メキシコ滞在を終えて昨日シカゴに戻ってきた。
長かったようにも短かったようにも思える一週間だったが、これほど自らが被写体に深入りした取材は初めてだった。
ひょっとしてマリアの命もこれまでなのか?と思えるような場面も幾度かあったが、その度に彼女は持ち直してきた。そんな状況では僕も単なる傍観者でいられるわけもなく、片言のスペイン語で四苦八苦しながらも看病の手伝いなどしていたが、おかげでマリアの家族とも親密な関係を築くことができた。
言葉もろくに通じない異邦人を、彼らはまるで家族のようにあたたかく迎え入れてくれた。
マリアの子供たちもとても気だての優しい子たちで、特に8歳の長男であるロドリゴはベッドの脇でいつも母親の手を握り微笑んでいた。そんな光景をみるたびに複雑な思いを抱かずにいられなかったが、子供たちと話しているマリアは心底幸せそうだった。
早期治療がおこなわれていればマリアの子宮がんは十分に治癒が可能だったはずだ。アメリカのヘルスケア制度の歪みのために、失われずにすんだはずの命が消えようとしている。
世話をしてくれる叔母や身内がいるのが唯一の救いだが、3人の子供たちが永遠に母親を失うという事実に変わりはない。
マリアと彼女の家族と過ごした時間をまだ消化しきれずに、いろいろな思いが頭をよぎっている。
次に彼らと会うことになるのは、残念ながら彼女の葬儀になるかも知れない。
長かったようにも短かったようにも思える一週間だったが、これほど自らが被写体に深入りした取材は初めてだった。
ひょっとしてマリアの命もこれまでなのか?と思えるような場面も幾度かあったが、その度に彼女は持ち直してきた。そんな状況では僕も単なる傍観者でいられるわけもなく、片言のスペイン語で四苦八苦しながらも看病の手伝いなどしていたが、おかげでマリアの家族とも親密な関係を築くことができた。
言葉もろくに通じない異邦人を、彼らはまるで家族のようにあたたかく迎え入れてくれた。
マリアの子供たちもとても気だての優しい子たちで、特に8歳の長男であるロドリゴはベッドの脇でいつも母親の手を握り微笑んでいた。そんな光景をみるたびに複雑な思いを抱かずにいられなかったが、子供たちと話しているマリアは心底幸せそうだった。
早期治療がおこなわれていればマリアの子宮がんは十分に治癒が可能だったはずだ。アメリカのヘルスケア制度の歪みのために、失われずにすんだはずの命が消えようとしている。
世話をしてくれる叔母や身内がいるのが唯一の救いだが、3人の子供たちが永遠に母親を失うという事実に変わりはない。
マリアと彼女の家族と過ごした時間をまだ消化しきれずに、いろいろな思いが頭をよぎっている。
次に彼らと会うことになるのは、残念ながら彼女の葬儀になるかも知れない。
でも、そんなに危篤だったにもかかわらず、国に帰って子供達に会うことができたのは、せめてもの救いだったのでしょうか?
今回の一連の出来事を高橋さんなりに消化できたら、またブログでも紹介してください。
お疲れ様でした。
幸せって何なのか考えてしまいますね。
同じことが起きてる可能性もありますよね…
南米の人たちは貧しいけど心が貧しくなくて
北米の人たちは金持ち多いけど心が貧しくて
どちらのタイプの人間も見てる高橋さんは
いつか貧富がなくなり心も豊かになれる
時代が来ると思いますか?
僕にはこのまま地球を食いつぶす未来しかみえてこないんですよね…