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時間の存在について

2009年12月31日 | 人間と宇宙~哲学を科学する

『時間はどこで生まれるのか』、続編です。( 前編はこちら ⇒  時空とあの世について)

 

時間はどこで生まれるのか (集英社新書)
橋元 淳一郎
集英社

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数式を使わずに相対論を理解するための、もっとも手っ取り早い方法、として著者が紹介するもの。
(たった3つの図で! 

(↓)小学生の算数あたりでも出てきそうな図。
   時速100kmで動く α と時速70kmで動く β。
   β からみると α は時速30kmで動いてるように見えます。

  ※ 図の世界線β が時間軸(縦軸)だと考えてα を見ればいいのです。
    なぜなら自分はそこ(βの世界線上)にいて、そこから見ているのだから。

    この考え方は大切だと思いました。
    時間や空間の軸をモノサシに β を見るのではなく、動く系( β )からモノを見る発想。
    時間や空間はどういう風に見えるのでしょう?
    時間軸や空間軸のどの点を見てるのでしょう? 



この考え方でいくと、光の速さも動く系からみると変わるはずですが、実際の観測では、光の速度は不変。

これをアインシュタインは誰も思いつかないような方法で解いたのです。

動いているモノの座標系は、時間軸だけではなく空間軸も光の世界線を中心にして傾くのです。



こうすると(動いてるひとの座標系の時間軸と空間軸が同じ角度だけ傾くと)、
動いている人から見ても、光の速度は止まっている人から見るのと同じになるというのです。

お気づきでしょう!

光の世界線が不変だという立場にたって、
そこから見た観測者の時間や空間の座標系を見ると、時間や空間の方が傾く、
つまり、動いている人にとっての時間と、止まっている人にとっての時間は異なるのです。

(↓)私からみた事象Aは現在(t=0)のことだが・・・

私にとって今現在の事象Aがあります。(t=0

・事象Aに向かって動く人 α の座標系で見た場合には、事象Aは過去( t がマイナス)
・私に対して α  とは逆向きに動く人 γ にとっては、事象A は未来 ( t がプラス)となるのです。

* ただし事象Aは、今現在の私(t=0)にとっては、前の記事に書いたとおり非因果的領域にある事象なので、私には確認のしようはありません。



著者はここで、こう強調します。
~ ここで重要なことは、このような時間の食い違いは、決して見かけ上のものではない。
 ある人にとっての過去が、別の人にとっては未来であるなどということはありえない、と思う人は、未だ絶対時間という亡霊に取り憑かれているのである。
人間的時間(マクロなスケールの時間)と物理学的時間はもちろん別のものである。しかし、人間的時間を探求しようとするときも、これまで述べてきたような物理的事実を無視して、正しい結論を得ることはできないはずである。
重要なことなので、もう一度強調しておこう。
他者と共通の「今」は存在しないのである。


■ 時間についての考察

この本は時間をテーマにしています。

時間は、色や温度に似たようなもの。
(色は光の波長や振動数、温度は粒子の運動エネルギー、といったものを
 人間の感覚で、識別して、区別したり計測したりするもの。
 ミクロの粒子レベルでは、色も温度も存在しません。
 マクロのスケールまで、光子や原子が集団化し、観測したときに出てくる概念です。)

であれば、ミクロの世界で時間が消滅するのは不思議でもなんでもないのです。

(ここでは割愛しますが、量子力学の実験で、ミクロの世界での時間の消滅が確認されています。)

著者は、20世紀の哲学者、マクタガートの時間系列(下記)の考え方を引き合いに出してこう言います。

~ われわれが感覚的に感じる人間的時間と、物理学で議論される物理学的時間を混同してはならないということである。
  人間、あるいは生命というレベルを離れて、この世界の物質的構造を云々するとき、そこでは人間的時間(A系列)が消滅するのは当然として、B系列の時間さえその存在が危うくなるのである。

 <マクタガートの時間系列>
 ・A系列 = われわれが日常的に感じている、今現在という視点からみた主観的な時間
 ・B系列 = 歴史年表や物理の測定に用いるような客観的な時間
 ・C系列 = 時間とは呼べない配列のようなもの。

(↓)生命(マクロの世界)レベルでの時間は、秩序が失われていく(= エントロピー増大の法則)方向に流れる。
   生命は、「意思」を持つまでに進化しているので、エントロピー増大の法則に立ち向かうが、最終的には死(無秩序)に向かう。      

ひとくちに時間といっても、数学や物理上の概念的なものから、生命レベルのマクロなものまで、いろいろ。
相対論や量子論によっても、時間の向きや流れについては解明されていません。

著者は、
客観的宇宙はあくまでもC系列であり、
t1⇒t2という刹那においてのみ時間は生起する
上向きの時間の流れについては、時間は生起しない。
なぜなら、そこには「意思」が存在する必要性・必然性がないからであり、
逆行する主観的時間は存在しない、
と結論づけています。

我々が不思議に思う生命レベル(マクロの世界)の時間の向きや流れは、
秩序を維持しようとする生命の「意思」の力によって決められるもののようです。

時間が逆行する、上向き時間(エントロピー減少)が成立するような世界にはそもそも生命がないのです。

やはり、時間の向きや流れに関する素朴な疑問も、生命の不思議に帰結してしまいました。。

なんだか、味気ない論文みたいなブログになってしまいました。

ならば、ついでに、、僕にとっては目からウロコだった、『ミンコフスキー空間』について。

有名なピタゴラスの定理、ds² = dx² + dy² は3次元以上の空間にも適用できます。
すなわち、ds² = dx² + dy² + dz²

しかし、時間軸 dt を考えた場合には、
ds² = dt² + dx² + dy² + dz² とはならず、
ds² = dt² - dx² - dy² - dz² となることが、
観測や実験から証明されています。

これは空間軸の距離を実数ではなく、虚数( i )としてピタゴラスの定理を適用すれば出てきます。
この、時空を結ぶ空間を数学上、ミンコフスキー空間と呼びます。

これが、空間は虚数、時間は実数としている根拠。


光の傾きが45度なので、光の世界線の距離(ds)は常にゼロになります。
これは、光の立場にたてば、時間も空間も存在しないという根拠にもなります。


2007年に放映されたアメリカの理論物理学者、リサ・ランドール博士(才色兼備の魅力的な方です)の日本来日の際の映像「異次元への招待」をYouTubeで見ました。
パート1~5まで、気がついたら1時間くらいYouTube見っぱなし。
3次元に時間を加えた4次元の世界ではなく、5次元の世界を解明していく試み。
また別の機会に採り上げてみたいと思います。

年越しを控えて、頭の中は完全にワープ状態。。

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