鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

東下り(あずまくだり)8日目 戸田市から東京の板橋区へ

2017-11-19 19:31:08 | 東京の街
8日目は午前中に元の会社を訪問して
昔の部下だったN君と面談しましたんや。

(JR埼京線の 電車)


画像で紹介するのは憚りますので、当時私が
発注した看板が今も健在なのでその画像だけ。

二つ発注して25万円ぐらいの出費だったかな。

戸田市に置いてあったのを鉄ちゃん爺やが大阪へ
戻る1年前に、ここへ移動した看板なんでっせ。

一つは事務所の壁に、画像のはトラックの
車庫の角に、ポールもそのままで懐かしい再会。

(会社の看板を背景に 自撮り)


現在はさいたま市南区に事務所がおますんや。

駐車場の横で珍しい当時の「浦和市」らしき
マンホールの蓋を発見しましたで。

2001年4月に浦和市と大宮市と与野市が
合併して新しく、さいたま市になったんですわ。

(旧浦和市の マンホールの蓋)


(さいたま市の マンホールの蓋)


何で16年近くも経ってるのに、こんな古い
マンホールの蓋が今も残ってるのか不思議ですわ?

両方共に市の花である「桜草」が描かれてまっせ。

(元の事務所前で 自撮り)


左に見えるのがJR埼京線でこの高架の向こう側は
埼玉県戸田市で、こちら側は「さいたま市」になりまぁ。

鉄ちゃん爺やの背中の遠くに見えるビル群は
JR武蔵浦和駅前にある高層ビルになりますんや。

懐かしい風景を見ながらJR北戸田駅へ向かいまひょ。

(東京外環道路とJR埼京線の交差地点)




JR埼京線は東京外環道をオーバーブリッジする関係で
この辺りが一番高い所を通過するることになりまんな。

この辺りは戸田市と「さいたま市」がS字型にクロスし
地元民でないと境界が分からないようになつてまぁ。

JR埼京線の向こう側は戸田市ですがこちら側に越境して
撮影した歩道橋の下からが「さいたま市」のようでした。

(JR埼京線 北戸田駅舎)


(JR埼京線 北戸田駅前の風景)



後輩のN君から、こんな情報を貰いましたんや。

「黒さんが 住まわれてた家が 残ってますよ!」

2日後に訪れたんですが、こちらを先に紹介しまひょ。

まずは荒川の堤防からお見せしまひょかな。

(国道17号線 大宮バイパス 20kmボスト)


荒川の堤防を戸田市側に超えた処におましたんや。

当時の鉄ちゃん爺やが住む家から約300mぐらい。

(荒川の堤防から 東京の板橋区方向を撮影)


この辺りは荒川が埼玉県と東京都の境になってます。

休みの日には、鉄ちゃん爺やの散歩コースでしたんや。

(荒川の幸魂大橋を 遠くに望み撮影)


橋の左側は埼玉県の和光市になりますんや。

東京外環道路が荒川を通過する橋なんでっせ。

幸魂大橋(さきたまおおはし)と呼びまんねん。

(戸田市側から 東京都側を撮影)


こんな写し方をしたら小さい川に見えてしまいまんな。

JRの車中より荒川の全体を写して見たらこんな感じ。

(JR埼京線の車中から 荒川を撮影)




この画像なら立派な一級河川に見えまっしゃろ。

遠くに見えるビル群は埼玉の川口駅付近の高層ビル。

鉄ちゃん爺やが住んでいた頃は三つか四つだったはず
随分と高層ビルが増えたもんだと、感心した次第。

(荒川の 遊水地の水門)


この大きい方の水門は東北新幹線やJR埼京線が
北戸田駅付近を通過する際に遠くに見えてますんや。

でもよほど関心を持って見ないと判別はできまへんけど。

(荒川の堤防で 自撮り)




鉄ちゃん爺やが平成8年から平成13年まで
単身赴任中に住んでいた住宅が残ってました。

約6年間を過ごした懐かしい建物なんですわ。

この2階部分が鉄ちゃん爺やの住み家でした。

現在は無人で放置されているのかもしれまへん。

(鉄ちゃん爺やの 住んでいた家)


この建物は鉄ちゃん爺やが単身赴任して物流会社を
立ち上げる際に、賃貸した仮眠室なんですけど。

運送事業の認可を受けるにはトラックの車庫の
半径500m以内に仮眠室が必要なんですわ。

実際は名前だけで仮眠室を必要とするような
事業は無くて、鉄ちゃん爺やが住むだけの
仮事務所として登記されていた建物でっせ。

だから光熱費や家賃は大阪の本社が負担して
鉄ちゃん爺やは気楽に過ごしたという訳でんな。

(桜の名所だった 聖橋の通り)




毎年4月には見事な桜が満開の並木道でしたな。

少しだけ排気ガスで桜の木が痛んでいるのが心配。

(ご当地の 氏神さん 笹目神社)






この神社の前を通って毎朝に通勤してましたんや。

さすがに笹目神社はちっとも変わってまへんでした。

(蕎麦屋さん さがみ戸田店)


着任当時によく利用した蕎麦屋さんも健在でした。

外観は20年が過ぎてますが殆ど変わりがない感じ。

それでは再びJR埼京線へ戻りまひょかな。

(JR埼京線 浮間舟渡駅舎)




実はこの浮間舟渡駅には一度も下車してまへんでした。

風車の見える公園があることはJR埼京線からは時々
見てましたんで、気にはなっていたんですわ。

今回は途中下車をすることにしましたんや。

(東京都立 浮間公園)




画像の左手に見える風車が印象的でしたんや。

この池は新河岸川を改修する際に残った川の一部で
現在は都立の浮間公園として親しまれているんだって。

(東京都立 浮間公園)






(東京・都板橋区と北区の  境界標識)


JR浮間舟渡駅は東京都の板橋区の舟渡という地名に
同じく北区である浮間の地名が、この駅で境界になる
それで、JR浮間舟渡という折衷案の駅名にしたんだとか。

JRさんでは、こんな駅名が各地で時々ですが見られまぁ。

それでは次の目的地であるJR板橋駅に向かいまひょ。

(JR埼京線 板橋駅舎と 自撮り)


(JR埼京線 板橋駅舎)


(むすびのけやき 提灯)


(JR板橋駅前の 大けやき)


こんな提灯は当時には置かれて無かったような記憶。

次回は鉄ちゃん爺やが、仕事で良く往復した板橋の
辺りを久しぶりに歩きましたので画像で紹介しまひょ。

長くなりますので、今日はこれで、さいなら~🎵

コメント (12)
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