Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

いかにして日本はかくもブザマになったか 福田和也(文藝春秋)

2022年06月30日 | 
Hitorigaten

 政治が民信を失い、国家に対する国際的な信頼が瓦解するには、偶然と必然が同時並行的に出現するのだろう、歴史を紐解かずにも…
 ほぼ瞬時に地球の裏側の些細なできごとも、掌で確認できる現代では、嘘と隠し事が命取りになることを、為政者は肝に銘じるべきかと老爺心ながらに感じる今日この頃


○国際的な評価が低下した背景には、経済の低迷というわかりやすい現象があるしても、その背後にある深刻な政治や社会、文化の混乱の方がより本質的で決定的
○これらの国々(古代ギリシャ・ローマ帝国)がその文明と歴史の精髄においてかつて人類が知らず、その後も人類に昌益し続けた何ものかをもたらしたからでしょう
○国家的な戦略の不在は、昭和戦後の一時代から、おそらく田中内閣時代から現在にいたるまで続いている宿痾ですが、それでも経済的戦略はあった
○大衆という名のそれまで日本の政治秩序を構成してきた村や町の秩序からもれ落ちた根を持たない人びとが現れ、政治の主役に躍り出たのである
○戦後の保守政治は「大衆」としての給与所得者や企業や業界団体の枠に囲い込み「根」をもたせ再び「ムラ」的な秩序の中に位置づけた
○同時に窮乏する農村に公共事業を注ぎ込むことで、保守基盤として再生した
○企業組織を「ムラ」的な共同体とすることを可能としてきた年功序列、終身雇用を主体とする日本的経営は平成大不況の中で解体されつつある
○戦後社会の安定を担ってきたいくつかの「ムラ」が崩壊したこと、それが今日の日本社会の変動の本質であり、その変動が政治自体のあり方を変えた、ということが今日の今日の旧経世会の敗北であるだろう
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