日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

この「不況下」なぜ「新聞」は潰れないのか 3版

2005-02-05 21:27:46 | 社会・政治
NHKで不思議に思っている番組があるなんて書いたけれど、「新聞」でも不思議に思うことがある。

世の中はまだまだ不景気だそうである。とにかく景気回復を第一に、とことあるたびに自民党・政府が対抗勢力から突き上げを食らっている。新聞を見ても確かに不景気な記事が目立つ。大きな証券会社は潰れるし、老舗のデパートも気勢が上がらないし、戦後新興の巨大スーパーも気息奄々。銀行までもくるくる名前を変えてはその裏で消えていく名前が後をたたない。確かに景気が悪いのかな、と思わないわけではないが、それにしても不思議なのは、そういうニュースを伝えるわりに、どこかの「新聞」が潰れたとか潰れるらしいとかいう話がてんでないことである。

朝、新聞受けに朝刊が入っていない。またか、と思って取次店に電話をしてもなかなか繋がらない。あちらこちらから舞い込む未配達の苦情で店主がかけずり回っているのだな、と思いながら少し時間を置いて電話をかけても依然と繋がらない(ここまでは私が実際に経験したことである)。しかたがないと諦めてNHKテレビをつけると、なんとその「新聞」、経営悪化のために遂に廃刊のやむなきに至ったと、アナウンサーが深刻な表情でニュースを伝えている。

このような事態になれば、へそ曲がりの私もこれまで「新聞」の報じてきた「不景気報道」を実感をもって受け入れるであろう。倒産、倒産を大きな活字で紙面に踊らせても、「新聞」にとって伝えるのは所詮ヨソ様のこと、受け取る方も「ああ、そう」で済んでしまう。

「朝日」「毎日」「読売」「サンケイ」「日経」といったところが、私の頭に浮かんでくるいわゆる大「新聞」であるが、この不景気な(と云われる)ご時世に軒を並べて商売繁盛なのはなぜか、私なりに考えてみた。

多分一つは企業努力を怠っていないからであろう。

今日5日の「朝日」の朝刊、朝日新聞大阪本社の13版の本紙というべきか、この36ページに実に多くの広告が入っている。1ページの面積を測ってみると41cm x 54 cm = 2214 平方センチで36ページでは79704平方センチになる。一方広告の占める面積を測ってみると11ページが全面広告であるので、その分が24354平方センチ。その他のページに占める広告は32ブロックにまとまっていて合計が15715.5平方センチ、従って広告の総面積は40069.5平方センチである。

全紙面のうち実に50.3%が広告で占められている。私もかってある機関誌の広告集めをしたことがあるが、ちょっとやそこらの努力で広告を出して貰えるものではない。その意味で、紙面の半分を広告で埋めることが並大抵の努力でなし得ないことはよく分かる。

その努力は多とするが、しかし、である。

民放のテレビは無料である。経営がコマーシャル収入で成り立つからである。ところでその番組でコマーシャルの占める割合はどれぐらいであろうか。私は気に入った映画を録画しては、コマーシャル部分だけをカットしてDVDに保存することがある。その作業での印象で云えば、コマーシャルの占める割合がせいぜい多くても20%ぐらいではなかろうか(また暇な時に計算をしてみよう)。仮に番組の半分がコマーシャルだとすると、そんなに落ち着かない番組を観る人なんてほとんどいないだろう。すなわち商品価値が0なのである。

「新聞」の紙面の半分は広告、すなわちコマーシャルである。民放テレビなみに考えるとこれだけで十分以上に経営が成り立つことになる。新聞は無料で配れるのである。ところがそのような品物に私は一ヶ月に3795円も払っている。坊主(言葉の弾みですm(__)m)、ではなくて「新聞」丸儲けである。これほど不況不況と「新聞」が騒ぎ立てる割に潰れた「新聞」がないのは当たり前だったのだ。

その企業努力は広告集めだけではないようである。

広告媒体がどれだけ大勢の目に触れるかで、広告主はその効果を予測する。だから新聞の場合は購読者数の多いほど、広告主に高い料金を請求しやすい。広告収入を上げるために購読者獲得に力を注ぐのは自然の成り行きである。そのためには絶えず話題を提供しないといけない。昔から連載小説とかマンガで固定読者を獲得してきた。私も子供の頃、紙不足で新聞がまだタブロイド判だった時代に、手塚治虫のマンガを見たいばっかりに販売店の前の長い行列に加わり、新聞の配達されてくるのを心躍らせながら待ったものである。でも時代と共に話題提供の手段も進化する。

「朝日」対「NHK]のバトルと化した最近の「云った云わぬ」の争いも、話題作りのための仕掛けだと思えばそれで納得がいく。マスコミ界の中の異業種間格闘技なんである。親方日の丸のNHK(これに対しては改めて厳しく断じる(^.^))はともかく、「朝日」は自分から仕掛けないと話題を作れない。「政治的圧力」とか「民主主義を守る」なんて文字面に読者が振り回されることはない。

そこでもし仕掛けの馬鹿らしさに購読者がそっぽをむくと広告主も離れ、「丸儲け」に縁のない正直な企業努力を重ねている民間企業並みに「新聞」にも倒壊の危機が押し寄せる筈である。ところが悔しいことに、「新聞」には「購読者離れ」を防ぐ仕組みがちゃんと工夫されているのである。

私も親の代から「朝日」を購読している。別の新聞に変えようと思った時もあったが、その頃存命の母がある「欄」に投稿しては、それが採用されるのを日々の励みとしていたものだから、押し切ることはできなかった。これなんぞは分かりやすい仕組みである。ところがこんなのはどうだろう。

朝起きて真っ先に新聞を読むことから一日が始まる、電車の中で新聞を読みながら会社に向かう、何かあるとふと手にとって新聞をみる。要するに「新聞」を手にする衝動が生活習慣の中に刷り込まれてしまっているのである。「新聞」が生活のなかにどっかり居座って、「新聞」を見ないことには落ち着かない。これは正しくNAS(Newspaper Addict Syndrome)、すなわち「新聞病みつき症候群」の典型的な症状である。

この病の恐ろしいところは、罹っていることをご本人が自覚しないことにある。この病気のことを「新聞」が報道したことがあっただろうか。報道しないことは「存在しない」ことなのである。読者は知りようがない。これは知る人ぞ知る、都合が悪いことだと黙りを決め込む従来からの「新聞」の特技なのである。ことほど左様に「新聞病みつき症候群」はアルコール中毒、ニコチン中毒、パチンコ中毒、携帯中毒、メール中毒と同じ類のものであるが、その存在が隠されている分、たちが悪い。

以上が「この「不況下」なぜ「新聞」は潰れないのか」の疑問に対する私なりの考察である。要するに購読者を人質にして「丸儲け」しているからである。購読料を取らなくても、購読者がいると云う事実が広告料収入をもたらしている。docomo、au、vodafoneなどの会社をご覧じろ。携帯電話機を無料で利用者に提供しても、利用者が通信回線を使うことで利益を上げるようにしているではないか。それにも拘わらず、「新聞」がその金の卵を産む読者からさらに「購読料」を取るのは、神を恐れぬ不埒な行為である(ト ここで見えを切る)。


「お断り」ある実験のために同じ記事を何回か今日中にアップロードします。ご了承下さい。なおついでに、「新聞病みつき症候群」はNAS(Newspaper Addict Syndrome)と同様に私の造語ですので辞書を引いても出てこないと思います。

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