日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

煙草嫌いでうっぷんを晴らしたい人に

2005-02-15 21:06:10 | 読書
「三朝温泉」に行ってきた。汽車に乗りたかったし、温泉に浸かりたかったし、カニも食べたかったし、おまけに家事から解放された妻からも感謝されるだろうというオマケも期待できる。

JR倉吉駅から旅館差し回しのマイクロバスで旅館に到着し、チェックイン手続きの時間待ちにロビーで休むつもりで歩きかけた足がピタリと停まった。『煙草の煙』が押し寄せてくる、ロビーが喫煙自由なのである。仕方なしに出来るだけ人から離れた片隅に、部屋に案内されるまでの時間を過ごすことにした。

『健康増進法』が施行されてその第二十五条に「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」とある。「その他多数の者が利用する施設」に「鉄軌道駅、バスターミナル、航空旅客ターミナル、旅客船ターミナル、金融機関、美術館、博物館、社会福祉施設、商店、ホテル、旅館等の宿泊施設、屋外競技場、遊技場、娯楽施設等多数の者が利用する施設を含むもの」が含まれている。

平ったくいえば、人の集まる場ではその施設の管理者が、吸いたくない人が煙草の煙を吸わなくてすむように「必要な措置を講ずるように努めなければならない」というのである。

「必要な処置を取らなければならない」と私なら書くが、この持って回った言い様は「うるさく云う人がいるから気をつけてね」という意味なんである。

ごく最近も神戸旧居留地にあるさるホテルの2階レストランで嫌な眼にあった。
入り口を入りそのままテーブルに通されたのでなんとなく嫌な予感がしたが、予感が的中したのである。このごろ客に喫煙の有無をたずねるレストランは確かに増えてきた。しかしここでは聞かれなかったのは「喫煙席」「禁煙席」の区分がなかったからである。さらに運の悪いことに、隣席の女性客二人の内の一人が席に着くやいなや煙草に火をつけたのである。

中華料理店などで円卓に相席にされた時に、となりの客が煙草を吸っても一本は我慢することにしている。しかし二本目に火をつけようとしたらお願いをする。「私は煙草の煙が嫌いなのですが、このお店は全店喫煙OKのようなので、私も一本は我慢しました。で、恐れ入りますが、二本目からはご遠慮頂けないでしょうか」と。これまで快く聞き入れてくださる方ばかりだったので、それ以上不愉快な思いをしたことはない。

ところが女性客に声をかけたことはあまりないので、ちょっと躊躇している間に声をかけるタイミングを見失ってしまった。彼女がチェインスモーカーなのである。それで不愉快を我慢して様子を見守ることにした。レストランだから当然料理を食べる。普通は食前に煙草を吸っていても料理が供されると煙草を止めて料理を楽しみ、コーヒがくるとまた再開ということが多い。この女性は料理の合間にも煙草に火をつける。結局6本の吸い殻を灰皿に残した。煙がこちらに流れてくると私は優雅な素振りで煙を押し返そうとする。押しつけがましくなく、でも気づいてくれることを期待してのジェスチャーである。この女性にはまったく効き目がなかった。

勘定を支払う時にレストランの責任者に出てきて貰い、なぜ「禁煙席」がないのかを尋ねた。すると以前は「禁煙席」を設けていたけれど、喫煙者が多いので「禁煙席」を廃止したとの返答が戻ってきた。確かに一度は「努めた」のである。それが達成できなかっただけのことである。この法案の立案から成文化までが煙草の煙がもうもうと立ちこめる部屋でなされた光景が私の目の前に浮かび上がってきた。まさに「うるさい奴がいるからちょっと格好をつけよう」というのがこの25条にありありと刻まれている。とにかく、空気を汚す犯罪的な喫煙者がいぜんとして大手を振っているのが日本の現状である。

ここでようやく中田喜直氏のご出場である。

ここに紹介する氏の随筆集は「音楽と人生」。日本人なら必ず一度は氏の作曲になる歌を歌っているはずである。ところが私は音楽好きの方に知って頂きたくてこの本を取り上げたのではない。私のように『煙嫌い』で、日常嫌な煙に悩まされ、ところが『悪貨』に駆逐された『良貨』の憤懣やるかたなき思いを少しは慰めて頂くためにである。というのも氏は徹底的な『タバコ嫌い』で、「音楽とは何か」ではじまる第一章から《日本は騒音とタバコにだらしがない国だ》《喫煙も騒音と同じ、粗雑な神経の人達》なんて言葉がバンバン飛び出す。

《喫煙者は知識人とは言えない(文明人ではない、とも言える》
《不潔な馬鹿女  私はレストラン他、飲食店、ホールのロビー、列車の中、パーTイ会場で喫煙している女性を見ると、そう思って心底から軽蔑する。・・・・・若い女性に対してはほとんど容赦しない。飽衣飽食、ぜいたくが出来て楽しいことがいっぱいあるのに、今時、今さらタバコをすうなんて大馬鹿女だ。それに気がつかないで自分では格好いいと思っているのだから全くのお笑いだ。そして悲劇でもある。》

いやはや、お激しいことである。少しは溜飲がさがるでしょう。

多くの著名人がタバコを吸うが故にバサリ、実名でずらりと登場する。そんな人の書いたものなんて読まない、と。その理由は《簡単に云えば、人前でタバコを吸うことを恥ずかしく思わない人は、文明人でも知識人でもないから、そんな人の書いた者を読むのは時間の浪費である》。それよりなにより本の買い方でも《著者がくわえタバコ、あるいはてにタバコやパイプを持っているような写真が出ていたら、まずその本は買わない》のである。

同じ作曲家仲間でも「パイプのけむり」を書いているばっかりに團伊玖磨氏も一刀両断。

300ページあまりの本の内、1/3がタバコがらみである。ご本人も少しは気にされたのだろうか、あとがきにこう述べておられる。《美しい文章の爽やかな随筆集ではなく、まったく反対の本になってしまったかも知れない。しかし、この本を読まれて、ご自分で色々考えて行動されれば、しあわせな人生の方に進まれるのではないか、とそれを希望している》

うっぷんを晴らされたら、せっかくのことゆえ音楽の話のページもめくられたらいかがであろうか。

『病める国』北朝鮮にに対する『制裁』とは・・

2005-02-13 17:40:50 | 社会・政治
「国手」という言葉がある。
《「上医は国を医し、その次は人を救う」ということから「名医・医師」の漢語的表現》(「新明解国語辞典」第五版)
医学部学生に先輩たちが「先ずは国手を目指せ」と檄を飛ばし、厚生労働省への入省を勧める、そういう場面に出くわしたことがある。その志や壮である。

しかめつらしい言葉で始めたが、要は『国』も病むことがあるということを云いたいのである。日本も見方によってはいろんな病名がつけられるのかも知れない。

この地球上で国連加盟国だけでも191カ国、実数は200を超えるであろう。何を基準に『病む』と判定するかはさておいて、これだけ国が多いと人間と同様、すべてが健康そのものなんてあり得るはずがない。健常者もおれば障害者もいると考えるのが自然である。

拉致被害者の『遺骨鑑定』、『捏造』を巡って最近とみに『制裁』論が高まり、今朝のテレビ番組でもその『制裁』の論調が主流のように見受けられた。私も威勢のいい話は大好きで、これがサッカーの試合のようなものだと「やってしまえー」と直ぐに乗ってしまう。でもここは一つの国を制裁する、というのであるからちょっと考えてしまう。

北朝鮮による『拉致』は明らかに我が国の主権侵害である。
国の威信が傷つけられたからには、かならずやそれを回復しなければならない。
『制裁』はその手段の一つである。また『拉致被害者』関係者が現在の逼塞状況を打開する一つの有効な手段として主張する、その心情も分からないわけではない。だが、しかし、である。

私は北朝鮮は病める『国』であると思う。伝えられる報道で判断すると、人間で云えば『自閉症』のようなものだろうか。
『自閉症』は見たり聞いたり感じたりすることが普通人とは同じように出来ない。脳の情報処理の仕方に障害があるからで、いわば生まれつきの疾病。北朝鮮の『金王朝』誕生から死ぬまでついてまわるもので、治療によって完治が期待される疾病ではない。

『発達障害』のある人間が仮に犯罪を犯したとしても、鑑定結果によっては無罪とされる場合もある。それに文明国では単純に罪を罰することでこと足れり、とはしない。完治を望めないにせよ、有効なプログラムに従った教育が施し、可能な限り普通の社会生活を営めるように状態の改善に努めるであろう。

『病める国』に対して『荒療治』にすぎない『制裁』を発動するだけでは、余りにも無策である。人間の病気の治療法が日進月歩であるように、病める国の治療法にも新しい工夫を取り入れた進歩を期待できないのだろうか。だから現時点での『制裁』発動に私は与しない。

北朝鮮の『発達障害』の大きな要因に、過去の日本の朝鮮半島の植民地化があると思う。北朝鮮の『社会復帰』に力を貸すべき『上医』が日本に生まれて欲しいものであるが、無い物ねだりだろうか。

昔の日本人ていいなぁ(その二)

2005-02-12 17:56:16 | 在朝日本人
中谷宇吉郎随筆集の「I駅の一夜」を始めて読んだ時に、「ああ、そうなんだ」と子供の頃の経験を改めて思い出した。

昭和20年11月のある日、日本への引き揚げ者を満載した貨物列車がひたすら釜山を目指して走っていた。「ひたすら」と云うのは引き揚げ者の思いであって、その実、貨物列車は駅でもないところでよく気侭に停まった。貨車の重い引き戸を開けては『積み荷』が外に飛び降り、用便をたすのである。しかし、機関士が列車を停めるのは別の本来の目的があったのかも知れない。世話役が貨車を一台ずつ訪ねては『積み荷』から金品を徴収する、それを機関士に手渡す、すると列車は動き出す。京城を離れてから何度もそのようなことを繰り返して、ようやく貨物列車は釜山に到着したのである。

引き揚げ船にいつ乗船できるのかわからない。それまで引き揚げ者は『収容所』で待機するのである。父母に長男の私を頭として長女、次男、三男の五人家族の『収容所』となったのは「本願寺」であった。この一文のために調べたところ、これはどうも東本願寺釜山別院であったらしい。その本堂に引き揚げ者がめいめい荷物で仕切った居所を作り上げた。

引き揚げ者の全財産は身体で運べるだけのもの。私の場合は両肩から「頭陀袋」を襷がけして背中には赤ん坊の弟を背負い、両手も手ぶらではなかったと思う。大人は背中に『背負い袋』である。移動の途中に休憩となると、大人はそのまま地面にひっくり返った。背中に弟を背負った私はそんな乱暴は出来ないので、大人を羨ましく思いながらそっと腰を下ろすのだった。

身体で運ばれるだけの荷物、中身は何だったのだろう。まず衣料品。もう寒い季節だったのでかなりの厚着をしていたはずである。『袋物』の中にも着替えが納まっていただろう。愛着が残りどうしても処分できなかった着物に帯もあったかもしれない。位牌にお骨。母は姫鏡台の鏡だけを手縫いの袋に大事に入れていた。もちろん貯金通帳や国債にもろもろの「重要書類」、子供の通知簿とか卒業証書、それに思い出の写真プリントなど、人様ざまの思いで選びに選び抜いた『貴重品』であったに違いない。

一人が持ち出せる現金は1000円。5人家族なら5000円まで。内地に戻るのにいまさら鮮銀券ではあるまいから日銀券に換えていたのだろうか。着物とかの衣服、毛布の縁などに制限外の紙幣を縫い込んだとか、そのような話を耳にした。でも子供の耳に入るぐらいだから、取り締まる側にしては摘発するのは赤子の手を捻るよりも容易かったのではないか。でも秩序が無いようで有るようで、有るようで無いようで、取り締まりの主体が誰か知りようはなかった。米兵であったかもしれない。港に米兵の姿がよく目立った。DDTの粉末を吹きかけたのも米兵であったが、チョコレートを呉れたのも米兵であった。

お寺に何日滞在したのだろう。今となっては思い出せない。でも2、3日でなかったことだけははっきりしている。その間、食事をどうしたのか、これも思い出せない。でも米に缶詰をはじめとしてかなりの食料品を身につけていたのは確かである。一番の重量物であったかもしれない。朝鮮人も食べ物を売りに来た。細く刻んだ沢庵を芯に捲いた海苔巻き一本が一円だったか十円だったのか、きりのよい値段だったのは記憶に残っている。

ご飯を飯盒で炊いていたのは間違いがない。薪を探しに出かけたからである。芝刈りの山があるわけではない、燃えそうなものを探し歩くだけ。と、格好なものがあった。建物の腰板のようなものである。すでに何枚も剥がされた痕がある。そう簡単にはずれはしなかったので力を込めて揺すっていると「止めなさい」との声がかかった。日本人の小父さんである。せっかくの建物を壊すのはもってのほか、日本人がそんなことをするものではない。朝鮮の人に大切に使って貰わないといけない、とお叱りを受けたのである。嫌もおうもなく目上の人の指図に素直に従った。

引き揚げ船が出るまでの毎日、何をしていたのか。実はその間に吉川英治作の「宮本武蔵」を読み上げたのである。私は本好きの子供であった。国民学校の低学年からフリガナを手がかりに、父の書棚にあった難しい本を読んでいた。それだけでは飽きたらず、本好きのもの同士がお互いの家にある本を借り貸ししあったものである。かなりのページがXXXXで埋め尽くされていた中央公論社版の千夜一夜物語も借りて読んだ覚えがある。

本を持っている人から本を借りるのは私の特技でもあったのかも知れない。釜山の本願寺の本堂で、誰かが『宮本武蔵』を読んでいるのを目敏く見つけて頼み込んだのにちがいない。昭和20年3月に京城から鉄原に疎開して以来、本から切り離された生活を強いられていて、本に対する渇望が溜まりに溜まっていたのだろう、むさぼるように読み続けたことを覚えている。お通に朱美、沢庵和尚などの名前がその時はじめて私の脳裏に刻み込まれたのである。嬉しいことに、物語は次から次へと展開する。他に何をすることもない。一巻一巻と読み進んだ。

調べてみると『宮本武蔵』には六巻本と普及版の八巻本があった。私の読んだのがどちらなのか分からない。いずれにせよ全巻だとかさもあり重量もある。その大きな荷物を着の身着のままの引き揚げ者が日本に持って帰ろうとしていたのだ。家族から、そんなものよりももっと大事なものがあるでしょう、と云われたのを強引に持ち出したのかもしれない。宝ものだと言い張る父親に家族が気を合わせて、では分け持って帰りましょう、と云うことだったのかも知れない。いずれにせよ不要不急の「宮本武蔵」に我を忘れさせられたのが私の『朝鮮』の締めくくりであった。

「I駅の一夜」を読んで何故あのときあんなところに「宮本武蔵」があったのか、なんとなくふしぎに感じていた疑問への答えが出たのである。そこに『日本人』がいたからなのである

亡父もモロッコ革表装の「聖書」を『袋』の底に忍ばせて持ち帰った。60年後の今は私の次弟宅に落ち着いている。

昔の日本人ていいなぁ(その一)

2005-02-09 22:17:03 | 読書

滅多にないことであるが、電車の中で若い人に席を譲られた日は、一日心が清々しい。ふと、昔の日本に思いを馳せてしまう。

中谷宇吉郎博士は『雪博士』として著名な方であった。
北海道大学で雪氷の研究を推し進め、我が国における低温科学の礎を築いたのである。東京帝国大学理学部において寺田寅彦博士に導かれて学究の道に足を踏み入れたのであるが、その一方、師の文筆活動にも啓発されて随筆家としても師の托鉢を継いだ。

数々の出版物で比較的入手しやすいのが中谷博士没後、四半世紀たって出版された「中谷宇吉郎随筆集」(岩波文庫)である。内容が「雪に関するもの」「自伝的作品」「寺田寅彦に関するもの」「科学と文化一般」の4部に分けられている。私が折に触れて再読するのがII部に収められている「I駅の一夜」なのである。

まだ戦争中早春のある日、博士は戦時研究の大事な用件で上京することになった。青森から汽車に乗り込み、座席も確保できた。後は東京を目指すのみであったのに、盛岡に着いてみると空襲の直後で駅の周辺もすっかり焼け落ちており、汽車もそこで打ち切りになった。3時間後に出る汽車は満員で乗りはずし、さらに2時間後の汽車のデッキになんとか割り込んだが、寒さと立ちづめの疲れで途中下車を決意した。下りたのがI駅である。夜も9時過ぎ、灯火管制で一面真っ暗、雪は降ってくる。駅前の交番で宿を尋ねても要領をえず仕方なく歩いているうちに、なんとなく昔の宿屋を思わせる建物が眼に入り、鍵のかかっていないガラス戸を開けて入った。もうかれこれ1時間もかかっていた。

確かに宿屋であったが、出てきた女中には満員であるからと断られた。この雪で外では眠れないので、と押し問答をしていると、「お気の毒ですから、泊めてお上げなさい。誠にすみませんが、其処で御所と御名前を云ってくださいませんか」と奥から若い女性の声が聞こえてきた。そこで博士は官職を書いた名刺を差し出した。

《大分たって奥から出てきたのは先ほどの声の持ち主であった。「どうも失礼致しました。この頃ちょっと物騒なものでとんだ失礼をいたしました。どうぞお上がり下さいませ」と丁寧な言葉付きである。》

そしてこの女性の「私は先生の随分熱心な愛読者なんで御座います」というのに驚かされる。相部屋は失礼なので、と博士はこの女性の4畳半の部屋に通される。この美しい声の主は紺絣のもんぺに同じ紺絣のちゃんちゃんこを着た三十近い知的な女性である。思いがけないところで思いがけない人に出会って驚いた博士は、その部屋にもっと驚かされた。

《四畳半の二つの壁がすっかり本棚になっていて、それに一杯本がつまっている。岩波文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの「続群書類従」だのという本がすっかり揃っているのである。そして、今一方の本棚には、アンドレ・モロアの「英国史」とエヴリマンらしい英書が並んでいる。畳の上にも堆く本が積まれていて、やっと蒲団を敷くくらいいの畳があいているだけである》

話を聞くと、この女性が女子大の出身で、専攻が英文学でかって女学校に勤務していたこと、夫が国文学専攻でこの土地の中学校に勤めていることが分かった。そして、今は夫の両親のやっていた宿を、要望があるものだから止めるわけにいかずに続けている事情が分かってくる。そして本を読む時間がなかなかないこと、それにもかかわらず毎月東京まで出かける一に頼んで本を入手している経緯がわかる。

博士は続ける。

《私はなんだか日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽かに培養されていたのではないかという気がしてきて、静かに夫人の話に聞き入っていた。》

翌朝早く宿の人がまだ寝静まっている時間に、夫人の好意の朝食の包みを持って博士は宿を後にした。

そして附記がある。

《この話は戦争が第三年に入って、我が国が最後の苦しい段階にのりかかった頃の話である。その時でも勿論この話は或る意味を持っていたと思われるが、今終戦後国民の多数が浅ましい争いと救われない虚脱状態とに陥っている際に、なるべく多くの人に知って貰うことも、また別の意味で意義があるような気がする。日本の力は軍閥や官僚が培ったものではない。だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは捨てない。(昭和二十一年二月)》


このような女性の存在、そしてこの挿話をより多くの人に知らせたいと願った中谷博士の心うちに、今の若い人も思いを馳せて頂きたいものである。

生体認証にすると『指切り』がはやりそう

2005-02-08 12:26:37 | 社会・政治
暗証番号より優れている個人認証の手段として、個人特有の身体的特徴を使う生体認証システムの開発が進められていると聞く。指紋、掌紋にそれぞれの静脈、虹彩に網膜、声紋に顔。

確かに個人確認の手段としては暗証番号より遙かに優れていると思う。ところがこれが犯罪防止にも有効であるかと云えば必ずしもそうではない。私に云わせると犯罪に対しては極めて脆弱、いや、かえって犯罪を助長する可能性が高い。

例えば指紋。このごろの『強盗』なら指なんか簡単に切り取ってしまう。
ハンコならまだ隠せるけれど、指は隠しようがない。
掌紋についても同じこと、手首から切り落とされる。

眼も危ない。眼球ごとくり抜かれる。
顔なんて、首ごと持っていかれる。

「お持ち頂いた指や眼球はご使用できません」なんて掲示を出しても、「試してみなくちゃ」と『やる気』をかき立てるだけ。それにあまり強調するのもかえってやぶ蛇、「やっぱり使えるんだ」と受け取られてしまう。

たとえ技術的に『身体にくっついた』状態でないと識別機能が働かないように出来たとしても、何事であれ『犯罪者』の方が上、必ずやそのバリアーをクリアーしてしまうだろう。とにかく、切り取るかくり抜けばいい、と『犯罪者』に短絡的に思わせることが恐ろしい。

生体認証の実効性の根本ににかかわるこのような問題を、開発者側はどう考えているのだろう。私は少なくともキャッシュカードのように現金を引き出す手続きには採用すべきではないと考える。

『生体認証』の実用化におけるこの落とし穴の怖さを味わいたいお方にお勧めなのが、私の大好き、ダン・ブラウンの"Ageles and Demons"、邦訳「天使と悪魔」である。

NHKを国営化して政府・政権党の報道機関に

2005-02-07 17:01:14 | 社会・政治
1941年12月8日、真珠湾攻撃のニュースを私は朝鮮京城府の自宅のラジオで聞き、1945年8月15日、昭和天皇の玉音放送は、朝鮮江原道鉄原にあった鉄原国民学校の校庭で聞いた。今で云うNHK(その頃から日本放送協会)の放送を通じてである。

その頃、ラジオで何を聞いていたのだろう。かれこれ60年も昔のことゆえ記憶もおぼろげである。それでもイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウエールズやレパルスをわが航空隊が果敢な攻撃で撃沈したとか、シンガポール陥落のニュースに心を踊らせた記憶は鮮明である。「加藤隼戦闘隊」「月月火水木金金」「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」などの軍歌が流れ、ラジオを通じて覚えた軍歌は今でもソラで歌える。そして警戒警報に空襲警報。日本語に続いて朝鮮語で繰り返され、その朝鮮語を口真似をしたものである。

ニュースに先立ち「海ゆかば」が演奏されることがあった。戦況芳しからずの予兆で、緊張して待つ間もなく帝国陸海軍報道官の重々しいアナウンスが流れるのであった。現在でも時々放映される北朝鮮のテレビニュースでアナウンサーの芝居がかりかのような荘重な口調に接すると、その当時のアナウンスの記憶が甦ってくる。

戦況報道に加えて、ああしなさい、こうしなさい、のお達しもNHKは忠実に国民に伝え、さらに聖戦完遂に向けて国民の志気をいやが上にも鼓舞した。NHK、すなわちイーコール大日本帝国政府、この図式は吸収力旺盛な小国民の頭脳に、素直に刷り込まれていったのである。

今回、朝日新聞が報じた「NHKへの政治的介入」のどこにニュース価値があるのだろう。周知のことを取り上げただけではないか。戦前・戦中のことはともかく、「刷り込まれた」私には戦後においてもNHKイーコール政権党・政府、なんである。これまであたかもNHKが「不偏不党」「中立公正」であったかのような前提での物言いは、私の認識とは大きな隔たりがある。現にNHKJの職員自ら特定の番組について、政治家への事前説明を当然と述べているではないか。この「ニュース」のどこに「人が犬を噛んだ」ほどのインパクトがあるのだろう。

ここで少し横道に逸れる。

朝日新聞の報じた内容は、4年前に起こったことについてである。「賞味期限」はとっくに切れている大昔の話である。「云った云わぬ」のやりとりも、そもそもは4年前の出来事を巡ってのことである。お互いがどれぐらい確信をもって主張できるのか。

私ごとで云えば、4年前の日常化している行動の時間経緯なんて、はるか忘却の彼方である。事実、安部氏がNHKの人たちと会ったと伝えられる場所が変わってきている。当たり前のことであろう。場所はまだ記憶に残りやすい。それより形のない会談内容が一体どれぐらいの確度で再現できると云うのか。「賞味期限」切れ「ニュース」の中身とはどのようなものであろう。

「賞味期限」切れ、これを食べ物にたとえるなら、悪臭を放つ腐敗物をすらとっくに通り越して「土壌」に化しているものなのである。これを朝日新聞は「商品」としたのである。

「新聞病みつき症候群」からなかなか逃れない反動で、また「新聞」に矛先を向けてしまったが、本題にもどろう。
とにかく私が主張したかったのは、実績においても私の脳裏においても、NHKイーコール政権政党・政府と云うことなのである。そう認識することで、不毛な「政治的介入」論議を通り越して一つの打開策が産まれる。

公共放送であるNHKは「不偏不党」「中立公正」でなければならないらしい。
それは「理念」としては結構であるにしても、そのような「抽象論」は現実には無力である。

また私事になるが、私の妻は私の母、つまり姑と35年ほど一つ屋根の下で暮らした。
当然のことながら嫁姑の鬩ぎ合いがある。その間に挟まれる私はとにかく事態を打開しないと家庭の維持が危ぶまれる。このような経験のない方はしたり顔でこう仰るかもしれない、「不偏不党、中立公正の立場を守ることが大切ですよ」とか。それを文字通り遵守しようとすれば、私は二人の間に挟まれ、ただじっと目を覆い、耳を塞ぎ口を閉ざし、右からのこづきには左に揺れ、左からのひねりを右にそらし、ひたすら堪え忍ぶしか手だてがない。

これでは事はなに一つ解決しない。
私は果敢にもいかなる状況においても旗幟を鮮明にした。母に理があると思えば母の側に立つ、妻の言い分がもっともだと思えば妻の肩をもつ。二人の間を行ったり来たり、誠意の限りを尽くして私の思うところを述べて説得する。何時も母の側に立つのではない、何時も妻の肩を持つのではない、立場を鮮明にすることで二人に安心感を与える。私が敵か味方なのか、疑心暗鬼に陥らずに済む。それが大事なのである。

たった二人に対してすら「不偏不党」は意味を持たない。日本国民全体を相手にしての「不偏不党」なんてあり得るはずがない。「実効」という観点からは極めて空疎な「不偏不党中立公正」論議に、良識ある人は引きずり込まれるべきではない。

では「不偏不党中立公正」のタガを外してNHKをどうするのか。
国営化するのである。
政権党・政府の報道機関に徹底させるのである。といっても、これまでと大きな違いが産まれるのではない。もともと政府報道機関であるのに、薄絹の被衣で覆い隠していたNHKの本質を、国民全体に分かりやすくするだけのことである。

政権を取った党は意気揚々とNHKをわがものにすればいい。
民主主義はそのように勝ち負けを鮮明にすることで成り立つシステムである。勝った党は堂々とその権利を行使する事が出来る。負けた側がもしそこに空疎な「不偏不党」と「公正中立」に寄りかかり、お余りをおねだりするようなことがあっては、民主主義の根底が覆る。何がNHKから流れようと、それは国民が選択した結果なのである。聞きたくない人はスイッチをいれなければいい。変えたければ政権交代を実現させたらいいだけのことである。

国営放送となったからには、一切の費用は税金でまかなう。もう受信料は払わなくていい。「経営」を税金でまかなうことに抵抗感があるはずがない。現在のシステムである受信料の強制徴収は「税金」を取り立てていることとまったく同じことなのだから。

国民に実害は何一つない、今やNHKだけが唯一の報道機関ではないからであある。

じっと手をみる

2005-02-07 09:41:42 | Weblog
ブログに携帯からアップロードできるとのことですので試してみます。右手中指の火傷がかなり治ってきました。(ここまでは携帯から、成功です。)

[台湾麺」を20秒ゆがく、時間に気が取られてお鍋の取っ手を素手で持ち上げてしまいました。とにかく麺をざるに移すまでには鍋を持ち続けないといけない。流水で冷やしましたが、厚い指の皮の下に水ぶくれが出来てしまいました。そのまま放置していると次第に水分は再吸収されたようで、腫れはひき、現在は13 x 7mmの大きさで表皮が硬化してきました。毎日じっと手をみて変化を楽しんでいます。

ここ2、3日、硬い?文章を書いたので疲れました。
どのように書き進めよう、なんて考え出すと、なかなか寝付かれません。
読んでくださる方に自分の主張を過不足なく理解していただく、この至難の技に取り組む以上仕方がないことでしょう。しばらくのんびりいたします。(^.^)



この「不況下」なぜ「新聞」は潰れないのか 3版

2005-02-05 21:27:46 | 社会・政治
NHKで不思議に思っている番組があるなんて書いたけれど、「新聞」でも不思議に思うことがある。

世の中はまだまだ不景気だそうである。とにかく景気回復を第一に、とことあるたびに自民党・政府が対抗勢力から突き上げを食らっている。新聞を見ても確かに不景気な記事が目立つ。大きな証券会社は潰れるし、老舗のデパートも気勢が上がらないし、戦後新興の巨大スーパーも気息奄々。銀行までもくるくる名前を変えてはその裏で消えていく名前が後をたたない。確かに景気が悪いのかな、と思わないわけではないが、それにしても不思議なのは、そういうニュースを伝えるわりに、どこかの「新聞」が潰れたとか潰れるらしいとかいう話がてんでないことである。

朝、新聞受けに朝刊が入っていない。またか、と思って取次店に電話をしてもなかなか繋がらない。あちらこちらから舞い込む未配達の苦情で店主がかけずり回っているのだな、と思いながら少し時間を置いて電話をかけても依然と繋がらない(ここまでは私が実際に経験したことである)。しかたがないと諦めてNHKテレビをつけると、なんとその「新聞」、経営悪化のために遂に廃刊のやむなきに至ったと、アナウンサーが深刻な表情でニュースを伝えている。

このような事態になれば、へそ曲がりの私もこれまで「新聞」の報じてきた「不景気報道」を実感をもって受け入れるであろう。倒産、倒産を大きな活字で紙面に踊らせても、「新聞」にとって伝えるのは所詮ヨソ様のこと、受け取る方も「ああ、そう」で済んでしまう。

「朝日」「毎日」「読売」「サンケイ」「日経」といったところが、私の頭に浮かんでくるいわゆる大「新聞」であるが、この不景気な(と云われる)ご時世に軒を並べて商売繁盛なのはなぜか、私なりに考えてみた。

多分一つは企業努力を怠っていないからであろう。

今日5日の「朝日」の朝刊、朝日新聞大阪本社の13版の本紙というべきか、この36ページに実に多くの広告が入っている。1ページの面積を測ってみると41cm x 54 cm = 2214 平方センチで36ページでは79704平方センチになる。一方広告の占める面積を測ってみると11ページが全面広告であるので、その分が24354平方センチ。その他のページに占める広告は32ブロックにまとまっていて合計が15715.5平方センチ、従って広告の総面積は40069.5平方センチである。

全紙面のうち実に50.3%が広告で占められている。私もかってある機関誌の広告集めをしたことがあるが、ちょっとやそこらの努力で広告を出して貰えるものではない。その意味で、紙面の半分を広告で埋めることが並大抵の努力でなし得ないことはよく分かる。

その努力は多とするが、しかし、である。

民放のテレビは無料である。経営がコマーシャル収入で成り立つからである。ところでその番組でコマーシャルの占める割合はどれぐらいであろうか。私は気に入った映画を録画しては、コマーシャル部分だけをカットしてDVDに保存することがある。その作業での印象で云えば、コマーシャルの占める割合がせいぜい多くても20%ぐらいではなかろうか(また暇な時に計算をしてみよう)。仮に番組の半分がコマーシャルだとすると、そんなに落ち着かない番組を観る人なんてほとんどいないだろう。すなわち商品価値が0なのである。

「新聞」の紙面の半分は広告、すなわちコマーシャルである。民放テレビなみに考えるとこれだけで十分以上に経営が成り立つことになる。新聞は無料で配れるのである。ところがそのような品物に私は一ヶ月に3795円も払っている。坊主(言葉の弾みですm(__)m)、ではなくて「新聞」丸儲けである。これほど不況不況と「新聞」が騒ぎ立てる割に潰れた「新聞」がないのは当たり前だったのだ。

その企業努力は広告集めだけではないようである。

広告媒体がどれだけ大勢の目に触れるかで、広告主はその効果を予測する。だから新聞の場合は購読者数の多いほど、広告主に高い料金を請求しやすい。広告収入を上げるために購読者獲得に力を注ぐのは自然の成り行きである。そのためには絶えず話題を提供しないといけない。昔から連載小説とかマンガで固定読者を獲得してきた。私も子供の頃、紙不足で新聞がまだタブロイド判だった時代に、手塚治虫のマンガを見たいばっかりに販売店の前の長い行列に加わり、新聞の配達されてくるのを心躍らせながら待ったものである。でも時代と共に話題提供の手段も進化する。

「朝日」対「NHK]のバトルと化した最近の「云った云わぬ」の争いも、話題作りのための仕掛けだと思えばそれで納得がいく。マスコミ界の中の異業種間格闘技なんである。親方日の丸のNHK(これに対しては改めて厳しく断じる(^.^))はともかく、「朝日」は自分から仕掛けないと話題を作れない。「政治的圧力」とか「民主主義を守る」なんて文字面に読者が振り回されることはない。

そこでもし仕掛けの馬鹿らしさに購読者がそっぽをむくと広告主も離れ、「丸儲け」に縁のない正直な企業努力を重ねている民間企業並みに「新聞」にも倒壊の危機が押し寄せる筈である。ところが悔しいことに、「新聞」には「購読者離れ」を防ぐ仕組みがちゃんと工夫されているのである。

私も親の代から「朝日」を購読している。別の新聞に変えようと思った時もあったが、その頃存命の母がある「欄」に投稿しては、それが採用されるのを日々の励みとしていたものだから、押し切ることはできなかった。これなんぞは分かりやすい仕組みである。ところがこんなのはどうだろう。

朝起きて真っ先に新聞を読むことから一日が始まる、電車の中で新聞を読みながら会社に向かう、何かあるとふと手にとって新聞をみる。要するに「新聞」を手にする衝動が生活習慣の中に刷り込まれてしまっているのである。「新聞」が生活のなかにどっかり居座って、「新聞」を見ないことには落ち着かない。これは正しくNAS(Newspaper Addict Syndrome)、すなわち「新聞病みつき症候群」の典型的な症状である。

この病の恐ろしいところは、罹っていることをご本人が自覚しないことにある。この病気のことを「新聞」が報道したことがあっただろうか。報道しないことは「存在しない」ことなのである。読者は知りようがない。これは知る人ぞ知る、都合が悪いことだと黙りを決め込む従来からの「新聞」の特技なのである。ことほど左様に「新聞病みつき症候群」はアルコール中毒、ニコチン中毒、パチンコ中毒、携帯中毒、メール中毒と同じ類のものであるが、その存在が隠されている分、たちが悪い。

以上が「この「不況下」なぜ「新聞」は潰れないのか」の疑問に対する私なりの考察である。要するに購読者を人質にして「丸儲け」しているからである。購読料を取らなくても、購読者がいると云う事実が広告料収入をもたらしている。docomo、au、vodafoneなどの会社をご覧じろ。携帯電話機を無料で利用者に提供しても、利用者が通信回線を使うことで利益を上げるようにしているではないか。それにも拘わらず、「新聞」がその金の卵を産む読者からさらに「購読料」を取るのは、神を恐れぬ不埒な行為である(ト ここで見えを切る)。


「お断り」ある実験のために同じ記事を何回か今日中にアップロードします。ご了承下さい。なおついでに、「新聞病みつき症候群」はNAS(Newspaper Addict Syndrome)と同様に私の造語ですので辞書を引いても出てこないと思います。

一遍上人はプータロー、フリーターのはしり?

2005-02-04 16:27:34 | 読書
1月17日、神戸湊川神社の神能殿で「阪神淡路大震災十周年追悼公演-祈りと再生と-」の催しがあった。かねてから往復はがきで参加を申し込んでいたところ、幸い抽選に当たったので夜の部に出席した。

私は上原まりさんの琵琶演奏「平家物語」が目当てであったが、それに先だって拝聴した山折哲雄氏による追悼講話「震災十年に寄せて-無常と浄土-」の中の一挿話に「アレッ」と耳をそばだてた。この大震災で清盛塚の近くにある真光寺の塔が倒壊した際に、時宗の開祖一遍上人の骨壺から遺骨が散乱し、それを元に納めるのに時宗の信者が全国から集まったというお話であった。ほとんど知れれていない話だけれど、とのことであるが、確かに地元の私も知らなかった。

なぜ耳をそばだてたのか、といえば、その真光寺こそ半世紀以上も前に私が通っていた中学校と隣り合わせのお寺だったからである。中学校の裏側の塀を乗り越えるとそこは真光寺の境内で、時々忍び込んだような記憶がある。朝礼で「何かを倒した、とお寺から苦情があったから、気をつけるように」なんて注意が繰り返されたことは今でも覚えている。

私は知らなかったが、一遍上人(1239-89)の墓塔と伝えられた五輪塔が倒壊した際に、一遍上人の骨壺が水輪部から偶然見つかったそうである。もしあの時にもっと大きいこの塔を倒してこの骨壺を発見していたら、間違いなく感謝状ものだったであろう。

機会があれば真光寺を改めて訪れようと思っていたところ、昨日立ち寄った書店でふと目に止まったのが佐江衆一著「わが屍は野に捨てよ 一遍遊行」(新潮文庫)であった。さっそく購入して読み上げた。

小説ではあるが、生とか死とかを哲学的に考えたことのない私にとってまあ読みやすい本とは云えない。裏カバーにあるキャプションによると「時は鎌倉時代。武門の身を捨てて十三歳で出家した一遍は、一度は武士に戻りながら再出家。かっての妻・超一房や娘の超二房をはじめ多くの僧尼を引き連れて遊行にでる。断ち切れぬ男女の愛欲に苦しみ、亡き母の面影を慕い、求道とは何かに迷い、己と戦いながらの十六年の漂泊だった。踊り念仏をひろめ、時宗の開祖となった遍歴の捨聖一遍が没するまでの、波乱の生涯をいきいきと描く長編小説」である。

時は鎌倉時代、伊予に生まれ一生の間に九州、紀州、信濃、東北、近畿と日本全国を回国巡礼している。「修業」と断らなければ出来ない大旅行である。はじめはもちろん修行であるが、長じるにおよんでは救済が行となる。この当時のこと、同行者が次から次へと斃死していく。

一遍にとっては「衣食住の三(みつ)は三悪道なり」で、あらゆる所有を拒絶する。捨聖なる由縁で、到達する境地の一つが踊り狂う踊り念仏である。でも彼は一体何をしたかったのだろう。それがピンと来ない。何もかも捨てるのはご自由であるが、武士から再出家する時には二人の妻とそれぞれに一人ずつある二人の娘を投げ捨てて家を出て行くのである。そんな身勝手を正当づける常識人に分かる言葉と論理があるはずがない。となると、仏典をあれこれ繙き編み出した難しい理屈で煙に巻くしか仕方があるまい、と凡人俗人の私は思ってしまう。

ひょっとしたら一遍は現代のプータロー、フリーターの教祖として十分に通じるキャラクターの持ち主であったのかも知れない。

予算委員会(国会)を少しでも楽しく

2005-02-04 10:09:20 | 社会・政治
NHKで私がかねてから不思議に思っている番組がある。
一つは大相撲の中継。この初場所でもBS2で大体午後1時から6時まで、間にニュースでも挟んでいるのであろうが、5時間も時間が割り当てられている。客席はまばら、多分番付の名前が小さくて読みづらい力士の取り組みの時から放映が始まる。このように聴取者をそれほど期待できない取り組みまでも延々と放映するNHKの狙いがわからない。

二つ目が国会中継。昨日の衆議院予算委員会で、間に1時間の中断があるものの午前9時から午後5時半までも質疑応答に時間が割かれていた。勤め人は勤務時間内だし、こんな時間に一体どのような人が観るのだろうと疑問に思っていた。ところが一昨日、ブログを書いた時点で思い当たった。灯台もと暗し、私のような仕事に追い回されることのなくなった自由人が観ればいいのである。確かにそれなりに面白いこともあったし、ブログに書く材料ともなった。

昨日も元来ならクラシックの番組の時間分だけの録画があるので、それを観たところ面白い場面に出くわした。。

議員のお行儀が悪い、いや、正確に言えば行儀の悪い議員が結構多いとは折に触れ耳にしていたことであるが、確かにお行儀が良くない。質問者と答弁者の遣り取りを議員が固唾を呑んで耳を傾けるなんて気配が伝わってこない。それどころか質問者と答弁者以外の多くの議員が、テレビでは聞き取れないようなことをわめきたてているのである。

「荒れる教室」が社会問題になって久しいが、学校どころか国会の議事堂内でこの喧噪は嘆かわしい。戦中の秩序を重んじる教育を受けてきた私には、これが選良の姿とはどうにも受け取れないのである。私の時代は授業の最中に教師の話に耳を傾けることなく、私語などをかわすとたちどころに鞭で手の甲を打たれたものである。

♪チイチイパッパ チイパッパ雀の学校の先生はむちを振り振り チイパッパ♪
これは子供の頃歌った童謡の一節であるが、子供の学校の先生のむちはだてではない、ことあるたびに本来の機能を果たしていた。そう、何を云いたいかと云えば、あの意味不明のことばをわめいている輩を、躾の時期はとっくに過ぎてしまっているのだが今からでも遅くない、おそまきながら鞭でひっぱたき躾を仕込みたくなったのだ。。

これが選良というものか、とふと気になって「選良」の意味を「新明解国語辞典」(三省堂、第五版)で確かめたらこのように出ていた。[選出された、立派な人の意]「代議士」の異称。[理想像を述べたもので、現実は異なる]。さすがご立派!「新解さん」である。
現実を理想に近づけるべく鞭でひっぱたきたくてムズムズしているところに、少なくともまともな感覚を備えた議員が一人登場してくれました。総務大臣麻生太郎氏である。

場面は自由民主党の松岡議員が、自由党が民主党に併合される時点での15億とかいわれる巨額の金の動きを巡っての質疑応答、麻生氏が答弁に立った時のことである。議場が騒々しくて麻生氏にも質問者の内容が聞き取れなかったらしく、議場を鎮めさせるジェスチャーに続いて次の発言になった。「雑音で聞き取れなかったので・・・」。そしてさらには答弁中に「やかましいな」の発言が飛び出した。動画でご覧あれ。大人の人は「先生」を感じて学校時代を懐かしく思えるはずである。

確かに中継の「雑音」は苦々しいが、麻生氏のような人間味のある反応に接するのはこれまた楽しいものである。ところがそれよりも面白いのは議場全体の光景ではないかと思う。質疑応答はいずれ官報に記載されるものであるから、必要とあればそちらを見ればいい。そこでNHKにお願いしたいのは、せっかく長時間かけて延々と中継するのであるから、この番組自体をもっと楽しいものにする努力である。

NHKは質疑応答の登場者のみにカメラを向けるだけでは能がない。その程度のことなら素人の私でも出来る。それよりもこの番組登場者全員の生態を具に国民に伝える工夫が必要である。たとえば「雑音」が発生するとそれを検知したカメラが自動的に動きズームアップで対象を捕捉するようにしたらどうであろう。発生源の表情のみならず心理状態までも聴取者に伝えうる迫真の映像が瞬時にして全国に流れる。また議場に彩りを添える議員の微笑まい所作からギョッとするような行動も手落ちなく報じないといけない。「解説」は一切不要、聴取者一人一人が自分の判断を形作ることが出来る。さらには「覗き見趣向」がかなり満たされる。

もちろん議員側も全面的な協力を惜しんではいけない。テレビに映るなんてまたとない存在アピールの場であるし、ちゃんと出席していることの証にもなるから。視聴者の便利のためにも、議員の名前まではともかく、所属政党を明示して貰わないといけない。おごる平家は久しからずひそみにならい、自由民主党が赤の法被なら民主党は白の法被を身に纏って頂く。背中にはNHK大河ドラマの役柄を書いて貰ってもいい。そうするとどういう状況でどういう「雑音」がどちら側から出てきたのか、予想したり納得したり、見る側の興もそそられるというものである。

「雑音」を「楽音」にかえる努力があってもいい。声を出したかったら意味不明のことをわめくのでなく、優雅にハミングで、そしてそれをハモラセルことで意志を表現すればいい。こういう和音の時はこの意味で、と云う次第である。反対の時は不協和音でもいい。その効果音に支えられて発言が議場に朗々と響き渡る様を想像するだけでも楽しくなる。

ハミングでハモルのはどうも、というのであれば、歌舞伎のかけ声を導入すればいい。
発言者ももちろん要所ではみえを切る。麻生氏なんかうってつけの「役者」ではないだろうか。「太郎冠者!」とかなんとか間髪を入れず赤法被が声をかける。このタイミングが命、声をかける側も進行を注意深く見守っていないことにはタイミングを逃してしまうので、真剣にならざるを得ない。白法被は「大向こう」から。練達のかけ声に気を良くした赤法被代表から原稿にない「本音」が飛び出せば、めっけものである。こうなると「かけ声」のタイミングを外すようなど素人は、赤白拘わらず全員の冷たい視線を浴びるものだからそれをバネに精進せざるをえなくなる。必然的に審議にも身が入るというものだ。

こんな国会の構造改革案を私は提案したくなった。せっかくの国会中継をもっと楽しむために・・。