今日で、去っていく人が数人いました。
一人は、息子夫婦と住むことになる施設のおじいさん。
そして、もう一人は、同じ身の上のヘルプとしてデイから送られてきた人なんです。
3月は別れのシーズンと言いますが、私には7月が別れの月になりました。
結構、辛辣に物言う人でした。ヘルプの人は。
あまり関わらないようにしてきたつもりです。
本当は、もっと別の人と別れたかったのですが、その人は、ずっと居座るようです。
朝、施設を出たところで、別れの挨拶をしよう。と、思っていたのですが、いざ、帰るとなると、もうあいさつのことなんて、すっかり忘れてしまい、自転車をすっ飛ばして走り去る私なんです。
「あっ!」と、気づいたときには、もう電車の中。
「忘れてもうた。」と、がっかりすることに。
やっぱり、あいさつは大切なんでしょう。
多分、私が去るときは、誰もあいさつなんかしてくれないでしょう。
もうそんな気がしてきました。
それが、私流なのかも。
施設のおじいさんは、ものすごい丁寧におじぎの角度も45度で、「さすが、年の功。」と、思える人でした。
その人は、私とよくしゃべる人で、「別の人が去ればいいのに。」と、思ってしまいました。
別れの挨拶は、丁寧にすれば、するほど、名残惜しくなります。
「じゃあね。」くらいでいいんじゃないの。と、思ってしまう気さくな性格なんです。
一人は、息子夫婦と住むことになる施設のおじいさん。
そして、もう一人は、同じ身の上のヘルプとしてデイから送られてきた人なんです。
3月は別れのシーズンと言いますが、私には7月が別れの月になりました。
結構、辛辣に物言う人でした。ヘルプの人は。
あまり関わらないようにしてきたつもりです。
本当は、もっと別の人と別れたかったのですが、その人は、ずっと居座るようです。
朝、施設を出たところで、別れの挨拶をしよう。と、思っていたのですが、いざ、帰るとなると、もうあいさつのことなんて、すっかり忘れてしまい、自転車をすっ飛ばして走り去る私なんです。
「あっ!」と、気づいたときには、もう電車の中。
「忘れてもうた。」と、がっかりすることに。
やっぱり、あいさつは大切なんでしょう。
多分、私が去るときは、誰もあいさつなんかしてくれないでしょう。
もうそんな気がしてきました。
それが、私流なのかも。
施設のおじいさんは、ものすごい丁寧におじぎの角度も45度で、「さすが、年の功。」と、思える人でした。
その人は、私とよくしゃべる人で、「別の人が去ればいいのに。」と、思ってしまいました。
別れの挨拶は、丁寧にすれば、するほど、名残惜しくなります。
「じゃあね。」くらいでいいんじゃないの。と、思ってしまう気さくな性格なんです。