マッチョなタフガイをやめる宣言をしたジョン レノンが聴きたくなった。
下らないものにこだわって狭苦しい考え方をする人間になりたくない、と思う一方で、
ふと、気付くと、いわゆる世間並みの恰好良さやスマートさを良しとする自分もいる。
岡本太郎氏は言った。
好かれようなんて卑しいことだ。好かれてたまるか。嫌われないといけない。
岡本太郎氏の数々の言葉を目にするにつけ、彼は生半可ではなく、本当に、徹底的に、
新しい自分を発見するために、旧い自分を捨て続けようとした人なのではないか、と思えてくる。
ジョン レノンにも似たようなものを感じる。
この歌は、詩がある意味、実にみっともない。
スタァではなく芸術家のそれである。その率直さに惹かれる。
名声やイメージに一旦とらわれた人なら、なかなか、こうは書けないと思う。
凡人、且つ、ブログのなかのバーチャルな私でさえ真似ができない。
そのほうが、よっぽど小さくてみっともない。
昔の事をくよくよと思い、
自分をコントロールできなくなってしまった
皆に愛されないかもしれないと思っては不安になり、心のなかは震えている
" Jealous Guy " という言葉を使って、口当たりの良いラブソングにもなっているが、
もっと上手くできたんではないか、とか、 もっと違う人生があったんではないか、といったような、
みっともない思いや考えというのは誰もが多少なりと持っているのだと思う。
卑近なところでは、うまくゴルフでナイス・スコアが出せない時のジュクジュクたる気持ちもそう。
そのような、メメしい、別のものであり得たかもしれない自分への気持ちも、
いわば自分に向けられたジェラシーであるかもしれない。
john lennon jealous guy with lyrics
学校でも職場でも、他人の自分に対する言動を何でも悪意に取ってしまう人は確かにいる。
そんな人は、おそらく、不幸なことに家庭で、幼い頃にそんな習慣を身に付けさせられてしまったのだ。
そんな人にとっては、どんな場所も楽しいはずはないし、毎日が辛く、将来が不安で、人生に疑問を感じるほどであるはずだ。
だが、今は、大なり小なり、人の善意を信じられず、すぐに悪意だと決め付けてしまう人が多い。
それは、学校生活やマスコミの影響が大きいのだ。
しかし、本当のところ、他人に悪意はないのだ。皆、ほとんどの場合、善意でそうしているのである。
* この方の記事は素晴らしい、一読をお薦めする。⇒ 非難することは本当に恐ろしいことだ
" 傷つけるつもりはなかったけど、泣かせてごめんよ" 、と歌われる下り、
本当のところ 悪意のある行ない、というのはそうそう無いものだということが表現されている風にも感じる。
ただの甘いラブソングには聞こえなかった夜更けに、心に響いてきたところを書き下してみた。
ジェラシーの存在に気づくことが、進歩には必要にも思える。
ジョン・レノンファンなんやね。
僕もビートルズファンですわぁ。レコードにcd持っとうよ。 ここんとこ最近聴いてないけどなぁ。 ジェラシーを感じるの?
他人に向くものとも限定せずに
ジェラシーを拡大解釈して、
適当に書いてみました。
ビートルズはいくつになってもいいと思いますわ。