「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「小菊の秋 その7」

2014-11-21 12:35:48 | 和歌

   小径の脇に、野紺菊がどこか淋しげに咲いていた。



 野紺菊は元来、山野に自生する野菊だが、涼やかな花を愛でて、最近は品種改良されて栽培種も在るようだ。この一叢の花がその何れかは不明だが、秋の夕暮れを惜しむかの様にも見えた。

 花は不思議なもので、観る人の心の在りようで、花の印象は様々に変化する。
野紺菊が何処となく淋しげに見えたのは、虚庵居士の心理状態を反映したのかも知れない。

 年末が近づくと、年始の欠礼挨拶の葉書が送られて来る。それぞれの家族の肉親がお亡くなりになった喪中のご挨拶だが、最近は九十歳・百歳を超える方々が増えて、一段と長寿化の傾向が見られるようだ。そのように人生を全うされた方は、拝見しても心安らかにご冥福を念じられるが、中には未だ還暦前の方や、連れ添いに先立たれた方もいて、心が波立つ思いであった。

 旅立った方々の在りし日を偲びつつ、ゆったりと散歩した秋の夕暮れであった。


           たそがれの小径を行けば野紺菊の

           一叢咲きて待ちにけらしも


           どことなく淋しげなるは何故ならむ

           咲く花のゆえ? 観るわが心ゆえ?


           年末の喪中の挨拶にそれぞれの

           在りし日偲び冥福念じぬ


           しかれども余生を残し旅立つは

           思ひを偲び心乱れぬ


           連れ添いに先立たれしと告げくれば

           葉書はふるえ文字もかすみぬ


           たそがれの寂しげに咲く野紺菊は

           察して汲むや波立つこころを