「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「雨に濡れる千両」

2013-12-02 01:04:44 | 和歌

 「うつろ庵」の千両の実が、小雨に濡れていた。

  小さな実は未だ十分に紅色に染まっていないが、そんな稚児達が身を寄せ合っている姿は、何とも愛らしい。秋も深まり、寒気が加われば実は更に 熟して、紅が濃くなることだろう。

 稚児達と緑葉との調和がこれ程にバランスが取れているのも、稀に見る情景だ。雨に濡れた緑葉が初々しく見えるからだろうか。

 千両の葉は、秋も深まると葉の縁が枯れかけて、見苦しくなるのが例年のことだが、今年の千両は秋が深まっても縁の傷みが少なく、新芽が活き活きとしているのも珍しいことだ。猛暑だった今年の夏は、人間様には辟易とする夏であったが、千両などにとってはエネルギーを蓄え、逞しさを身に付けるには恰好な条件だったのかもしれない。

 ともすれば、我々は身勝手な感性で判断し、他人も、或いは草木も自分と同様な反応をしているのだろうと、勝手な想像をしがちだが、生物の種類が異なれば違った反応があって当然だ。人間世界の思考や行動にも、同じことが云えるのであろう。

 雨に濡れた千両に、無言の訓を頂いた虚庵居士であった。




           雨に濡れ雫を湛える千両に

           見惚れて佇む秋の庭かな


           千両の実は未だくれない浅けれど

           緑の若葉とほど佳き調和ぞ


           例年の秋にしあれば葉の縁の

           枯れ初めるにも若葉の今年は?


           あれ程の猛暑を経るに千両は

           身に勢いを蓄えにしか


           何事も苦楽を吾が身に照らすなれど

           君の苦楽は異次元なるらし


           雨に濡れる千両の実と緑葉に

           無言の訓を頂きにけり