日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

大学院教育には口を出すより金を出せば

2007-07-11 21:02:09 | 学問・教育・研究
私の大学院生生活が始まったのは半世紀も前である。今から思い返すと個人的には何の不満もない、懐かしくも充実した日々であった。その一端を戦艦陸奥爆沈で思い出した学生時代に記している。

こういうこともあった。研究指導のあり方について「かくあるべし」と院生同士侃々諤々の議論の末、恐れ多いの教授は敬遠して、助教授・助手の先生方に「研究テーマの理念を説明せよ」と迫ったのである。取りようによっては吊し上げのようなものであるが、先生方も極めて真摯にわれわれに立ち向かってくださった。そいう全人的な指導者との触れあいが研究指導の、ひいては大学院教育の根底にあったと思う。

制度的には修士課程、博士課程で履修単位の規定があった。特別講義とかいう名目で教室に出たかと思うが、どのような話を聞いたのか、一つだけを除いては全てが忘却の彼方である。その一つとは先ほど亡くなられた渡辺格先生の特別講義であった。京大の先生だったが、阪大に非常勤講師で来られたのであった。後に「The Meselson-Stahl experiment」と知られるようになった、DNAの半保存的複製を最初に示した論文がPRONASに発表された直後で、入手されたばかりの論文を熱を込めて紹介されたことを覚えている。その実験の美しさに感動したものだから、いまだに当時の情景が記憶に鮮明なのである。

どのような大学院教育を受けたのだろう。本当に思い出せない。単位を取るための講義もあった筈だが、教授も学生も共犯で規定よりは遙かに少ない回数で済ませていたように思う。千日参りのようなものだった。今どきの基準で判定されれば、合格点よりは遙かに下であっただろう。その程度の大学院教育しか受けていなかったが、それでも後年、The Royal Swedish Academy of Scienceの主催するNobel Conferenceで、世界各国から選ばれた21名の招待講演者に私が日本人として一人加わっていたことがあるから、一応『世界最高水準』の研究レベルには到達していたのだろう。私の受けた大学院教育でも不足ではなかったのである。

平成17年9月5日に中央教育審議会が「新時代の大学院教育 - 国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-」との答申を文部科学大臣に提出した(以下答申と略記)。PDF文書で93頁になる。そのうちの一部を眺めてみよう。

《大学院教育の実質化-教育の課程の組織的展開の強化

・各課程における人材養成の目的、教育目標の明確化、これらに沿った体系的な教育の課程の編成と適切な教育・研究指導の実践
・各産業、各職業分野等社会のニーズを踏まえ、修了者(特に,博士課程)が高度な産業社会で評価される教育の実施
・学修プロセスの管理・指導技術等教員の研究指導能力の涵養
・量的拡大の進行に対応する教育・研究指導の体制・環境の整備
多様な経験の蓄積に資する学生、教員の流動性の拡大
優秀な学生の進学のための修学支援の充実
・大学院の評価システムの確立
・学部への過大な依存からの脱却を含めた施設・設備の全学的なマネジメントの充実》(6ページ、強調は私)

私はこの提言のなかで直ちに実現すべきなのは、強調した二点に尽きると思う。あとは言葉が沢山並んでいる割には内容が伝わってこない。

また、理工農系大学院での<修士課程及び博士課程(前期)に共通した教育・研究指導の在り方>(22頁)の中に

《・各専門分野に関する専門的知識を身に付けるための体系的な教育プログラム
 ・幅広い視野を身に付けるための関連領域に関する教育プログラム
 ・自立した研究者や技術者等として必要な能力や技法を身に付けるための教育プログラム》などの提言があるが、これも具体的なイメージが少しも浮かび上がってこない。無視するに限る。

必要なのは上から与える教育プログラムではない。大学院生の自発的な勉学意欲を支援するシステムの構築である。上記の強調部分がそれに当たる。関西風(私流?)にいえば、「ごちゃごちゃいわずに、早う金を出せ」に尽きる。

「ごちゃごちゃ」のもう一つの例がある。

<社会のニーズと大学院教育のマッチング>(36頁)に
《博士課程修了者の資質について、産業界等からは「専門分野以外の幅広い知識や経験」、「独創的な発想力」など必ずしも期待どおりではなく産業界等社会のニーズと大学院教育に乖離があるとの指摘がある。》

そして「科学技術人材の活動実態に関する日米比較分析 -博士号取得者のキャリアパス- 報告書」(NISTEP REPORT No.92)にはさらに具体的な要望がある。それによると日本企業は博士号取得者に対して、次のような能力を期待しているらしい(25頁)

《・専門分野以外の幅広い知識や経験
 ・独創的な発想力
 ・英語によるコミュニケーション力
 ・プレゼンテーション能力
 ・ディベート力
 ・マネジメント能力
 ・若手の育成・指導、研究資金管理など、プロジェクトリーダーとして活躍しうる能力》

確かにこのような人材は企業に即戦力となるだろう。しかしひょっとして、博士号取得者を閉め出すために、このよう「ごちゃごちゃ」をいっているのかな、ともげすな私は勘ぐったりする。

答申には《我が国経済の活力を維持し,持続的な発展を可能とするためには,産業技術力の強化を図り国際的な競争優位性を持つ産業の育成が必要であるが、そのためには、産業界等社会のニーズを踏まえつつ、大学院において、創造性豊かな質の高い研究者等多様な人材を養成し、社会に有為な人材を輩出していく必要がある。》(35頁)とあるが、私も基本的に賛成である。しかし企業が本気でそう考えているのかどうかが分からない。

上記NISTEP REPORT No.92によると、博士号取得者の就職先が4年生大学へは日本が51.4%、アメリカが42.6%であるのに対して、営利企業へは日本が16.9%、アメリカが34.3%となっており、日本では企業への就職率が極度に低いことが特徴である。この低就職率をどのように解せばいいのだろう。

もし企業が真剣に博士の雇用を考えているのであれば、出来上がりの博士を雇用するのではなくて、新卒大学生を社員として採用の上、現在の大学院制度そのものを活用して、企業が必要とする博士を自ら育て上げればよい。出来上がった博士を雇用しようとするからいろいろと注文が出て来るのであって、考えてみれば自社に利益をもたらす人材の育成に、企業として独自の努力をするわけでも無し、金も出さずに注文だけつけるとは虫の良い話である。企業が採用した大学卒を選抜して大学院で学ばせる。一切の費用はもちろん企業負担である。中央官庁でいわゆるキャリアを採用後何年かして海外の大学に留学させて、時には学位も取得させているが、それと同じように考えればよい。大学院生社員にすればいいのである。

私が15年以上前になると思うが、阪大基礎工で非常勤講師として講義をした時のことである。講義が終わって一人の学生が近づいてきた。私が講義で自分の研究に用いた装置は世界で一台しかないものである、と喋ったのであるが、その装置を作ってくれた会社に就職したいというのである。大阪郊外にある社員10名もいるかいないかの、しかし非常に優れた技術をもった会社で、私とは長年の付き合いがあった。この話を社長に伝えると、そういう人なら是非来て欲しい、ひいては本人が望むのなら社員としてさらに大学院で研鑽を積んで欲しい、ということになり、話はトントン拍子にまとまった。学位を得た学生は今もその会社で働いている。

本当に企業が博士を必要とするのなら、このように費用丸抱えで自前の博士を育てればよいのである。現在の大学院制度でも、院生が必要な訓練を受けるために一つの研究室に留まることなく、それに適した研究室を自由に選べる流動性さえ確保されておればそれでよい。あとは関係者の話し合いで企業が望む人材を育て上げる環境がいとも容易に出来上がるではないか。

半世紀も前になる私の時代でも、院生が一定期間よその研究室で修業してくることがあった。本人と教授同士の話し合いの結果である。制度がどうであれ、手続きがどうであれ、院生の熱意が周りに伝われば、望んだように事が運んだ。多様な経験の蓄積に資する学生、教員の流動性の拡大が学生に関してはその頃から実質上機能していたのである。

答申には《税制面においては、平成17年度から、人材養成に積極的に取り組む企業について教育訓練費の一定割合を法人税額から控除する人材投資促進税制が創設されたことを踏まえ、産業界等は、このような制度の積極的な活用等により大学院教育に係る支援体制を充実することが期待される。》(36頁)と述べられている。まことに結構なことである。この制度を生かして企業は出来合いの博士を雇用するのではなく、大学院生社員を採用して博士を育て上げればよい。「企業は口を出すより金を出せ」、それで多くの問題が解決する。


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