Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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キリング・フィールドのおっちゃん

2008-07-20 10:47:57 | 報道写真考・たわ言
先日DVDで、映画「キリング・フィールド」(The Killing Fields)をみた。

クメール・ルージュによる大虐殺のおこった1975年のカンボジアを舞台にした映画だが、封切られたのが80年代半ばだから、もう一昔も前になる。実在したニューヨークタイムスの特派員記者と、現地のアシスタントの交流を描いたこの映画は、以前からずっと観たいと思っていたのだが、これまで機会に恵まれなかった。

それがある出来事がきっかけで、DVDを購入する羽目に。。。

その出来事とは、映画の主人公の一人でもあったカンボジア人ジャーナリスト、ディス・プランの死だった。

幾度も死線をさまよいながら、ポル・ポト派の虐殺を生き延び、戦後アメリカに渡りニューヨーク・タイムスのカメラマンとして働いてきたプランは、今年3月にガンで他界した。

彼の存在やキリング・フィールドのことは知識として知っていたので、数ヶ月前にラジオで彼の死のニュースを聞いたときも、「ああ、また歴史の証人がひとり亡くなってしまったのだな。。。」とある種感慨深い思いをしたのを憶えている。

それからしばらくたって、購読している全米報道写真家協会の月刊誌が自宅に届いた。もちろん、数ページを割いて亡くなったプランの紹介がなされていたのだが、ページをめくり掲載されていたプランの写真をみて僕は思わず息をのんだ。

「あのおっちゃんじゃないか!!」

僕はなんと以前彼と現場で出会っていたのだ。前述したように、僕はプランというジャーナリストの存在は知っていたけれど、彼の名前や容姿まではこのときまで知らなかったのだ。

7年前、9・11テロのおこったその日に僕はボストンからニューヨーク入りしたが、マンハッタンの消防署で撮影をしているとき、ひとりの年配のアジア人のカメラマンと出くわした。お互い挨拶し、二言三言言葉を交わしただけでその内容は覚えていないが、人当たりが良くて気さくなおっちゃんだったことは印象に残っている。あのときの取材では混乱の中、かなりの数のカメラマンたちと出会ったので、このおっちゃんのこともあまり気に留めることもなく、そのうち忘れてしまっていた。

しかしこの日、僕は月刊誌のページの写真のなかのおっちゃんと再会した。

紙面に記された彼と記者シドニーとの交流の様子を読み、そして掲載された彼の写真をみながら、どうにも涙がとまらなくなった。そして同時に、どうしようもない後悔の念が心を圧迫してきた。

「あのおっちゃんがプランだと知っていたなら。。。」

いろいろ聞きたいこともあった。なんせ、ポル・ポト派の虐殺を生き延びるなどという想像を超えた経験をしてきた人間と、そうそう巡り会える機会などない。それもニューヨークという土地で、そしてカメラマンという同業者としてだ。

ニューヨークで自己紹介をしたときに、彼の名前を聞いても反応しなかった僕に対して、プランはどう思ったのだろう?「この無知な若造め、キリング・フィールドのこと知らないな」と思ったか、それとも「俺のこと知らないようだし、いろいろ質問されずに気楽に話ができる。。。」と安堵したか、いまでは知る由もない。

映画を観ながら、あらためてプランのかいくぐってきた至難を知るにつれ、彼ときちんと話をしなかったことが一層悔やまれた。

しかし、ほんの数分の間でも、彼の温かくて気さくな人柄に直に触れることができたことに感謝すべきか、とも思っている。