日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

今もアメリカの『占領下』にあるわが祖国日本

2005-02-28 10:50:42 | 社会・政治
すでに述べたことであるが、私は純粋培養された『軍国少年』のなれの果てである。

この『軍国少年』という言葉を私は自然発生的に使っているのであるが、果たしてこの一文を眼にされる方にその意味が素直には通じるのだろうか思い、辞書に説明があるがどうか調べてみた。

「新明解国語辞典」「広辞苑」「大辞泉」「大辞林」「日本国語大辞典」「日本史広辞典」「国史大事典」「世界大百科事典」など、手元にあるこのいずれにも『軍国少年』の項目はない。

『軍国主義』はさすが項目に取り上げられている。

「広辞苑」では《国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようとする立場》と説明されている。
これを見ると、『軍国少年』はその『尖兵』として期待されていたのかと想像する。

ところが『軍国主義』という言葉を、戦時中に私が耳にした記憶がない。ではいつ頃その言葉が世間に現れ、どういう経緯で辞書に収録されるに至ったのだろう。

「世界大百科事典」では『軍国主義』が次のように説明されている。
《国家と社会において軍人や軍隊が特権的・優越的な地位を有し、戦争を肯定する立場から政治、経済、教育、文化など国民生活のあらゆる領域を軍事化使用とする思想ないしは体制をいう》で、ここまでは「広辞苑」の説明と軌を一にしている。しかし続きがあった。

《ただし、この言葉は、本来、フランスの第二帝政とドイツ第二帝政に対する共和主義者や社会主義者の批判の中から生まれ、第一次大戦と第二次大戦において、連合国の側がそれぞれ当時のドイツ第二帝政と大日本帝国に対抗するための宣伝戦の中で<軍国主義打倒>という文脈で用いるという経過を経て、社会科学の世界に入り込んだものである。その意味で、この言葉には政治的・宣伝的な色彩がつきまとうもので批判的・限定的な使用がもとめられるともいえるが、・・・》

ここまで読んでくると、私が戦時中に『軍国主義』なる言葉を聞かなかったことも頷けられる。そして『軍国少年』なる言葉も、否定的な意味合いで世間に流布しているのではないか、と覚らされるのである。

しかし私は『軍国少年』を「戦時中に国民学校で教育を受けたことのある少年」と定義しておく。現象的にははっきりと規定できるからである。

『軍国少年』のなれのはて、と私がいうと、そういう過去があるものだから、現在の自分を恥じているかのような印象を与えるかも知れない。そうではない。それは言葉のあや、格好良くいえば謙譲の姿勢をとりながら、心の中の誇りを表現しているのである。

ここで本論に戻る。この『軍国少年』の眼で眺めると、今の日本が未だにアメリカの『占領下』にあるというは厳然たる事実なのである。日本の固有の領土に外国であるアメリカの軍隊が駐屯している、この事実だけでそのように判断するのである。

『大東亜戦争』では神州の寸土をも敵に渡すじと日本は戦ってきた。日本の領土に外国の軍隊を入れないために戦ってきたのである。しかしその戦争に負けたから日本は連合国に占領された。わが国固有の領土に外国の軍隊が駐屯することが占領の証であった。

日本を占領したアメリカ軍が、サンフランシスコ講和条約で『占領軍』を『駐留軍』と呼び名を変えただけで、戦後60年間途切れることなく日本に居続けているのは厳然たる事実である。

言葉の言い換えで国民を言いくるめるのは日本政府のお家芸。『敗戦』を『終戦』と言い換えたりするものだから、前の戦争に勝った日本が、負けたアメリカ軍を『番犬』に雇っていると思う新人類が出現しても不思議ではないのである。『占領軍』を『駐留軍』と言いくるめるのは、それと同じ線上にある。

沖縄の米軍基地の移転問題がこの2月に入って、またニュースに取り上げられるようになった。沖縄の中でも、また他の都道府県でも、『基地』が自分のところに押しつけられそうになると、避けるのに一生懸命になる。『占領軍』に近づいて欲しくないからで、これは当然の感情である。

自国固有の領土に駐屯する外国軍隊は、その存在理由に百万言を並べ立てたとしても、そこにいるという事実の前には説得力を失う。『占領軍』が事実なのである。これがまともな国のまともな国民感情でもある。

卑近な例を挙げよう。

今のイラクの状況を眺めたらいい。わが国の『自衛隊』を占領軍だとみなすイラク国民の反応が報道されている。日本の自衛隊もイラクまで「出てくる敵は 皆々殺せ」のラッパを吹きつつ入っていったのではない。『人道支援』を旗印に掲げたのである。しかしイラク国民には本質が見え見えである。自国固有の領土に駐屯する外国軍隊はすなわち占領軍。ごくあたりまえの反応を示したに過ぎない。

『フセインの圧政』下にあったはずのイラク国民と、アメリカが世界に誇れる最大の世界遺産である民主主義国日本の国民、そのどちらがよりまとも国民なのだろう。

小泉首相は或る意味では現実的な政治家である。日本がいぜんとしてアメリカの占領下にある認識を持っているからこそ、イラクへの自衛隊の派兵も即決した。この恭順な態度に欣喜雀躍したアメリカの有頂天振りはわれわれの記憶にも新しい。。
少し生まれるのが遅かったばかりに、口惜しくも『軍国少年』になり損ねた小泉首相に、せめて絶叫させて上げよう。「戦後60年も日本に居座っているアメリカ軍、これは占領軍そのものじゃ無いですか!」

サンフランシスコ講和条約があるじゃないか、日米安全保障条約があるではないか、と仰る御仁がおいでかもしれない。日本が今もアメリカの『占領下』にあるというのは妄言であると仰りたいのであろう。

『条約』などというものは悠久の歴史の時間軸で眺めれば、当事国の力関係を反映したその場での『つじつま合わせ』に過ぎない。これも間近なところに分かりやすい例がある。

日本による大韓帝国の併合をみたらよい。これも政府間の一応形式の整った『条約』に基づく行為である。だからといって、今でも大多数の大韓民国、北朝鮮の国民が、併合はまともなことであった、と云っていますか。

明治維新後の日本国政府が不平等条約撤廃にどれほどの心血を注いできたのか、歴史をすこし繙くだけで、先人の卓見と努力におのずと頭が下がるであろう。その、直系の後裔である今の日本人の『誇り』の欠如こそ、まさにアメリカ占領政策の成果なのである。

アメリカ軍は日本固有の領土から完全に撤退していただく。言葉を換えれば日本は基地の提供を一切廃止する。『占領軍』の撤退でもって、始めてわが祖国日本は文字通り独立国の体裁を取りうるのである。

『占領軍』が存在する状況で日本国憲法の『改正』を論じること自体、自由な発想が妨げられる。そして国民の国民による国民のための『軍隊』の創成論議自体がゆがめられてしまうことを私は恐れる。

以上ががかっての『軍国少年』の見抜いた『まやかし』なのである。