代わりに一定の成績を収めないと卒業できない、という風に変えられないのでしょうか。
東大でも京大でも自由に入学できるが、厳しい試験やレポート課題に合格できなければ、貴重な学費をドブに捨てることになる…となれば、真面目に努力しない・もともと能力の無い学生は淘汰されて、大学卒業に本来の価値を持たせることもできると思うんですが。
人気のある大学に学生が殺到する、という問題も考えられますが、そう簡単に卒業できないことが浸透してくれば、徐々に落ち着いてくるでしょう。大学の先生にしても学生に媚びることなく、専門分野を生かした高度な課題を与えられますし、かつての権威も取り戻せていいことずくめなのでは?(ただしパワハラ・セクハラ対策は必須です)
企業サイドでも最近は学歴をあまり問わない動きが広がっていると聞きます。形骸化している大学の学位などにはこだわらず、実技試験でもなんでも行って、その人の実力本意で採用するようにすれば、無意味な大学信仰も冷めるだろうし、乱立している大学の設備や人員を実質的な職業訓練や専門教育に振り向けることも可能になってくるように思われます。
どこかに現れないでしょうか。入学完全自由化の大学…。
だって、教科書読めない学生が全入で大学にはいるのは当たり前。AO入試なんて、何回しているんだか、本気でいい生徒を取るんじゃなくて、青田買いどころか、今やどぶさらい状態ですものね。入ってくれれば誰でもいいみたいな。
入試のハードルを低くして学生が勉強しないシステムを構築しながら、質の良い学生が欲しいなんて、どういう原因と結果の求め方なんでしょうね。似非象牙の塔に住んでいらっしゃる方々の考えがわかりません。
また、教育産業さんにお仕事与えるだけ。
ただでさえ無い金がまたこんなくだらないテストをやるために使われると思うと悲しい限りです。このテストをやる金で「教育現場でもっと人を雇えるようにする」などするほうがよほど効果的でしょう。
「霞ヶ関埋蔵金がどうとか偉い人たちは言ってるけれど、「こんなことをやる金」はあるんじゃないですか! どこが金ないですか!」と叫びたくなります。
>taketyannさん
> 日本の大学も外国のように、費用を払えば誰でも入学できる代わりに一定の成績を収めないと卒業できない、という風に変えられないのでしょうか。
> 東大でも京大でも自由に入学できるが、厳しい試験やレポート課題に合格できなければ、貴重な学費をドブに捨てることになる…となれば、真面目に努力しない・もともと能力の無い学生は淘汰されて、大学卒業に本来の価値を持たせることもできると思うんですが。
立花隆も前から同じようなことを言っていて、それなりに効果的だと思うんですが、いまだに実現してませんよね。
たぶん、これをやっちゃうと、高校・大学・予備校・塾を含めた教育業界の大部分が根本的に方針を改めなくちゃいけなくなるからだと思います。
でかすぎる改革にビビって、大学入学者が少なかった時代の伝統をいまだに引きずっていて、そこから抜け出せずにいるというのが、現状だと思います。