「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「馬堀自然植物園 その3」

2014-06-26 00:07:06 | 和歌

 自然植物園では、起伏に富んだ山道を辿ると思わぬものに出会った。

 足元に、「胡桃」の殻が転がっていた。
山道を外れ、手付かずの山肌に足を踏み入れれば、胡桃の実がたくさん転がっているに違いあるまい。三浦半島では殆どお目に掛れないが、虚庵居士の郷里・信州では胡桃の木をよく見かけ、胡桃の実が沢山落ちていた。ご存知のように胡桃の実は脂質が約70%にも及び、ビタミンやミネラルに富む貴重な食材だ。



 山道の脇の樹の幹には、「蝸牛が沈思黙考中」 であった。
かなり大きめの蝸牛だったので、子供達が見つけたら、きゃっきゃと大喜びで捉まえるに違いあるまい。子供達にとっては、遊びながら自然に接し、お勉強が出来る素晴らしい環境の自然植物園だ。



 大木が倒れて、朽ちかけていた。
周辺が若干開けているのは、大木が倒れる際に木々をへし折り、自然に出来た空間であろう。根元が人手でカットされた気配だが、山道を確保するためにやむを得ず、手を加えたものであろう。谷底にも倒木が見えたが、山道から遠く離れているので、そちらは倒れたままの姿で放置されていた。自然の在るがままの姿とはどの様なものかを、学童は自らの眼で確かめ、様々なことを具に観察し、学ぶことであろう。

 深い山を廻り、山裾に降りて来た。
細い路に沿って流れていた清流が、麓の池に流れ込んでいた。これまでに見て来た、鬱蒼とした巨木の世界とはまた別の、安らぎの空間があった。

 農薬や廃液などが一切混じらない、清らかな流れと池には、間もなく蛍が飛び交うことであろう。住宅地の「うつろ庵」から徒歩で三十分ほどのところに、素晴らしい自然の環境が保たれていることに、改めて愕き、感謝の散歩であった。


           山路来てふと足元に目をやれば

           胡桃が二つ爺を待つかな


           腰おろし胡桃と語れば懐かしき

           ふる里はるかおもほゆるかも


           山道の脇の樹の幹 目の前に

           沈思黙考 蝸牛かな


           山中に朽ちなむとする巨木かな

           手を添え己の ゆく末おもほゆ


           廻り来て麓の池の端に立ち

           次元の違う世界に浸りぬ 


           やがて舞う蛍を観に来む夕暮れに

           幽かな流れの水音聞きつつ







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