学校教育を考える

混迷する教育現場で,
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応援の意味を込めて書いています。

資質能力の向上?

2009-05-27 | 教育
よく「教員の資質能力の向上をはかる」という表現に出合う。
また,学習指導要領の解説書などでも,
「資質や能力の基礎を培う」といったような表現に出合うことがある。

これが「能力」だけなら分かる。
能力は,教育によって,
向上をはかったり,培ったりできる。

しかし,「資質」については疑問が残る。

広辞苑では,「うまれつきの性質や才能。資性。天性。」とある。
そして,「―に恵まれる」「作家としての―がある」という例示がある。

この語義からみると,
どうしても「資質」というのは生得的なもので,
教育によってどうこうできるものではないように
思われるのである。

英語では,「資質」はnatureである。

どうしても,「資質」を
人為的に向上させうるとは考えにくいのである。

それとも,教育の世界では,
「資質」に別の意味を付与しているのであろうか。
不勉強でそこまではわからないのだが,
どなたか教えていただければ幸いである。


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6 Comments

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注意深い観察が必要 (heisan)
2009-05-27 06:19:09
> それとも,教育の世界では,
> 「資質」に別の意味を付与しているのであろうか。
> 不勉強でそこまではわからないのだが,
> どなたか教えていただければ幸いである。

「資質のない人間は教師になるな」「資質のない人間を排除することが大切である」ということを、お国の人たちは暗に言っているのではないでしょうか。

つまり、お国の人たちが言う「資質を培う」ということの意味は、「資質の無い奴を教師にしない」「資質のある奴だけを教師にする」というものであるという解釈です。


確かに、教師というのは特殊な職業で、向いてない人がいることは確かですが、ある個別的な問題の本質がほんとにそこにあるのかは、注意深い観察が必要です。

そういう注意深い観察をないがしろにして、或いは忘れて、なんでもかんでも教師の資質にその責は帰されるのであるという考え方は、私は安易だと思います。

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教育法令の素人さんへ (善意)
2009-05-27 18:12:18
中教審第一次答申をお読み下さい。
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Unknown (madographos)
2009-05-27 22:01:01
>heisan様。コメントありがとうございます。言葉足らずで申し訳ありません。「資質や能力の基礎を培う」のほうは,子どもの資質や能力について言われています。heisan様のおっしゃるところまで,教師の資質を重く考えているかどうかはわかりませんが,教師の資質論はその内容にあいまいさがあることは事実だと思います。
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Unknown (madographos)
2009-05-27 22:06:20
>善意さま。確かに私は教育法令の素人ではありますが,「資質」という言葉に着目して,新旧教育基本法をみてみますと,新教育基本法の第1条と第5条に「資質」という言葉が使われています。旧教育基本法には,このような語義に紛れのある言葉は使われていません。また,これは法令とは違いますが,ご指摘の中教審答申では,資質と能力が同列に書かれていることが多く,しかも,資質は未定義で使われています。おそらく,知識,教養,行動様式,態度等を総合的に含んだ概念として使われているのだと思います。また,この「資質」を向上させることが出来るという考え方は,以前のエントリーで触れました教育可能性を極大に考える我が国の教育観を象徴的にあらわしています。いずれにせよ,「資質」という多義性のある言葉を,教育論や教師論の中核にもってくることは,議論のあいまいさを増幅させるものだと考えています。
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抽象で動く国ほど怖いものはない (ただの主婦)
2009-05-30 00:16:28
学校ができる教育とは何か。

記事のとおり、「資質」は生後どうのこうのできるものではないでしょう。

法令に用いるに相応しくない言葉です。
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Unknown (madographos)
2009-05-30 07:48:04
>ただの主婦さま。コメントありがとうございます。どうも,教育の世界で使っている「資質」という言葉の意味が曖昧に思えてなりません。「資質」という言葉は「○○的資質」などという形でもよく使われているので,いつごろからこの曖昧な用語法が発生したのか調べてみたいと思っています。
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