父は木工細工が大好きです。
いわゆるDIYを好んでいます。
ホームセンターに行くと、木の棒や、板などを見定め、「本当に要るのか。」わからないものを買ってくるのです。
茶の間では、コタツにうずくまり、何やら設計図を書いています。
その設計図で仕上がったものは、数少なく、机上の空論のような毎日を過ごしています。
母に、「電動式のノコギリが欲しい。」とねだっていて、却下されています。
まあ、使わないものは買わない主義の母なので、ちょっとは安心しているのですが。
私は、なんでもいいから、木の板や、棒を部屋に持ち込まないでほしい。と思っています。
それだけでもかさばって場所を取るのです。
「使わないものは、倉庫へ直してくれ。」と、頼むと、「これは、全部要るものだ。」と、何年も前から動かしていない木の棒などが、ほこりをかぶっています。
あまりの腹立たしさに、年末に、「大掃除するから、片づけてよ。」と、きつく言うと、しぶしぶ片づけても、倉庫には持って行かないのです。
この間、「これを見てくれ。」と、父がご機嫌に指さすものは、ご先祖の過去帳置きでした。
「こんなちゃっちいものを作るのに、どれだけ材料がいるんだ。」とは、口が裂けても言えず、「良かったじゃない。」としか言えませんでした。
たぶん、父は、設計するのと、買い物が好きなだけで、DIYなど二の次なんだろうなぁ。と、思うのです。
こういうのは遺伝するもので、息子である弟にも受け継がれているようです。