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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

『耐震強度偽装』がいつのまにか『粉飾決算』に化けた

2006-08-09 18:19:03 | 社会・政治
木村建設元支店長、無罪主張 ほおげっそり、傍聴人驚き (朝日新聞) - goo ニュース

木村建設の篠塚明・元東京支店長の『耐震強度偽装』へのかかわりは、この記事にあるように《姉歯元建築士は昨年12月、国会で「鉄筋を減らすよう、篠塚元支店長からプレッシャーをかけられた」と証言。警視庁なども篠塚元支店長を最重要人物の一人と位置づけ、「姉歯元建築士に偽装させた」と見ていた》ところにある。

ところがなんと《捜査が進むにつれ、姉歯元建築士の偽証が明らかに。最初の偽装物件は木村建設と無関係で、篠塚元支店長に責任転嫁しようとしたことを元建築士自身が認めた》というのである。従って篠塚氏はこの件に関しては無罪放免で一件落着かと思っていた。

その篠塚氏が裁判に引き出されているのである。それもなんとなんと、建設業法違反(粉飾決算)の罪だけに問われているのであって、肝心の事の発端である『耐震強度偽装』はどこかに吹っ飛んでしまっている。

『耐震強度偽装』にかかわる容疑で木村建設を強制捜査して押収した書類から、検察がこのたび告訴した『粉飾決算』を裏付ける資料が出て来たのだろうと想像するが、そうだとするとこれはペテンである。検察側では『耐震強度偽装』と『粉飾決算』を結びつける、「風が吹けば桶屋が儲かる」の類の『屁理屈』がなんの衒いもなく罷り通っているのであろうか。

強制捜査を受ける場合に、一体どのような令状を示されるのだろう。たとえば篠塚氏の場合に「姉歯元建築士にプレッシャーをかけて耐震強度を偽装させたことを裏付ける証拠を集めるため」とでもなっていたのだろうか。私はそれぐらい捜査目的を限定的にしないことには、人間として隠しておきたいことまで不必要に暴露されたりして、個人の基本的人権なんて簡単に侵害されてしまうと思う。しかし想像するに、捜査する側が思いのままに行動できるような極めて曖昧、かつ包括的な内容を含む捜査令状なのであろう。そして元来の捜査目的にかなう証拠が得られなくても、なにか違法行為を裏付ける資料が思いがけず出てくれば、それを理由に容疑者を作り上げる。これは極めてアンフェアな行為である。

私の大好きな捕物帖には、お上が「見ないことにする」とお目こぼしをする場面がちょくちょく出てくる。それでめでたしめでたしなのである。これとは対照的ないわゆる『別件逮捕』と『別件起訴』は、権力を弄ぶ警察・検察側の倫理観の欠如の現れであるといえよう。

『耐震強度偽装』事件で明らかに被害者がいる。このような事件の再発を防ぎ、被害者救済の途を開くためにも、この事件の全容の解明を通じて、各種責任の所在が明らかにされるべきであるが、この裁判で見る限り、検察側の対応はあまりにもお座なりである。

エアコンから水漏れ

2006-08-07 18:24:52 | Weblog
エアコン室内機の吹き出口の下枠に、水滴がズラリと並んでは大きくなって落ちてくる。去年辺りから始まったが今年は多湿の日々が続いたせいか、落ちてくる水の量も中途半端ではない。ドレインを詰まらせた覚えはないが、様子を見たところ自分で手を下せそうもないので修理を依頼した。

さっそく技術者が来たが、状況を見るなり、これはドレインのつまりではない、熱交換機を交換しないといけない、と云う。アレレである。

熱交換機の表面に、たとえば壁紙の接着剤の蒸発したものがくっついたりして、水滴を弾くようになったのが原因の一つ。もう一つは熱交換機が垂直でなく表面積を稼ぐためにV字型を逆さにしたようなデザインになっていて、だから水滴がそのまま垂直に落下してドレインに入らずに、吹き飛ばされてそれが室内に落ちるようになる、というのがいわば噛み砕いた説明とのことである。

そこまで原因が分かっているのなら、熱交換機表面が経年変化で水滴を弾くことにならないような手だてを講じるべきであるし、また仮に水滴が熱交換機の表面に滞留しようと、それが真下に落ちるような構造にすれば済むことである。新製品にその対策が生かされているのだろうか。

このエアコンは1997年製の三菱電機製品で型名はMSZ-VS287。もう補修部品の補充もそろそろ気になる年式である。熱交換機は労賃も含めて6万円ぐらいかかるとの見積もりであるが、これがよくなっても他の部品が悪くなってもう補修部品がないとなると、全くの無駄な修理になる恐れがある。今のところ水滴が落ちてくるだけで、エアコンとしての機能が衰えているわけではないので、このまま使い続けることにする。落ちてくる水滴は『涙壺』で集めるつもり、ちょっと細工をすればいいだろう。

出張料は2205円だった。


男の歌う「さくら貝の歌」

2006-08-06 17:19:51 | My Song
土屋花情作詩・八州秀章作曲「さくら貝の歌」を倍賞千恵子の歌で何度も何度も聴いた。このLPが出たのが1971年だからもう35年間、折に触れて彼女の歌を聴いてきた。しかしこの曲が始めてレコードに吹き込まれたのは1940年で、まだ戦争の始まる前である。しかし「時期でない」とのレコード会社の判断でお蔵入りになってしまった。

復活したのは戦後の1949年で小川静江がNHKの朝の「ラジオ歌謡」で歌ったのが切っ掛けとなった。 

八州秀章(本名・鈴木義光)には北海道真狩村の尋常小学校の後輩で、いつか結婚したいとは思っていた横山八重子という女性がいた。その思いを伝えることもなく上京したが、看護婦を志していた八重子は胸を患い18歳で亡くなった。傷心の八州は八重子の俗名と法名から一字ずつ取って筆名とした。

一方、作詞者の土屋花情も三浦半島に仕事でやって来た看護婦と知り合い相思相愛になり、彼女が東京に帰った後も文通を続け、彼女から求愛される。しかし母親の反対もあり、結婚を断念した。その失恋の傷を癒すために土屋は同人誌に詩を発表するようになり、その作品に興味を持った八州が「いっしょに作品を作りたい」と土屋を訪問した。

鎌倉の海岸を散策していた八州は、渚でさくら貝を見付け、一首の歌を詠む。

 わが恋の如くかなしやさくら貝かたひらのみのさみしくありて

これをモチーフにして土屋が詩を作り上げた。

この失恋二人組男性の作った曲を歌う女性歌手は多いが、これは男が歌ってこそ味わいのあるものとばかりにチャレンジしてみた。でも本当の味が出てくるにはまだ失恋をいくつか重ねないといけないのかもしれない。

参考 読売新聞文化部 「愛唱歌ものがたり」(岩波書店)


「バルトの楽園」の『バルト』て何だ

2006-08-04 20:12:08 | Weblog
日本の兵隊さんの出てくる映画を見逃すわけにはいかない、とばかりに三宮の映画館に足を向けた。たまたま映画の日だったのでシニアと言わなくても1000円で入場、でもまばらな観客のほとんどはシニアに女性客。ひょっとして女性は健さんのファンなのだろうか。ゆっくりと鑑賞できてよかった。

その松平健さん、毛生えかかつらのテレビCMに映画の役柄の扮装でひげをひねりひねり出ているので、ちょっと興ざめの先入観があったが、映画そのものはなかなかしっかり出来ていたので安堵した。

捕虜収容所の映画は数々あるが、これも代表作の一つになりそうな気がする。クワイ川マーチで有名な「戦場に架ける橋」でも日本軍の管理する捕虜収容所が出てくるが、これは第二次大戦中の話だし、しかも戦勝国側の映画制作者が戦敗国の軍隊を描いているので、心やすく観るわけにはいかない。しかし「バルトの楽園」は第一次大戦時の話であり、しかも牧歌的な物語であるので、変なシーンだ出てくるのではないかと気にすることもなく楽しめた。

第一次大戦の時代、日本はまだ西欧諸国から学術・文化を取り入れつつあった。その先進国ドイツの戦争捕虜が日本にやって来たわけだから、彼らからも吸収するものが多々あったのであろう。この面で捕虜と地元民との交流の挿話の数々が楽しい。

なぜ今頃になってこの映画が作られたのか。想像するに、どうもベートーベンの「第九交響曲」がキーワードのようである。『第九』が2003年7月、『EUの歌』として公式に発表されたことでもあり、日本でも最もポピュラーな交響曲である『第九』が、この捕虜収容所の捕虜達により初演されたそのエピソードの紹介がこの映画の一つの眼目であったのだろう。

こので第九でソリストは全部男性、戦争捕虜だから当然そうなんだろうけれど、そのために楽譜を書き換えて男声四部に仕上げていくのだから大したものである。ところがこのソリスト達が上手すぎるのである。発声が完全に現代風、100年近く前のイベントとしては時代考証が不十分、なんてちょっと『意地悪じいさん』になったりした。

戦争が終わってパン職人だった捕虜が日本に残り神戸でパン屋をやりたいというシーンでは、では彼があの神戸で有名なパン屋を始めたんだ、と思い込んだり、あのドイツの将軍役をした俳優が、「ヒットラー 最後の12日間」のヒットラーで出たことを知ったり、そのようなことも面白かった。

しかし、未だに分からないことがある。「バルトの楽園」の『バルト』ていったい何なんだろう。


追記 『バルト』がドイツ語らしいことがわかった。Bart、すなわち「ひげ」であるらしい。それなら『バールト』と書くべし。『バルト』ではbaldになるではないか、とは負け惜しみの弁である。

埼玉・プール事故 余りにもぶざまななげやり仕事の連鎖

2006-08-02 17:45:13 | 社会・政治
ボルトなく、針金で固定か 埼玉・プール事故 (朝日新聞) - goo ニュース

埼玉県ふじみ野市の市営プールで、小学2年生の女子児童がプールの吸水口から吸い込まれて死亡するという痛ましい事故が起こった。

その事故にいたる状況が次第に明らかになってきた。もっとも記事だけでは正確なことは分からないが、明らかになった状況に私のコメントを追加してまとめてみる。

①吸水口のさくを固定するボルトがなく、針金だけで留めていた。
 この記事でボルトがないと言う意味が分からない。ボルトとは鉄製の棒状のものにネジを切っており、一端をプールの側面に埋め込み、もう一方の端をさくの四隅(何カ所でもいいが)に空けられた穴に通す。そしてナットでさくを締め付ける。このような構造を私は想像するのだが、ボルトがないとはプール壁に取り付けられたボルトが脱落してなくなったのかどうか。もしボルトが無くなっているのなら、さくの穴に通した針金をどこに結びつけてさくを固定していたのだろう。無くなっていたのはナットではないのか。いずれにせよ固定が不完全だったからさくが外れてしまった?

②吸水口の構造をアルバイトの監視員が理解していなかったため、対応が遅れたという。 
 さくが落ちているのを小学3年の男児が見付けて監視員に渡したにもかかわらず、その危険性を現場の監視員とその連絡を受けた管理棟にいた監視員も理解できておらず、電話連絡を受けた事務所の社員が現場に到着して始めて吸水口のさくであることが分かったという。監視員に対してなすべき仕事の説明が不十分で、そのうえ安全教育が完全に欠落していたようである。

③社員が、監視員に人を近づけないよう指示して補修道具を取りに戻った後、女児が吸水口に吸い込まれたという。
 これも状況が分からない。「人を近づけないよう指示」された監視員は具体的にどうしていたのだろう。監視員がなにか女児に注意したのだろうか。注意する間もなく監視員の目の前で女児が吸い込まれていったのだろうか。

要するに『お金を払って貰う』仕事を誰一人していないのである。

さらにこの市営プールの管理運営のいろんな面に於ける杜撰さが浮かび上がってきている。

④市とプールの管理運営の委託契約を交わした業者が、実際の業務を下請けに丸投げしていた。
 このような行為を市が禁止しているのは当然のことながら、現実に丸投げを見逃していたのは市の怠慢である。市と管理業者との間に不適切な癒着があったとしか言いようがない。

⑤市職員がプールの点検、確認業務をしていたにもかかわらず、流水プールのさくにボルトがなかったり、針金で留めたりしていたことを見逃していた。
 これは点検・確認業務とは云えない。サボタージュで処分すべきだ。

市営プールであるからには管理運営の責任は市にある。管理会社が下請けに丸投げの疑惑が持たれているが、そもそも市がその業務を管理会社に丸投げしたようなものである。そして責任を放棄した。

元来自分が果たすべき役割を、恩恵だと思え、とばかりにより力の弱いものに仕事を流して、その見返りに『上納金』を天引きして金を渡す。だんだんと先細りした金の行き着く先の現場の監視員は、時給いくらだけが最大の関心事なのであろう。

これでは犠牲者とその家族が浮かばれるはずがない。