2日前になるが、通勤途中の車のラジオでこんなニュースを耳にした。
カリフォルニア州で、殺人犯の死刑執行の直前に、担当となっていた麻酔医2人が職務を拒否したために死刑が延期になった。麻酔医たちの言い分は、死刑執行に主要な役割を果たすことが「医者としての倫理に反するため」であるからだという。
さらに、その日の夜に急遽変更された2度目の執行計画も、鎮静剤をうつ有資格の医者を州内からみつけることができずに再度延期になった。州の法律で、殺される死刑囚が肉体的な苦しみを伴わないように、このような医者の立ち会いが義務づけられているためだ。これによって今回のケースはおろか、現在カリフォルニア州で予定されていた死刑執行は事実上すべて延期となってしまった、ということだ。
「死刑」。。。人間が他人の命を「合法的」に奪う制度。
死刑を巡る議論は、単純ではない。
以前ジャーナルにも書いたことがあるが、( http://www.kuniphoto.com/kj_story01.htm ) 僕は基本的には死刑制度に反対である。やはり合法的な殺人は認めがたいし、なによりも冤罪が多すぎる。しかし、それも単に頭で考えた論理に過ぎないことも分かっている。もし、僕の両親や弟妹。。。愛する人を無惨な仕打ちで殺されてしまったとしたら。。。そうなったときに悠長にもまだ死刑反対、などといっていられる自信は、ない。恐らく、犯人を殺してやりたいと思うだろう。それもできるならこの手で。
このカリフォルニア州の死刑囚は、25年前に17歳の女子を虐待し、レイプし、そして殺害した。
犠牲者となった女の子の母親は、死刑執行延期の知らせを聞いて、こう語ったという。
「こんな司法制度は馬鹿げています。。。犠牲者のほうが殺人犯よりももっと苦しんでいるというのに。。。」
死刑制度に対する議論には、妊娠中絶問題と同様、これだという正しい答えなどありはしない。
人の命のことだから。
カリフォルニア州で、殺人犯の死刑執行の直前に、担当となっていた麻酔医2人が職務を拒否したために死刑が延期になった。麻酔医たちの言い分は、死刑執行に主要な役割を果たすことが「医者としての倫理に反するため」であるからだという。
さらに、その日の夜に急遽変更された2度目の執行計画も、鎮静剤をうつ有資格の医者を州内からみつけることができずに再度延期になった。州の法律で、殺される死刑囚が肉体的な苦しみを伴わないように、このような医者の立ち会いが義務づけられているためだ。これによって今回のケースはおろか、現在カリフォルニア州で予定されていた死刑執行は事実上すべて延期となってしまった、ということだ。
「死刑」。。。人間が他人の命を「合法的」に奪う制度。
死刑を巡る議論は、単純ではない。
以前ジャーナルにも書いたことがあるが、( http://www.kuniphoto.com/kj_story01.htm ) 僕は基本的には死刑制度に反対である。やはり合法的な殺人は認めがたいし、なによりも冤罪が多すぎる。しかし、それも単に頭で考えた論理に過ぎないことも分かっている。もし、僕の両親や弟妹。。。愛する人を無惨な仕打ちで殺されてしまったとしたら。。。そうなったときに悠長にもまだ死刑反対、などといっていられる自信は、ない。恐らく、犯人を殺してやりたいと思うだろう。それもできるならこの手で。
このカリフォルニア州の死刑囚は、25年前に17歳の女子を虐待し、レイプし、そして殺害した。
犠牲者となった女の子の母親は、死刑執行延期の知らせを聞いて、こう語ったという。
「こんな司法制度は馬鹿げています。。。犠牲者のほうが殺人犯よりももっと苦しんでいるというのに。。。」
死刑制度に対する議論には、妊娠中絶問題と同様、これだという正しい答えなどありはしない。
人の命のことだから。
頭や胸には何かいっぱいあるのですが。
私も今までに何回か真剣に考えてみたことがありますが、加害者・被害者と遠いところにいるので、あるところで考えられなくなってしまいます。それ以上考えても結局はは想像の方が大きくなって、自分の中に潜んで醜い感情が見えなくなりそうだからです。
この職務を拒否した医者の気持ちは理解できます。
死刑の是非の問題と隣りあわせで、「じゃあ、だれが手を下すのか?」という問題があるんですね。
日本でも、死刑は確定しても何年も執行されないことが多いと聞きます。
この医者たちの拒絶を機会に、議論が建設的に深まっていくといいですが…。
ハッキリと一つだけ言える事があると思う。事件の当事者ではない第三者的な立場で『被害者を救済するためには犯人の死刑止むなし』といった意見を言うのは慎むべきでは?という事である。第三者にしてみれば…犯罪が明らかになり、悪党が裁きを受ける→復讐はなされ、一件落着…といった『流れ』を知る事が出来、極端な表\現を許してもらえるなら『溜飲を下げる』気分を味わえる。
しかし、それは解決なのか?本当に、被害者の遺族はそれで満足するのか?我々はさながら勧善懲悪モノのドラマでも観ているような気持ちになれるが…当事者にしてみれば、そんな簡単に片が付く話なんだろうか?
何の結論も導けない意見なのだが、少なくとも人の命に関わる事だから、軽々にまとめてはならない議論なのではないかと思う。
最後に。近頃のあまりにも非道な殺人事件の報道を聞くにつけ、私は「犯人の野郎を八つ裂きにしちまえ!」…と喚く。一度や二度ではない。
簡単な例。
人格の秀でた外科医がいます。彼は人格が秀でているが故、なかなか人体にメスを入れられません。
性格の悪い外科医がいます、彼は的確に判断し抵抗なく人体にメスを入れます。
貴方ならどちらを選択しますか?
これは倫理の転倒でも矛盾でもありません。
恐らくこの問いは、結論を導き出す事は無理だと思います。
しかし、健様がおっしゃるように、第三者が「被害者の人権」を声だかに言う事に対しては非常に違和感を感じます。死刑に関してもそうですが、精神障害に関しても、権力とのかかわりについて考えるなら、相当な覚悟が必要だと思います。真剣に。まずセンチメンタルにならない事、センチメンタルは動機付けとしては非常に有効ですが。