木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

中曽根康弘元首相の寄稿文への疑問と質問

2015-08-07 15:33:32 | インポート
 駅頭での挨拶駅立ちを終えて、本日の読売新聞朝刊の中曽根
元首相による寄稿全文を読み、一人の日本国民として腑に落ち
ない部分が幾つかありまた疑問に感じる部分もあり以下、質問
したい。
 私は一人の国民として戦争は反対であり、また歴史を正視す
る際には右も左もなく本質を捉える事が大切だと思っている。
 今日の慣習や価値観、風景や結果論で歴史を見るならばつい
に何も本質を把握する事はできないであろう。その時代はいか
なる価値観だったのかと時計の針を当時に戻し合わせて現在進
行形の目線で眺めなければ本質が分からない、それが歴史だと
言えまいか。

 以下、質問したい。
*アジア諸国に対しては侵略戦争でもあった。軍部による中国
国内への事変の拡大は中国民族の感情を著しく傷つけたと言わ
ざるを得ない。資源獲得のための東南アジア諸国への進出も現
地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、紛れ
もない侵略行為だった。

(私の質問と疑問)
 アジア諸国を植民地にしていたのはイギリス、アメリカ、オ
ランダ、スペイン、ポルトガル、フランスの欧米列強諸国であ
る。我が国はアジア諸国を植民地にしていない。当時の朝鮮半
島は独立国家足り得ない当時の朝鮮を併合したのでありこれは
当時のイギリスやアメリカも認めている。
 我が国は自国の予算を朝鮮半島に注ぎインフラを整備し衛生
環境を著しく向上させ学校や病院を作り、これにより当時の朝
鮮の食糧生産高は著しく増加し朝鮮半島の人口も大幅に増えた。
 アジア諸国を侵略して植民地にして搾取していたのは欧米諸国
だと歴史は示しているが、いかがであろうか。
 また当時まで現地のアジアの人々も搾取されて当たり前だと
諦めた上で服従していた自分達が敵わない白人の列強諸国の軍
を同じ有色人種の日本軍が撃破し撃退する様を目の前で見て現
地の人々は涙を流しながら狂喜乱舞したと東南アジアの現地の
人々が多数語っていたが、中曽根元首相はこの光景をいかに御
認識されるのだろうか?
 更に当時の我が国が資源獲得のために東南アジアに進出した
のは、当時の我が国を敵視したアメリカがあらゆる資源の日本
への輸出を禁じ兵糧攻めにしてきたからであり、国民の生活を
守るためには当時、東南アジアに資源の獲得を求めざるを得な
かった事実がある。アメリカにより全面的な資源封鎖をされ
た中であのまま座して枯渇を待つべきだったと仰せだろうか?
 また当時の我が国はアジアと戦争をしたのではなく、アジア
という場所で主にイギリス、アメリカ、フランス、オランダの
軍と戦ったのが歴史の事実だが読売新聞の文章では「アジアと
の戦争」と記されており、次世代の人々に著しい事実誤認を与
える危険性がある。
 大手新聞も本質を的確に文章にして頂きたい。
 
 また無抵抗の一般市民の老若男女が無差別に一夜で10万人
焼き殺された東京大空襲や広島と長崎への原子爆弾投下を中曽
根元首相はいかに御認識されておられるだろうか。


*歴史を正視しない民族に政治の長期安定もなく他の民族から
の信頼も尊敬もあり得ない。点検と反省により自己の歴史の否
定的な部分から目をそらすことなく、これらを直視する勇気と
謙虚さを持つべきであるし、汲み取るべき教訓を心に深く刻み
国民、国家を正しい方向に導くことこそが現代政治家の大きな
責務でもある。

(私の疑問と質問)
 欧米諸国こそ自分達の数百年間に及ぶアジア諸国の植民地支
配を正視しなければならないのではなかろうか。欧米諸国の政
治指導者からアジア諸国の植民地支配やアフリカの奴隷貿易に
対する点検や反省を聞いた事がない。
 我が国の歩みの全てを美化する必要はないが、しかし自虐に
基づいた歴史認識は国民や国家を正しい方向に導く事ができな
いものと懸念する。


*私はかつて靖国神社のA級戦犯の分祀を提唱したが、靖国神社
や神社本庁は分祀できないという立場で意見が統一されていた。
国家のために戦死した人々に報いることは国家として当然、欠く
べからざることだし、首相も天皇陛下も参拝できるように手を尽
くすのが国家の指導者、国政を預かっている者の責任だ。そのよ
うな方向に努力していくべきだ。

(私の質問)
 一人の日本国民として犠牲になった人々を祀る事は日本人の
死生観であり他国の人々から介入されるべきものではないと思
う。靖国神社に参拝するほとんど全ての日本人は国家のために
犠牲になった先人の鎮魂に手を合わせているのであり、一部の
国が叫ぶような戦争を願って参拝している日本人は限りなく皆
無である。
 靖国神社はもともとは明治政府の樹立に際して戊辰戦争で犠
牲になった人々を鎮魂する意味で東京招魂社として祀られたの
が始まりで、西南戦争で明治政府軍と戦った西郷隆盛は国民に
は絶大な支持があったが明治政府と敵対した不平士族の首魁
とされているために祀られていない。
 昭和の初期や戦後間もない頃まで、中国の幹部候補の青年が
我が国に留学しており日本人の篤志家が中国の青年を支えてい
た。その青年の中に若き日の周恩来もいて、周恩来は我が国へ
の留学生時代に何度か靖国神社に参拝している。
 そうして若き日の周恩来は彼を支えた日本人の篤志家に
「国家のために犠牲になった者を国家が祀るという考えがある
日本は素晴らしい。残念ながら中国には国家のために犠牲にな
った者を国家として祀るという発想自体が存在しない。」
と語っている。
 これは日本人の死生観の領域で他国から介入されるものでは
ないのではなかろうか。
 我が国の指導者は日本人の死生観や靖国神社について他国の
指導者の理解を得るよう努力するべきではなかろうか。


 以上、一人の日本国民として一人の日本人として中曽根康弘
元首相の寄稿文を拝読し、思った所を申し上げた次第である。

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70年目のヒロシマ、ナガサキの夏

2015-08-06 15:55:26 | インポート
 70年目のヒロシマの日である。
 9日にはナガサキの日を迎える。
 8時15分に広島市のある西の方角を向いて黙祷した。
 自分達があれ程に惨い被害に遭いながら自虐史観に染めら
れて「過ちは繰り返しません」としか表現しない多くの今の
日本人は是には是を、非には非を、という是々非々の視点か
らもっと明確に世界に向けて発言や発信をするほうが良い。
 ヒロシマ、ナガサキの70年目の年に胸中に去来する思いは
「安らかに眠ってください。核兵器の悲惨な惨禍を決して忘れ
ません。」
という思いである。

 1945年当時はまだ人種差別が当たり前に行われていた時
代であり、白人以外の人種は蔑視されていた世の中だった。白
人以外の国でありながら力をつけて台頭していた黄色人種の日
本を必然的な流れとして敵視した当時のイギリス、アメリカ、
他の列強諸国が最後まで自分達に従わず植民地にならない日本
を叩いたというもう一つの歴史的側面があの時代にあった。
 ドイツには原子爆弾を投下せず、日本だけに2発も原子爆弾
を投下したのはドイツは白人の国であり、日本は黄色人種だった
からである。
 黄色人種の日本に広島にはプルトニウム型の原子爆弾を、長崎
にはウラン型の原子爆弾というそれぞれ違うタイプの原子爆弾を
投下したのは黄色人種の日本においての人体実験でもあった。
 それ程に1945年当時は白人以外の有色人種の国は蔑視され
ていたのである。
 原子爆弾の投下にはそのような人種差別的な背景も強く存在し
たという事実を私達は知らなければならない。

 原子爆弾の日本への投下命令を下したのはトルーマン大統領で
あったが、その前の大統領で途中で死去したルーズベルト大統領
は1943年辺りには、
「日本に19発の原子爆弾を投下する。」
と周囲に述べていた事が明らかになっている。
 当時は本当に日本民族を根こそぎ根絶する意思がアメリカの指
導者には存在した事が窺われる。
 さて、今の核兵器はヒロシマ、ナガサキの比ではない。
 今の多くの人々はあのヒロシマ、ナガサキの光景をどこか遠い
昔の風景のように思っている傾向があるが、下手をすれば近い将
来の我が国にまたしても起こり得る光景である。
 つまり我が国が集団的自衛権を行使した瞬間に、待ってました
とばかりに日本本土が核兵器による攻撃を受ける危険性が高まる
のである。
 今の政治家は日米同盟の事しか視野にない。
 国際連合の「敵国条項」を忘れている。
 今も尚、我が国は国際連合においては第二次世界大戦当時のま
ま敵国のままにされているのである。
 アメリカが意図的に敵国条項を残したままにしていると言える。
 我が国はその国際連合の運営負担金は世界第二位の拠出を滞納
なく毎年負担しているが、扱いは敵国のままなのである。
 都合の良い時には利用され都合の悪い時には排除されている。
 国際連合とはUnited Nations、つまり連合国という意味であり
第二次世界大戦の時の戦勝国のことである。多くの日本人や日本
の政治家は何かと国連主義を唱えているが国連とは国際社会のよう
な意味合いではなく連合国、第二次世界大戦の戦勝国なのである。
 その国際連合の敵国条項で我が国は敵国のままにされている。
 敵国条項では敵国である日本が一発でも銃弾を放てば(集団的
自衛権の行使)、国連加盟国は一斉に敵国、つまり日本を攻撃し
ても良いとなっているのである。
 日米同盟だけでは制御できるものではない。

 日米同盟の視野しかない日本の政治家と官僚、学者であるが、
もしも日米同盟で動いていたアメリカが我が国が集団的自衛権
を行使して以降、国際連合の敵国条項を発動させ敵国条項に則っ
て行動したらどうするつもりだろうか。
 多くの政治家、官僚、学者は言葉を失うだけで周章狼狽するだ
けの可能性が高い。
 国際連合に敵国条項を残したままにしていたのはアメリカであ
り、敵国条項を発動させれば日米同盟で動いていた筈のアメリカ
が我が国を他の連合国と共に攻撃してくるという可能性も十分に
あると懸念している。
 第二次世界大戦の戦勝国の連合国側には、当時は全く国家の体
を成していなかった中国が我が国への当てつけとして加えられて
いる。
 我が国が集団的自衛権を南シナ海で行使してアメリカ軍と共同
監視活動を行えば人民解放軍と日米軍が武力衝突を生じる可能性
が高まり、仮にアメリカ軍が人民解放軍海軍から攻撃を受けてそ
れを受けて我が国が集団的自衛権を行使し人民解放軍海軍に応戦
したならいかなる展開が待っているだろうか。
 評論家には全く見えていない。
 国際連合の敵国条項が発動され、中国は国連の敵国扱いである
我が国を攻撃しても良いという大義名分が生じる事になる。
 その時、同じく戦勝国側にあるアメリカがどう動くだろうか。
 良くてアメリカ軍は手を引いてジョセフナイ氏が論文で述べて
いたように日本と中国だけの日中戦争に誘導するだろうが、最悪
の展開ではアメリカが日米同盟ではなく国際連合の敵国条項のほ
うに基軸を置いて我が国を攻撃してくる可能性もあると懸念する。

 日本の政治家、官僚、学者のほとんどが想定していない展開で
あろう。
 我が国本土が核兵器で攻撃され焦土と化し数千万人の犠牲者が
出て阿鼻叫喚の呻き声が響かない事を将来に祈りながら、ヒロシマ
とナガサキの70年目の年を迎えている。

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組織の問題点と組織をより進化させた姿とは

2015-08-04 12:26:16 | インポート
 様々な事例や物事を経ていく中でふと思う。
 世の中のあらゆる物事は人が織り成すものである。
 人は一人では限界があるために集団となり組織を形成する。
 しかし組織になることで逆に物事ができなくなる、物事に
対処できなくなる、問題の解決ができなくなるという事態や
事例をしばしば見る。
 人は一人では何もできないが、組織になってもまた何もで
きない。

 多くの組織に共通している事は何かの問題に対して、
・先送りする
・棚上げする
・うやむやにする
・蓋をする
・見て見ぬふりをする
・沈黙する
・足して二で割る
という対処のいずれかになっている場合が多い。
 組織がそのような空気に支配されているために、そこにい
る社員や組織人はいつしか「見ざる、聞かざる、言わざる」と
いう組織の中での処世術を覚えていく。
 そして組織は物事や問題そのものに全く対処できない対処し
ない体質へとなっていく。
 人も組織も物事に対処する事で知性や経験値が備わり人材も
成長していくものであるが、上記の手法で先送り、蓋をする、
棚上げする、うやむやにする、という事ばかりで物事そのもの
に対処しない組織は、いくら何十年も場数を踏んだとしても組織
に知性は備わらず人材も育たない。むしろその場を凌ぐためだけ
の悪知恵や浅知恵ばかりが蓄積されていく。

 ある実力者のお方が全国的にも世界的にも著名な方でありなが
らご自身の活動について決して組織を作らないという。
 何故、このお方程の世界的な実力者がご自身の活動を推進して
いくための組織を各地に作らないのかと言えば、
「組織にすると必ず腐っていくから私は決して組織を作らない。」
との事であった。
 確かに大組織になっていても問題を孕んでいたり、問題に対処
できない組織の実態や現実を色々と知れば、なるほどと思ってし
まう。
 人は一人では限度があるが、しかしだからと言って組織にして
しまうとこれもまた問題に対処できなくなる。
 それならばどのようなスタイルが最も機能的で物事に対処でき
るだろうかと私なりに色々と考えている今日この頃である。
 個人単独でもなくしかし組織にはならず、孤立はしないが群れ
ることもしない、そのような最適なスタイルとはどのような姿な
のだろうか。
 組織では現場の泥が上層部には鯛になって伝わる事も多い。
 また組織論に囚われて現実に対応できなくなる事もある。
 或いは特定の一握りの者が組織を悪用して画策を試みたり悪事
に手を染めている事例も時折見かけられる。
 更に組織が大きくなると組織内組織が多数生じて、特定の意思
を持った一握りのグループに組織が恣意的に悪用される事例も少
なくない。
 加えて大組織では部門と部門、部署と部署とが並立しているだ
けになり全く意志の疎通が無くなり硬直化していく事例も多い。
 個人だけでもなく組織でもなく、しかし現実の世の中や問題に
機能的に機動的に対処できるスタイルとはどのような姿であろう。
 
 個が確立されていて互いの個やグループが連携する葡萄の房や
蜘蛛の巣のような姿がこれからの時代には最も現実に即応した動
きができるのではないかと思いつつある。
 東芝やマクドナルド、IBM、各政党の実態を見ていると何か
と思う事がある。
 組織は必ず腐っていく。
 至言である。

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