関東には小江戸(こえど)と呼ばれる古い町並みを
残し観光地化した都市がいくつかおますんや。
以前に紹介した下総の佐原・下野の栃木
それと今回に紹介する武蔵の川越でんな。
その中でも川越市が東京から近いことも有り
小江戸(こえど)を代表する観光地でっしゃろな。
(小江戸の川越 一日フリー乗車券)
(東武バスウエスト 路線バス)
(川越駅前 ようこそ小江戸川越へ)
(川越駅舎に掲示された 蔵造りのパネル)
小江戸(こえど)とは江戸の風情を残す古い町並み
又は栄えた江戸を今に伝える街とでも言いますかな。
小京都(しょうきょうと)と呼ぶ古い町並みも
こちらは全国に数多くあるようでっけど。
秋田の角館 ・ 飛騨の高山 ・ 尾張の犬山
備後の尾道 ・ 周防の山口 ・ 加賀の金沢
若狭の小浜 ・ 但馬の出石 ・ 備中の高梁
こちらは京都市を含めて全国に53市町村だとか。
栃木市だけは小江戸(こえど)と合わせて
小京都(しょうきょうと)も名乗っているんだって。
えらい欲張ってPRをしているようでんな。
それでは東武バスで川越市の中心街へ向かいまひょ。
(蔵造りの町 川越市)
(蔵造りの町を 背景に自撮り)
(蔵造りの町 川越市)
明治26年(1893年)の川越大火の後に耐火建築の
「蔵造り」が採用されて、現在も20棟が軒を連ねている
川越市では観光都市の中心とでも言いますかな。
平成11年(2009年)に重要歴史的伝統建造物群の
保存地区としての認定を受けてから賑わっているんだとか。
(川越市の名所 時の鐘)
(川越市の 時の鐘を遠くから撮影)
小江戸(こえど)の川越を紹介する雑誌やポスターなどに
必ずと言うぐらい、紹介されているのが「時の鐘」でっせ。
これも江戸時代の鐘が明治の大火によって焼失してから
再建されたもので、この日は補修中で中には入れず
遠くからの写真だけになりましたんや。
今も1日に4回だけ時を告げる音色を響かせているそうで
「残したい日本の音風景100選」に選ばれているんだって。
(レトロナ建物を背景に 川越の町並みを撮影)
青緑の塔屋が見えているのは元の第八十五銀行本店のようで
大正7年(1918年)に完成したビルだそうです。
来年で丁度100周年を迎える現在は埼玉りそな銀行ですわ。
(川越市の マンホールの蓋)
それでは川越市で有名な喜多院というお寺へ向かいまひょ。
関東天台宗の中心となって大いに栄えたお寺だそうですわ。
(川越 喜多院の 山門)
寛永9年(1632年)創建当時のままの山門だとのこと。
現在では喜多院に残る一番古い建物になるんだって。
(星野山 喜多院の本堂)
(喜多院 本堂前にて)
喜多院案内のボランテイアの男性に写してもらいました。
実は鉄ちゃん爺や、このお寺には単身赴任中に2度ばかり
訪れているんですわ、その時のご朱印を貼り付けて置きまぁ。
(喜多院の ご朱印) (平成9年6月にご朱印)
早いもんで今年で丁度20年前に成るようですわ。
当時は「蔵造りの町」はまだ観光地化はしてなくて
「芋羊羹」が有名だった記憶しか残ってまへんのや。
「栗(九里)より 美味い十三里」の看板なども。
「さつまいも」が名物で、江戸から川越まで距離が十三里。
栗を(九里)に引っ掛けて、さつまいもをPRしたとか。
それが「栗(九里)より美味い十三里」と呼ばれる語源だって。
(重要文化財の 表示板)
(喜多院の 多宝塔)
この喜多院には三代将軍徳川家光公が江戸城の紅葉山から
移設を命じた、家光公誕生の間と 春日局の間が喜多院の
客殿と書院として現存している貴重な建物なんですよ。
ご承知の通り、春日局は家光公の乳母になる大奥で絶大なる
権勢を誇った女性で、家康公に三代将軍は家光公にと
直訴した方として歴史に記されてますかな。
(喜多院の 配置図)
画像の中央左側が喜多院の本堂に成りまっせ。
中央に春日局の間と・家光公誕生の間がおます。
(喜多院 春日局 化粧の間)
写真撮影は禁止されてますが、少しだけ失礼しました。
現在の皇居(旧の江戸城)には江戸時代の建物は
一つも残ってないと言われてますので、喜多院の
客殿と書院は江戸時代の初期を伝える建物ですかな。
(喜多院 書院から 庭を撮影)
(喜多院の渡り廊下から 本堂を撮影)
(喜多院の渡り廊下から 多宝塔を撮影)
(喜多院の渡り廊下を 外部から撮影)
この喜多院は徳川家康公のご遺体を静岡県の久能山から
日光の東照宮に移設する際に、喜多院の住職をしていた
天海僧正が1泊させて法要を営んだ故地でもあります。
(喜多院の 五百羅漢=ごひゃくらかん)
江戸時代の天明年間から文政年間までの約50年間にわたり
533体の尊者と中央に5体の如来や菩薩に地蔵を合わせて
538体もの仏様が鎮座しているんですよ。
実は最初に訪れた際にご自身とお顔が似ている羅漢さんが
1体あるはずなので、探してくださいと教えられましたんや。
(五百羅漢=ごひゃくらかん)
(五百羅漢さんと 自撮り)
(笑っている 羅漢さん)
この笑っている羅漢さんが鉄ちゃん爺やに似ているとのこと。
現在は20数年が経ちましたので面影は随分と違いますかな?
それと、探すと十二支のえとが全て存在するとの話もありまぁ。
それでは川越駅に戻ることにしまひょ。
実は「川越本丸御殿」が在りまして、見学するのを間違って
東武バスに乗って川越駅に向かってしまいましたんや。
パンフレットから「本丸御殿」を貼り付けて置きまひょ。
(川越城本丸御殿) (散策マップより撮影)
川越城は江戸を守る北西側の重要なお城だったので
江戸時代には譜代の大名が城主に任じてましたんや。
ほとんどの方が老中とか若年寄り大老に就任した方も多く
知恵伊豆と呼ばれた松平信綱、側用人から大老格まで
権勢を誇った柳沢吉保などが有名でしたかな。
(川越駅前で 自撮り)
(東武東上線 川越駅 改札)
(東武東上線 32000系 急行電車)
(東武東上線 51000系 急行電車)
(JR川越駅 改札口)
ここ川越駅にはJR川越線が大宮駅から東武東上線が
池袋駅からここで並んで入線してますんや。
他に市内の中心街に西武新宿線の「本川越駅」もあり
東京都内から約1時間~1時間半ぐらいで来れますかな。
(TWRりんかい線 70-016形 電車)
東京の新木場駅から埼京線や川越線を通って川越駅まで
この鉄道は鉄ちゃん爺やが単身赴任中は、新木場駅から
天王洲駅までしか出来ていなかったので初めての乗車。
(JR川越駅 駅名標)
(JR川越線 208系電車)
JR八王子駅方面へはここで折り返し運転だとか。
ここからJR川越線と埼京線で都内へ出ることにしまひょ。
次回は東京都内の各地を紹介することにしまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~🎵
残し観光地化した都市がいくつかおますんや。
以前に紹介した下総の佐原・下野の栃木
それと今回に紹介する武蔵の川越でんな。
その中でも川越市が東京から近いことも有り
小江戸(こえど)を代表する観光地でっしゃろな。
(小江戸の川越 一日フリー乗車券)
(東武バスウエスト 路線バス)
(川越駅前 ようこそ小江戸川越へ)
(川越駅舎に掲示された 蔵造りのパネル)
小江戸(こえど)とは江戸の風情を残す古い町並み
又は栄えた江戸を今に伝える街とでも言いますかな。
小京都(しょうきょうと)と呼ぶ古い町並みも
こちらは全国に数多くあるようでっけど。
秋田の角館 ・ 飛騨の高山 ・ 尾張の犬山
備後の尾道 ・ 周防の山口 ・ 加賀の金沢
若狭の小浜 ・ 但馬の出石 ・ 備中の高梁
こちらは京都市を含めて全国に53市町村だとか。
栃木市だけは小江戸(こえど)と合わせて
小京都(しょうきょうと)も名乗っているんだって。
えらい欲張ってPRをしているようでんな。
それでは東武バスで川越市の中心街へ向かいまひょ。
(蔵造りの町 川越市)
(蔵造りの町を 背景に自撮り)
(蔵造りの町 川越市)
明治26年(1893年)の川越大火の後に耐火建築の
「蔵造り」が採用されて、現在も20棟が軒を連ねている
川越市では観光都市の中心とでも言いますかな。
平成11年(2009年)に重要歴史的伝統建造物群の
保存地区としての認定を受けてから賑わっているんだとか。
(川越市の名所 時の鐘)
(川越市の 時の鐘を遠くから撮影)
小江戸(こえど)の川越を紹介する雑誌やポスターなどに
必ずと言うぐらい、紹介されているのが「時の鐘」でっせ。
これも江戸時代の鐘が明治の大火によって焼失してから
再建されたもので、この日は補修中で中には入れず
遠くからの写真だけになりましたんや。
今も1日に4回だけ時を告げる音色を響かせているそうで
「残したい日本の音風景100選」に選ばれているんだって。
(レトロナ建物を背景に 川越の町並みを撮影)
青緑の塔屋が見えているのは元の第八十五銀行本店のようで
大正7年(1918年)に完成したビルだそうです。
来年で丁度100周年を迎える現在は埼玉りそな銀行ですわ。
(川越市の マンホールの蓋)
それでは川越市で有名な喜多院というお寺へ向かいまひょ。
関東天台宗の中心となって大いに栄えたお寺だそうですわ。
(川越 喜多院の 山門)
寛永9年(1632年)創建当時のままの山門だとのこと。
現在では喜多院に残る一番古い建物になるんだって。
(星野山 喜多院の本堂)
(喜多院 本堂前にて)
喜多院案内のボランテイアの男性に写してもらいました。
実は鉄ちゃん爺や、このお寺には単身赴任中に2度ばかり
訪れているんですわ、その時のご朱印を貼り付けて置きまぁ。
(喜多院の ご朱印) (平成9年6月にご朱印)
早いもんで今年で丁度20年前に成るようですわ。
当時は「蔵造りの町」はまだ観光地化はしてなくて
「芋羊羹」が有名だった記憶しか残ってまへんのや。
「栗(九里)より 美味い十三里」の看板なども。
「さつまいも」が名物で、江戸から川越まで距離が十三里。
栗を(九里)に引っ掛けて、さつまいもをPRしたとか。
それが「栗(九里)より美味い十三里」と呼ばれる語源だって。
(重要文化財の 表示板)
(喜多院の 多宝塔)
この喜多院には三代将軍徳川家光公が江戸城の紅葉山から
移設を命じた、家光公誕生の間と 春日局の間が喜多院の
客殿と書院として現存している貴重な建物なんですよ。
ご承知の通り、春日局は家光公の乳母になる大奥で絶大なる
権勢を誇った女性で、家康公に三代将軍は家光公にと
直訴した方として歴史に記されてますかな。
(喜多院の 配置図)
画像の中央左側が喜多院の本堂に成りまっせ。
中央に春日局の間と・家光公誕生の間がおます。
(喜多院 春日局 化粧の間)
写真撮影は禁止されてますが、少しだけ失礼しました。
現在の皇居(旧の江戸城)には江戸時代の建物は
一つも残ってないと言われてますので、喜多院の
客殿と書院は江戸時代の初期を伝える建物ですかな。
(喜多院 書院から 庭を撮影)
(喜多院の渡り廊下から 本堂を撮影)
(喜多院の渡り廊下から 多宝塔を撮影)
(喜多院の渡り廊下を 外部から撮影)
この喜多院は徳川家康公のご遺体を静岡県の久能山から
日光の東照宮に移設する際に、喜多院の住職をしていた
天海僧正が1泊させて法要を営んだ故地でもあります。
(喜多院の 五百羅漢=ごひゃくらかん)
江戸時代の天明年間から文政年間までの約50年間にわたり
533体の尊者と中央に5体の如来や菩薩に地蔵を合わせて
538体もの仏様が鎮座しているんですよ。
実は最初に訪れた際にご自身とお顔が似ている羅漢さんが
1体あるはずなので、探してくださいと教えられましたんや。
(五百羅漢=ごひゃくらかん)
(五百羅漢さんと 自撮り)
(笑っている 羅漢さん)
この笑っている羅漢さんが鉄ちゃん爺やに似ているとのこと。
現在は20数年が経ちましたので面影は随分と違いますかな?
それと、探すと十二支のえとが全て存在するとの話もありまぁ。
それでは川越駅に戻ることにしまひょ。
実は「川越本丸御殿」が在りまして、見学するのを間違って
東武バスに乗って川越駅に向かってしまいましたんや。
パンフレットから「本丸御殿」を貼り付けて置きまひょ。
(川越城本丸御殿) (散策マップより撮影)
川越城は江戸を守る北西側の重要なお城だったので
江戸時代には譜代の大名が城主に任じてましたんや。
ほとんどの方が老中とか若年寄り大老に就任した方も多く
知恵伊豆と呼ばれた松平信綱、側用人から大老格まで
権勢を誇った柳沢吉保などが有名でしたかな。
(川越駅前で 自撮り)
(東武東上線 川越駅 改札)
(東武東上線 32000系 急行電車)
(東武東上線 51000系 急行電車)
(JR川越駅 改札口)
ここ川越駅にはJR川越線が大宮駅から東武東上線が
池袋駅からここで並んで入線してますんや。
他に市内の中心街に西武新宿線の「本川越駅」もあり
東京都内から約1時間~1時間半ぐらいで来れますかな。
(TWRりんかい線 70-016形 電車)
東京の新木場駅から埼京線や川越線を通って川越駅まで
この鉄道は鉄ちゃん爺やが単身赴任中は、新木場駅から
天王洲駅までしか出来ていなかったので初めての乗車。
(JR川越駅 駅名標)
(JR川越線 208系電車)
JR八王子駅方面へはここで折り返し運転だとか。
ここからJR川越線と埼京線で都内へ出ることにしまひょ。
次回は東京都内の各地を紹介することにしまひょ。
ほんなら、これで、さいなら~🎵