~追悼、原節子~
小津安二郎と山田洋次が嫌いだった。
(過去形であることに注意しよう)
いや少しばかり訂正、演出家として上手であったことは認めざるを得ないわけで、嫌いではなく「苦手だった」というべきか。
山田洋次の映画は、押しつけ気味な善意に嫌気が差した。
清貧こそ正義、みたいな世界観が気に入らなかった。
しかし、『家族』(70)を観て考えが変わる。
というより自分は、『学校』のシリーズ(93~)だけが嫌いなのだと気づいた。
そのほかの山田洋次作品は、割と好きなのである。
逆に、小津の映画はほとんど肌に合わなかった。
戦前の『生まれてはみたけれど』(32)は、すごく好き。
しかし原節子と組むようになってから、結婚がどうだとか家族がどうだとかいう物語ばかり紡ぐようになり、名作といわれる『晩春』(49)と『麦秋』(51)が「ごっちゃ」になっておおいに困ったものである。
映画少年を名乗っていたが、80年代に青春を送ったものだからね。
それだけを理由にするのも乱暴だが、肉体派アクションスターに憧れ、出演者全員が怒鳴るように台詞を吐く黒澤作品こそ映画であり、「静」の小津は退屈と感じたのである。
そういうガキは多かったろう。
そして、そういうガキが酸いも甘いも経験し、30歳を過ぎたあたりで(半数くらいのひとが)小津のすごさに気づき、慄き、過去の自分を恥じ、小津の遺影に深々と頭を下げる。
そんなクソッタレが、自分だったりする。
黒澤信者の自分でも、原節子との初対面はやっぱり小津映画『東京物語』(53)だった。
東山千栄子のアクセント「ありがと♪」が、可愛かった。
喪服を持っていくかどうかを気にする杉村春子が、イヤミなくらいに巧かった。
若い女優の好みでいうと、平山周吉(笠智衆)の次女を演じた香川京子を推す。
そうなんだ、次男の妻を演じた原節子を美人だと思えなかったのである。
演技も香川京子のほうが自然だと感じた。
小津は俳優の思いつき―アドリブ―を許さなかった。
台詞はもちろん手の動きにいたるまで徹底的に管理した、、、とされている。
小津の思い描く映像世界のなかで見せる原節子の笑顔は、「強張った作り笑顔」のように映った。
だから小津とワンセットにして、「こんなもの、嫌いだ」と強く拒否するようになっていく。
その1年後、黒澤映画の原節子に出会った。
ゾルゲ事件を下敷きにした『わが青春に悔なし』(46)の原節子は、じつに活き活きとしていた。
初めてこのひとを、女優だ!! と思えた。
ドストエフスキーの傑作を日本に置き換えた問題作『白痴』(51)の原節子は、じつに恐ろしかった。
黒澤映画だけでない、『安城家の舞踏会』(47)や『青い山脈』(49)の原節子も素晴らしかった。
小津映画の原節子が嫌いなだけなんだな―と、あるときに気づいた。
しかし、その気づきも小津のすごさを少しずつ理解していくうちに、どうでもよくなっていった。
結局、こういうことである。
昔は大嫌い、でも、いまは大好き―であると。
志して映画界に入ったひとではない。
家計を助けるために、女学校を中退してこの世界に飛び込んだ。
デビュー当時からこのひとの評価は二分されていて、大根と評されることも多かった。
それを救ったのが小津と笠智衆であったのだが、このふたりに囲われ過ぎたがために自分のような「理解力の浅い映画小僧」の標的にもなった、、、とはいえまいか。
そして62年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を最後に、原節子は神隠しにでも遭ったかのように姿を消す。
小津の葬式には姿を現したが、それから現在にいたるまで「あのひとは、いま」の取材班でも追えぬほどに秘密主義を貫き通し、生きているかどうなのかさえ分からなかった。
「小津の死に殉じた」
「元々、映画界が好きではなかった」
引退の理由がはっきりしなかったために、メディアはいろいろと書きたてた。
みなが意見をいえる現代であったとしたら、どうなっていただろうか。
情報とデマが錯綜し、現住所まで暴かれてしまう可能性だってあったろう。
あの時代の、この女優であったからこそ、静かな余生を過ごすことが出来たのかもしれない。
それがいいとか悪いとか、ではなく。
10年ぶりに再結成するバンドが居たり、引退をすぐに撤回して再び輝こうとする元スターも多い。
「永遠の処女」という呼ばれかたは現代でいう「~過ぎる」みたいな安さがあって好きになれないが、
覚悟を持って映画界に参入し、覚悟を持って映画界を去った原節子って、映画女優としても、ひととしても、スーパークールで痺れる存在だったと思うんだ。
原節子、9月5日死去。
享年95歳、合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『死ねない理由』
小津安二郎と山田洋次が嫌いだった。
(過去形であることに注意しよう)
いや少しばかり訂正、演出家として上手であったことは認めざるを得ないわけで、嫌いではなく「苦手だった」というべきか。
山田洋次の映画は、押しつけ気味な善意に嫌気が差した。
清貧こそ正義、みたいな世界観が気に入らなかった。
しかし、『家族』(70)を観て考えが変わる。
というより自分は、『学校』のシリーズ(93~)だけが嫌いなのだと気づいた。
そのほかの山田洋次作品は、割と好きなのである。
逆に、小津の映画はほとんど肌に合わなかった。
戦前の『生まれてはみたけれど』(32)は、すごく好き。
しかし原節子と組むようになってから、結婚がどうだとか家族がどうだとかいう物語ばかり紡ぐようになり、名作といわれる『晩春』(49)と『麦秋』(51)が「ごっちゃ」になっておおいに困ったものである。
映画少年を名乗っていたが、80年代に青春を送ったものだからね。
それだけを理由にするのも乱暴だが、肉体派アクションスターに憧れ、出演者全員が怒鳴るように台詞を吐く黒澤作品こそ映画であり、「静」の小津は退屈と感じたのである。
そういうガキは多かったろう。
そして、そういうガキが酸いも甘いも経験し、30歳を過ぎたあたりで(半数くらいのひとが)小津のすごさに気づき、慄き、過去の自分を恥じ、小津の遺影に深々と頭を下げる。
そんなクソッタレが、自分だったりする。
黒澤信者の自分でも、原節子との初対面はやっぱり小津映画『東京物語』(53)だった。
東山千栄子のアクセント「ありがと♪」が、可愛かった。
喪服を持っていくかどうかを気にする杉村春子が、イヤミなくらいに巧かった。
若い女優の好みでいうと、平山周吉(笠智衆)の次女を演じた香川京子を推す。
そうなんだ、次男の妻を演じた原節子を美人だと思えなかったのである。
演技も香川京子のほうが自然だと感じた。
小津は俳優の思いつき―アドリブ―を許さなかった。
台詞はもちろん手の動きにいたるまで徹底的に管理した、、、とされている。
小津の思い描く映像世界のなかで見せる原節子の笑顔は、「強張った作り笑顔」のように映った。
だから小津とワンセットにして、「こんなもの、嫌いだ」と強く拒否するようになっていく。
その1年後、黒澤映画の原節子に出会った。
ゾルゲ事件を下敷きにした『わが青春に悔なし』(46)の原節子は、じつに活き活きとしていた。
初めてこのひとを、女優だ!! と思えた。
ドストエフスキーの傑作を日本に置き換えた問題作『白痴』(51)の原節子は、じつに恐ろしかった。
黒澤映画だけでない、『安城家の舞踏会』(47)や『青い山脈』(49)の原節子も素晴らしかった。
小津映画の原節子が嫌いなだけなんだな―と、あるときに気づいた。
しかし、その気づきも小津のすごさを少しずつ理解していくうちに、どうでもよくなっていった。
結局、こういうことである。
昔は大嫌い、でも、いまは大好き―であると。
志して映画界に入ったひとではない。
家計を助けるために、女学校を中退してこの世界に飛び込んだ。
デビュー当時からこのひとの評価は二分されていて、大根と評されることも多かった。
それを救ったのが小津と笠智衆であったのだが、このふたりに囲われ過ぎたがために自分のような「理解力の浅い映画小僧」の標的にもなった、、、とはいえまいか。
そして62年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を最後に、原節子は神隠しにでも遭ったかのように姿を消す。
小津の葬式には姿を現したが、それから現在にいたるまで「あのひとは、いま」の取材班でも追えぬほどに秘密主義を貫き通し、生きているかどうなのかさえ分からなかった。
「小津の死に殉じた」
「元々、映画界が好きではなかった」
引退の理由がはっきりしなかったために、メディアはいろいろと書きたてた。
みなが意見をいえる現代であったとしたら、どうなっていただろうか。
情報とデマが錯綜し、現住所まで暴かれてしまう可能性だってあったろう。
あの時代の、この女優であったからこそ、静かな余生を過ごすことが出来たのかもしれない。
それがいいとか悪いとか、ではなく。
10年ぶりに再結成するバンドが居たり、引退をすぐに撤回して再び輝こうとする元スターも多い。
「永遠の処女」という呼ばれかたは現代でいう「~過ぎる」みたいな安さがあって好きになれないが、
覚悟を持って映画界に参入し、覚悟を持って映画界を去った原節子って、映画女優としても、ひととしても、スーパークールで痺れる存在だったと思うんだ。
原節子、9月5日死去。
享年95歳、合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『死ねない理由』
頭から抜け落ちていました。
95歳まで・・・・なんで引退してしまったのでしょう?
それに一生涯独身で~綺麗な方なのに不思議です。騒がれる生活が嫌いだったのかしら?
自分なりの「美学」を貫かれたようにも思えます
外国のニュースではグレタ・ガルボになぞらえて原節子さんの死を報じたところもあったとか
「偶像」であることは しんどくもあったでしょうし
意志の強さに感じ入るばかりです