朝、「ちょっとそこまで買い物に行くから化粧はせずに行こう。」と、すっぴんに日焼け止めクリームを塗っただけの顔で出かけました。
買い物も終わり、気分もよくなって歌いながら自転車をこいでいたら、「おはよう。」という声に、「おはようございます。」と、大声で返事をしました。
「誰だろう。」と、じっくり顔を見てみれば、近所のおじさんがにこやかに手をあげているではありませんか。
「うわぁ。やば。歌っているのも変だと思われるけど、すっぴんでいるときに声をかけるな。」と、言いたくなります。
私は、全くの無防備な状態で人と接していたのです。
家に帰り、そのことを母に言うと、「あの人は、お茶目な人だから。人にちゃんと挨拶してくれるのよ。」というのです。
確かに、お茶目な人なんです。
一つ助かったのは、道を隔てたところで声をかけられたので、歌っているか、ばれなかったんです。
私の歌は、ちゃんとした歌詞がないのです。
メロディーは合っていても、歌詞が自分の思いを歌っているので、「なんじゃそれ。」になります。
しかも、歌に集中しているもんですから、周りが見えていないのです。
なんか、いけないものを見られた感があって、家に帰っても時間が経っても、「あ~~~。」と、わけのわからない悲鳴を上げている自分がいるのです。
「こんなんなら、歌は別にして、化粧をするべきだった。」と、後悔しました。
最近、家の中と、外にいるときの差を自分で把握していることも無くなりました。
まわりに人がいなかったら、外でも屁をしている自分がいます。
「自分が怖い。」と、思いながら、また歌を歌いながら自転車をすっ飛ばしている場面に、あとで気づくことになります。
買い物も終わり、気分もよくなって歌いながら自転車をこいでいたら、「おはよう。」という声に、「おはようございます。」と、大声で返事をしました。
「誰だろう。」と、じっくり顔を見てみれば、近所のおじさんがにこやかに手をあげているではありませんか。
「うわぁ。やば。歌っているのも変だと思われるけど、すっぴんでいるときに声をかけるな。」と、言いたくなります。
私は、全くの無防備な状態で人と接していたのです。
家に帰り、そのことを母に言うと、「あの人は、お茶目な人だから。人にちゃんと挨拶してくれるのよ。」というのです。
確かに、お茶目な人なんです。
一つ助かったのは、道を隔てたところで声をかけられたので、歌っているか、ばれなかったんです。
私の歌は、ちゃんとした歌詞がないのです。
メロディーは合っていても、歌詞が自分の思いを歌っているので、「なんじゃそれ。」になります。
しかも、歌に集中しているもんですから、周りが見えていないのです。
なんか、いけないものを見られた感があって、家に帰っても時間が経っても、「あ~~~。」と、わけのわからない悲鳴を上げている自分がいるのです。
「こんなんなら、歌は別にして、化粧をするべきだった。」と、後悔しました。
最近、家の中と、外にいるときの差を自分で把握していることも無くなりました。
まわりに人がいなかったら、外でも屁をしている自分がいます。
「自分が怖い。」と、思いながら、また歌を歌いながら自転車をすっ飛ばしている場面に、あとで気づくことになります。