Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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死刑延期

2006-02-23 08:52:15 | 報道写真考・たわ言
2日前になるが、通勤途中の車のラジオでこんなニュースを耳にした。

カリフォルニア州で、殺人犯の死刑執行の直前に、担当となっていた麻酔医2人が職務を拒否したために死刑が延期になった。麻酔医たちの言い分は、死刑執行に主要な役割を果たすことが「医者としての倫理に反するため」であるからだという。

さらに、その日の夜に急遽変更された2度目の執行計画も、鎮静剤をうつ有資格の医者を州内からみつけることができずに再度延期になった。州の法律で、殺される死刑囚が肉体的な苦しみを伴わないように、このような医者の立ち会いが義務づけられているためだ。これによって今回のケースはおろか、現在カリフォルニア州で予定されていた死刑執行は事実上すべて延期となってしまった、ということだ。

「死刑」。。。人間が他人の命を「合法的」に奪う制度。

死刑を巡る議論は、単純ではない。

以前ジャーナルにも書いたことがあるが、( http://www.kuniphoto.com/kj_story01.htm ) 僕は基本的には死刑制度に反対である。やはり合法的な殺人は認めがたいし、なによりも冤罪が多すぎる。しかし、それも単に頭で考えた論理に過ぎないことも分かっている。もし、僕の両親や弟妹。。。愛する人を無惨な仕打ちで殺されてしまったとしたら。。。そうなったときに悠長にもまだ死刑反対、などといっていられる自信は、ない。恐らく、犯人を殺してやりたいと思うだろう。それもできるならこの手で。

このカリフォルニア州の死刑囚は、25年前に17歳の女子を虐待し、レイプし、そして殺害した。

犠牲者となった女の子の母親は、死刑執行延期の知らせを聞いて、こう語ったという。

「こんな司法制度は馬鹿げています。。。犠牲者のほうが殺人犯よりももっと苦しんでいるというのに。。。」

死刑制度に対する議論には、妊娠中絶問題と同様、これだという正しい答えなどありはしない。

人の命のことだから。


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10 コメント

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何か書きたいのですが (じょじょ)
2006-02-24 19:09:41
何かコメントを書きたいのですが、言葉になりません。

頭や胸には何かいっぱいあるのですが。
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正義? (bluesnow)
2006-02-24 23:42:22
個人的に司法と向き合ってます。馬鹿げてます。死刑問題とはちょっと論点がずれますが、現在の司法は被害者のことを考えているとは思えません。しょせん金で動く弁護士が牛耳っていて、金さえあれば加害者を無罪にすることも可能です。正義など貧乏人にはない、と思ってます。死刑執行のための作業を拒否した医者も、しょせんその仕事をせずにすむお金に困っていない人たちなんじゃないでしょうか。
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Unknown (dumbo)
2006-02-25 12:45:29
死刑の問題は本当に難しいですね。

私も今までに何回か真剣に考えてみたことがありますが、加害者・被害者と遠いところにいるので、あるところで考えられなくなってしまいます。それ以上考えても結局はは想像の方が大きくなって、自分の中に潜んで醜い感情が見えなくなりそうだからです。

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Unknown (miura)
2006-02-25 13:18:16
…難しいですね。

この職務を拒否した医者の気持ちは理解できます。

死刑の是非の問題と隣りあわせで、「じゃあ、だれが手を下すのか?」という問題があるんですね。

日本でも、死刑は確定しても何年も執行されないことが多いと聞きます。

この医者たちの拒絶を機会に、議論が建設的に深まっていくといいですが…。
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Unknown (カーラ)
2006-02-26 00:35:20
アメリカのファンダメンタルな人って絶対中絶NO!って感じでしょ、生活力無く、若くして妊娠したり、犯されて妊娠して倫理観から出産して、ネグレクトになる例ってたくさんあって、無責任って点は変わらない。法によって復讐権が与えられないのなら抑止としての「死刑」も仕方ないのかなと思います。だとしたら冤罪のないよう最大限に努めないといけません。最近のアメリカは以前の様に法廷にテレビカメラが入ることもなくなったようですね。

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ドラマじゃない。 ()
2006-02-26 08:35:06
『原則的には』私も死刑には反対の考えだ。犯人の人権が云々…というアムネスティ的な発想に基づくのではなく、高橋さんの言うような『人を殺してはならないと謳いつつ人を殺す』論理的な矛盾や、冤罪の危険性、それに『高度な政治的意図』によって誰かの命が奪われる場合の不条理…等の理由が根底にある。ただ、犠牲者自身やその遺族・周囲の人々に対して、そんな理屈が妥当性を持つかどうかは分からない…。



ハッキリと一つだけ言える事があると思う。事件の当事者ではない第三者的な立場で『被害者を救済するためには犯人の死刑止むなし』といった意見を言うのは慎むべきでは?という事である。第三者にしてみれば…犯罪が明らかになり、悪党が裁きを受ける→復讐はなされ、一件落着…といった『流れ』を知る事が出来、極端な表\現を許してもらえるなら『溜飲を下げる』気分を味わえる。



しかし、それは解決なのか?本当に、被害者の遺族はそれで満足するのか?我々はさながら勧善懲悪モノのドラマでも観ているような気持ちになれるが…当事者にしてみれば、そんな簡単に片が付く話なんだろうか?



何の結論も導けない意見なのだが、少なくとも人の命に関わる事だから、軽々にまとめてはならない議論なのではないかと思う。



最後に。近頃のあまりにも非道な殺人事件の報道を聞くにつけ、私は「犯人の野郎を八つ裂きにしちまえ!」…と喚く。一度や二度ではない。
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Unknown (カーラ)
2006-02-26 20:44:51
私自身は結論を持っていません。死刑も仕方ないのかな、とは悲観的な意見として述べたとご理解ください。しかし近代の国や法が「人を殺してはいけない」という倫理を前提としている事と、国や法が権利として「殺し」を容認していることは矛盾ではありません。私たちは普段科学的対象、美的対象、また倫理に関しても自然に存在するように思いがちです。しかしそれは高次に認識を保留する事によって成されます。

簡単な例。

人格の秀でた外科医がいます。彼は人格が秀でているが故、なかなか人体にメスを入れられません。

性格の悪い外科医がいます、彼は的確に判断し抵抗なく人体にメスを入れます。

貴方ならどちらを選択しますか?

これは倫理の転倒でも矛盾でもありません。
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Unknown (カーラ)
2006-02-26 20:58:11
そもそもすべて低次元な理性でかたずけるとすれば、メスで人体に傷をつける事自体倫理的に非難される行為となります。

恐らくこの問いは、結論を導き出す事は無理だと思います。

しかし、健様がおっしゃるように、第三者が「被害者の人権」を声だかに言う事に対しては非常に違和感を感じます。死刑に関してもそうですが、精神障害に関しても、権力とのかかわりについて考えるなら、相当な覚悟が必要だと思います。真剣に。まずセンチメンタルにならない事、センチメンタルは動機付けとしては非常に有効ですが。
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正義 (bluesnow)
2006-02-27 07:38:13
核の抑止力と同じで、死刑制度は必要だと私は思います。明らかに犯罪を犯している犯罪人なのに、金の力で無罪釈放も可能、被害者だけが苦しみ、人生を大きく狂わせられる、という馬鹿げた司法制度をまのあたりにしている者としては、長年にわたる多大なエネルギーと税金とをかけて、死刑判決が出ているのなら、それは執行されるべきと考えます。それぐらいの「正義」はあってもいいのではないでしょうか。
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犯罪者 (じょじょ)
2006-02-28 20:35:20
トラバいただきました。
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