Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

こだわりは、昔より弱くなりましたが。。。

2019-01-28 00:10:00 | コラム
生粋の映画小僧であるからして、当然、映画へのこだわりは強いほうだ(と思う)。

(1)映画は、映画館で触れてこそ映画

いまだってそう思うが、ただ、オスカー外国語映画賞の最有力とされるキュアロンの『ROMA/ローマ』を(日本はネット配信のみなので)ネットで触れてみたところ、自宅のモニターであっても、すんばらしいものはすんばらしいのだと感銘を受けてしまった、、、以上、これもれっきとした映画体験であると認めざるを得なくなっている。

そもそも。
自分のオールタイムベストを並べてみると・・・

『レイジング・ブル』(80)や『絞死刑』(68)などは劇場で触れていない。
(『タクシードライバー』(76)など権利関係をクリアした映画は、何度も何度も再上映してくれるけれど)

ビデオやDVD、ブルーレイでしか触れたことのない映画を、「映画と呼んではいけない」とすれば、自分なんか映画小僧と自称することが出来なくなってしまうしな・・・。


(2)フィルムでつなげられた物語こそが映画

いまだってフィルムにこだわりつづけ、困難な映画制作をつづける闘争的映画監督も居る。
しかし現実は、全体の9割を超す映画がデジタル制作に移行している。
20年前では不可能とされていた表現がデジタルでも可能になったこと、
そして、デジタル制作がフィルム制作にくらべ圧倒的に安く出来ること。

だから闘争的映画監督を応援するのはやぶさかではないけれど、いっぽうで、デジタルを歓迎せねばならないよね。

いままで経済的な問題を抱え撮ることが出来なかった映画監督が、それによって映画制作が可能になったのだもの。


(3)外国映画は字幕スーパーで触れるべき

これは昔から「字幕派」「吹き替え派」に分かれていたが、日本の劇場の主流がシネコンになって以降、「吹き替え上映」が激増しているため、映画ファンでも若ければ若いひとほど「吹き替え派」が増えてきているという現状がある。

自分のこだわりは、ずっと変わっていない。

劇場・ビデオ鑑賞であれば、字幕スーパー。
テレビ鑑賞であれば、吹き替え。

これは、民放各局が『○○洋画劇場』を放送し、それを楽しみにしていた世代であれば、ほとんどそうなるのではないかな。


ただそのこだわりは(1)に比べると、そこまで強いというほどでもない。

きっちりとした声優さんが吹き替えた場合、違和感なく物語に入り込むことが出来るから。

大好きな『ツイン・ピークス』のシリーズ(90~2017)なんて、もはや字幕スーパー版のほうに違和感を抱くくらいだもの!


批判を受けた織田裕二&三宅裕司の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)も、喜多嶋舞の『ラビリンス/魔王の迷宮』(86)も、初見でなければ笑って許せるかもしれないし。


・・・・・それはないか!!


結論。
本格的にチューネンと呼ばれる世代になったため、尖った映画小僧が、やや丸くなってきた、、、ということでしょうなぁ。


※ところで成龍なんて、最初、石丸さんの声のほうがホンモノと思っていたくらいだ



…………………………………………

明日のコラムは・・・

『映画監督別10傑(38)ウォルター・ヒル』
コメント (2)
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