「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「焚火の炎」

2013-12-30 00:10:02 | 和歌

 風のない夕暮れ、「うつろ庵の棺桶ベンチ」に坐して、焚火を愉しんだ。 暖かさと 共に、ゆらめく炎の千変万化に様々な思いが重なり、焚火の恵みを堪能した。



 住宅街の庭で焚火をするなどとは、防災上許されないとの非難を浴びそうだ。
昨今の自治体の条例や消防法などでは、焚火には厳しい管理が課せられ、万全の備えが求められているのが現実だ。自宅の庭とはいえ、煤煙や飛び火など、ご近所にご迷惑をお掛けすることがあってはならない。

 植木からの距離を十分に確保し、石畳の上に据えたバーベキュー・コンロの周辺には水を撒き、何時でも火を遮れる大きな蓋を傍に置き、バケツとジョウロに水を湛えての焚火だ。幸いにも「うつろ庵」の三方は、お隣さんと道路で隔てられているので、殆んどご迷惑が及ばない環境が、救いだ。



 万全の備えをしての焚火だが、屋内の暖炉や囲炉裏で薪を燃やすのとは、全く異なった趣がある。傍らには Hennessy のポケット瓶を置き、体の内外から温めながら暫しの瞑想に耽るのだ。

 ゆらめく炎は、まさに幻想的でものを想わせるが、燃え尽きた残り火もまた、別の世界を見せて呉れる。灰を冠った熾火が、互いに熱し、照らしあい、灼熱の空間が様々に変転する。時にはごく小さな火玉が星の様に輝き、アッと燃え尽きることもある。

 「うつろ庵の棺桶ベンチ」に坐し、そんな夢幻の世界に遊ぶ虚庵居士である。





           切り裂いた日除けのよしずは優れものよ

           薪への焚き付けお任せあれかし


           バーベキューをなすにはあらずコンロにて

           焚火を愉しむじじとばばかな


           じじばばが棺桶ベンチに寄り添いて

           愉しむ焚火は末期の姿か


           燃え盛り千変万化にゆらめくは

           炎の悶えかこころの悶えか


           燃ゆる火をみつめておれば何時しかに

           雑念消えにし夢幻の世界は


           ただ傍に居るだけでよし燃え盛る

           炎にこころのすべてを託して


           残り火に炎をしのべば灰冠る

           熾火は熱くこころを交わしぬ